神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

橋場

2016-11-26 07:24:53 | 支流編(桃園川3)

 桃園橋に戻り、桃園川緑道を先に進みます。すぐに右カーブで再び東に向きを変え、そのまま350mほど直進です。ところで、→ 「東京近傍図」では、この直線区間で本流が途切れ、左岸流が連続して本流のように描かれています。「東京近傍図」のベースとなった「迅速測図」を見ると、丁度二葉の地図のつなぎ目に当たっていて、どうやらつなぎ間違えたようです。上下をずらして右岸流を連続させれば、→ 「中野村絵図」 などの描く本来の流路となります。

 

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    ・ 桃園川緑道  中野通りを越えた先で、桃園川緑道は右カーブで中野総合病院の横に出ますが、そこに架かっている橋が橋場橋です。 

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    ・ 桃園川緑道  右カーブを抜けた先の直線区間で、その間に北畑、上宮、御伊勢橋が架かっていますが、橋場橋と同様、区画整理時の架橋です。

 「中野の地名とその伝承」(昭和56年 中野区教育委員会)によると、桃園橋は将軍御成のたびに、専用の橋板に取り換えたのだそうです。その橋板を保管する場所が橋場と呼ばれ、いつしか地域の呼び名になったとか。そういえば、上野寛永寺前の忍川に架かる三橋は、一般用の橋とは別に御成橋が常設されていましたが、それだけの必要もスペースもない場合の、代替措置のようなものかもしれません。なお、地域名としての橋場は、「新編武蔵風土記稿」に中野村の小名として記載され、昭和42年(1967年)の新住居表示まで、橋場町として存続していました。

 

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    ・ 中野郵便局  左岸段丘が後退していて、広く水田だったところが宅地造成され、昭和11年(1936年)から昭和40年代まで、中野区役所がありました。
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