神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

新堀用水7

2016-10-15 06:13:09 | 支流編(桃園川2)

 田端村広場堰から分岐し、矢倉と通称される舌状台地を迂回するコース中にも、→ 「段彩陰影図」に白点線で書き込んだように、舌状台地の先端をかすめて横切るトンネルがありました。「杉並風土記」(昭和52年 森泰樹)によると、昭和49年の宅地造成の際、その遺構が発見されています。地下4.5mの関東ローム層に高さ1.3m幅1.6mのトンネルを素掘りしたもので、崩れは見られなかったといいます。ただ、少なくとも「取調書上帳」の記載には、天保11年中の工事で開削されたことを示唆するものは見当たらず、その辺の事情はよく分かりません。

 

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    ・ 「陸地測量部発行の1/20000地形図(明治42年測図) / 東京西近郊図」  実線の水路と点線のトンネルが併存しています。なお、右端の神社下で右岸に分岐しているのが権現山堰です。

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    ・ トンネル出口付近  段丘沿いに蛇行する水路に対し、トンネルは直線で段丘を貫いていました。この先で舌状台地を回り込む水路は→ こちらです。

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    ・ トンネル入口付近  善福寺川緑地の北縁に沿う崖面です。舌状台地の先端に当たるこの付近に、トンネルの入口がありました。 

 <天保11年の水損>  「成宗村分水堀之義去子年中獺穴埋立并土手切所取繕洩水無之様修復致シ分水請候処、猶又獺穴夥數出来其上去十月中之大雨ニ而土手押崩シ分水堀より大川江過半洩水ニ相成」 新堀用水が一応の完成を見たのは天保11年9月ごろ、これはその翌年の正月、中野、高円寺、馬橋村が代官所に提出した文書の一節です。舌状台地を迂回する部分が獺(カワウソ)の巣穴による漏水や10月の大雨により崩壊、「田端村大堰より弁天池迄堤崩場所長延千二百間余」という被害をこうむります。「多分之入用相掛ヶ修復仕候甲斐更ニ無之」といった惨状でした。その結果、舌状台地を迂回するコースは放棄され、新たなトンネルでショートカットすることになりますが、その詳細は次回に続きます。

 

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