神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

親水エリア

2017-09-07 05:44:16 | 神田川1

 井の頭池を流れ出した神田川は、その先で井の頭線の鉄橋をくぐり、その北側を並行します。鉄橋から夕焼け橋までの200~300mは、神田川の全流域の中で最も自然河川らしい景観を保っています。ほとんどの流域がコンクリート三面張りの、いわば巨大なU字溝ですが、ここだけは土の岸辺が残っていて、石垣や木の柵によって護岸がされ、川の中には多くの石が点在しています。もちろん、人工のものではありますが、昭和60年前後の数年間にわたる住民運動の結果で、最近普及してきた親水護岸のはしりとなったエリアです。

 

0608a

    ・ 神田川  水門橋の次に架かるよしきり橋からのショットです。神田川は明大前駅まで京王井の頭線とほぼ平行、途中で三度クロスしますが、ここが最初の鉄橋です。

0608b

    ・ 神田川  鉄橋から次の夕やけ橋にかけてで、自然河川の面影を残すところです。一見無造作に置かれた石ですが、石伝いに渡ることのできるよう設計されています。 

0608c

    ・ 神田川  夕やけ橋から下流方向です。神田川は次の神田上水橋の手前で井の頭公園から離れ、それに伴い護岸も石積みからコンクリートに変わります。

 <井の頭神田川を守る会>  下流からの三面張り工事がこの地点に到着したのは昭和57年(1982年)、残る上流数百メートルもコンクリート護岸とするため、岸辺の木400本が切られようとしていました。当時、都市の中小河川は排水溝とみなされ、いかに効率よく下流に水を送るのかが、河川行政の唯一の目的となっていた時代です。翌年には地域住民により「井の頭神田川を守る会」が結成され、4年間におよぶ都との折衝の末、今日見られる親水エリアが完成しました。昭和62年の完成記念式典で、東京都は防災一辺倒の河川行政ではなく、人と自然の触れ合う親水河川を大切にする旨、あいさつしたそうです。「神田川再生構想検討会」が平成16年に発表した報告書にも、こうした考えは反映されていて、神田川水系全体で30ヶ所近い水辺、親水拠点を整備することなどが提言されています。