神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

左岸の用水2

2017-06-20 07:52:55 | 支流編(善福寺川5)

 大成橋下流で左岸に分岐した用水の続きで、舌状台地に突き当たって右折、成宗村からの用水に合流し台地の裾をめぐるところです。すぐに頂点に差し掛かり、左カーブの連続で南から東へと回り込みます。前回UPの→ 「昭和12年修正」の右端で、大きな弧を描いているところですが、その後半は和田堀公園の競技場となって、痕跡は失われました。ただ、地下には下水道善福寺川幹線が同様の孤を描いています。

 

Sagan2

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 合流後、段丘の際に沿う水路跡の道路です。右写真は和田堀公園から段丘方向です。

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    2. 車止めで明らかなように、水路は一貫して舌状台地側を流れていました。

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    3. 舌状台地の頂点に差し掛かり、左カーブの連続でその南から東へと回り込みます。

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    4. 正面に和田堀公園の競技場が見えてきました。300mトラックを有し、サッカー、ラグビーも可能です。

  <松ノ木遺跡>  左岸の舌状台地は一帯の字名から松ノ木台地とも呼ばれますが、その台上には旧石器時代から、縄文、弥生、古墳時代に至る、区内最大規模の複合遺跡が発掘されています。特に、住居跡は松ノ木中学の敷地内からだけでも、60基を超える数が確認されており、全体では150基ほどの大集落が存在したものと推測されています。南側斜面下に広がる善福寺川の低湿地が、水や食物の供給源となり、その生活を支えていたものと思われます。また、対岸の大宮遺跡には族長クラスが祀られ、善福寺川を隔てて聖俗が分離していたことはすでに触れました。なお、住居跡は松ノ木中学や松ノ木運動場下に埋め戻されましたが、その一角に → 復元されたものが展示されています。

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