神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

和田村用水

2017-06-14 06:38:54 | 支流編(善福寺川5)

 和田村の水利に関して「新編武蔵風土記稿」は「井ノ頭上水 村の西の方を流る、和泉村より来り、雑色村に至る、又遅野井村善福寺池より出る水あり、是は堀ノ内村より入雑色村に達せり」と、村の東半分を中心とした書き方です。そこで「和田村絵図」で村の西半分を見てみると、堰は二か所あり、うち一か所は成宗村との村境にあって、その水路が村境を形成しているように見えます。「近傍図」にこの堰からの水路は描かれていませんが、その後の地形図で確認できます。ところで、この絵図では堰からの水路に村境を流れる小支流が合流していますが、これは「上流編(善福寺川4」の最後で追った天水田圃の水路です。

 

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    ・ 「和田村絵図」  「杉並近世絵図」(平成5年 杉並区教育委員会)に収録された「和田村絵図」のうちの一枚を元に、和田村の西半分を中心にその堰と田用水を強調したイラストになっています。 

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    ・ 大成橋  左岸に看板らしきものが見えますが、分岐した水路跡はその下から分かれる道路となって健在です。なお、大成橋は昭和に入って出来た橋です。 

 もう一つの堰は→ 「東京近傍図」の中央やや左寄りに描かれ、こちらの水路の在り様は両者ほぼ一致しています。なお、この場所にあった堰の最後の様子については、「すぎなみ学倶楽部」中、「おじいさんが知る昔(六)」のなかに、「善福寺川にダム!?」という文章が、コンクリート製の小ダムを思わせる堰の写真とともに掲載されています。郷土博物館裏の壁打ちテニス場付近にあったようですが、「昭和30年代に地下鉄丸ノ内線の荻窪方面への延長工事によって掘り出された土の捨て場となり、その役割を終えた」そうです。

 

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    ・ 郷土博物館裏  杉並区立郷土博物館と善福寺川の間に、調整池兼用の壁打ちテニス場があります。その先の茂みの付近に堰(小ダム)はあったものと思われます。  
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