神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

八反目橋

2016-10-28 06:42:30 | 支流編(桃園川2)

 旧高円寺村に入って最初の橋は、新堀用水の右岸流が合流していた八反目上橋です。八反目は馬橋との境にあった高円寺村の字で、「新編武蔵風土記稿」には収録されていません。→ 「村絵図」では字名の記載を省略しましたが、馬橋村境の桃園川流域に「字八反目」とあり、明治に入り成立した東多摩郡(のち豊多摩郡)杉並村大字高円寺の小字としても採用されました。あるいは検地の際、八反歩の田圃があったの意かもしれませんが、よくわからないところです。

 

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    ・ 八反目橋  八反目上橋の次の橋です。ここにかぎらず、旧字名に上、下、あるいは小などを付けた橋名がこれからも続きます。 

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    ・ 長仙寺山門前  八反目橋の左岸にあるスーパー横からの撮影です。→ 「東京近傍図」を見ると、長仙寺門前まで左岸流が膨らんでいますが、奥に見えるのがその長仙寺山門です。 

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    ・ 長仙寺本堂  日王山長仙寺は「新編武蔵風土記稿」には、村の鎮守だった神明社の別当として登場します。(もう一つの鎮守、氷川社の別当は高円寺でした。)

 <緑ヶ丘>  「杉並の通称地名」(平成4年 杉並区教育委員会)に、長仙寺の南側から西側にかけて、昭和初期に成立し現在も使用されている通称として収録されています。「昭和初期高円寺駅の西側にある長仙寺が所有山林や水田を宅地造成して命名した。現在町内会名として通用している。」 「杉並歴史探訪」(昭和50年 森泰樹)には、「中央線沿いの高台に新しい道路二本を切り通し、その残土で水田を埋め立て、約六ヶ月で竣工しました」と、当初高円寺の区画整理事業を担当し、大正14年(1925年)に辞職後、この宅地造成を監督した佐藤人止氏の話を載せています。宅地造成地に緑ヶ丘の名前を付けるのは、今でもよくあるパターンですが、そのはしりだったのかもしれません。

 

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