神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

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堀之内村

2017-07-14 07:09:56 | 支流編(善福寺川6)

 「堀之内村は、郡の東の方にあり、郷庄の唱を失ふ、江戸日本橋より行程三里ばかり、村内高低ありて田畑は西より東の方によりてあり、土性は黒土、民家五十五軒処々に散在す、東は和田村につゞき、南は和泉村に接し、北は高円寺村に及び、西も亦和田村なり、村内一條の道あり、中野村鍋屋横町より和田村八幡社の前へ達す、村内にかゝること十一町許、・・・・此辺阿佐ヶ谷、天沼、下荻窪及び当村すべて江戸麹町山王社領なり、何れの比附せられしや詳ならず」(「新編武蔵風土記稿」)

 

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    ・ 「堀之内村絵図」  「杉並近世絵図」(平成5年 杉並区教育委員会)に収録された成立年代不詳の村絵図を元に、田用水を強調したイラストになっています。

 この「村絵図」では、字は16に細分されていますが、「風土記稿」に収録されているのは、「原 東の方和田村の堺を云、小屋ノ台 西の方和田村の境にあり、・・・・、清水 北の方高円寺村の境を云、中道 中程にあり、本村 南の方にあり」の五つで、小屋ノ台の名前の由来については、源氏の武将、畠山重忠とかかわる伝承について、一度触れたことがあります。なお、堀之内の由来についても、隣村和田ともからんで、同じ源氏の武将、和田義盛の館跡との説もあります。たしかに、中世の土豪の館には濠をめぐらせていて、堀之内の名前の由来ともなっていますが、当地の場合、それを裏付ける資料や遺構は発見されていません。 

 

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    ・ 熊野神社前  堀之内村鎮守の→ 熊野神社の西から北へと抜ける通りは、「風土記稿」に「村内一條の道あり」と書かれた古道で、下総往還と呼ばれ、また鎌倉街道と目されています。 

 ところで、堀之内村の水利に関し「新編武蔵風土記稿」は以下のように記述しています。「水元は遅野井村善福寺池より出、隣村和田村の内松の木と云所より当村に入、村内を流るゝこと十町許、流末は又和田村に至る、此川に堰三ヶ所あり、一ヶ所は村の南の方を流る、長さ二十町許、流末は是も和田村に至、又一ヶ所は中道にあり、又一ヶ所は小名本村にあり、この二流は村内にて本流に落合、此三流を所々の水田に沃げり」 これは「村絵図」の描く田用水と、右岸に和田村にまで達する一流、左岸に本流に戻る二流と一致しており、また合計三ケ所は「星野家文書」(昭和58年 杉並区教育委員会)中、明治10年代に東京府知事に提出された「草堰願」にある、堀之内村に設けられた草堰の数と同じです。

 

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