神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

和田村

2017-06-13 06:14:16 | 支流編(善福寺川5)

 「和田村は、郡の東豊島郡の界にあり、郷庄の唱を失ふ、開墾の年代は詳ならざれども、村内八幡の古社あるを以て見るときは古き村なることは疑なし、村名の起りを知らず、江戸日本橋より行程三里許、東は雑色村・本郷村に界ひ、西は成宗村につゞき、南は和泉村なり、南より東は甲州街道小名萩窪道、向ふは荏原郡代田村、豊島郡幡ヶ谷村なり、北は堀ノ内村妙法寺道を界として、艮の方は中野村に少しくつゞけり、かく入会し村なれば、里数も計がたけれどその大抵をいはヾ東西十三町、南北十八町、甲州街道村の南の端をつらぬく、東豊島郡幡ヶ谷村より西当郡和泉村に達す、民家百二十軒」(「新編武蔵風土記稿」) 

 

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    ・ 「東京近傍図 / 内藤新宿」(参謀本部測量局 明治13年測量)の一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。なお、オレンジ細線は和田堀内村当時の村境、大字境です。

 和田村は中央に割り込む堀之内村によって、ほぼ東西に二分されていました。西半分は善福寺川が南北に二分し、南は「新編武蔵風土記稿」が「西の方にて八幡のほとりなり」と書く小名大宮、北は「前のつゞきにて少しく北へよる」とある小名松ノ木で、これは現在の住居表示にも受け継がれ、大宮1、2丁目と松ノ木1~3丁目になっています。大宮の地名由来は明らかですが、松ノ木については松の大木があった、松の木が多数あったなどいわれていますが、詳細は分かっていません。

 

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    ・ 大宮八幡宮  「八幡社 除地、六万坪、小名大宮にあり、社領御朱印三十石、天正十九年附せらる」(「新編武蔵風土記稿」) 

 <地名由来>  和田の地名由来に関しては、平安時代に編纂された「和名類聚抄」にある「多摩郡海田郷」の海田(あまた)が和田に転化したとか、あるいは、中世の館跡を連想させる名前の隣村堀之内がらみで、鎌倉幕府の侍所別当、和田義盛との関係がいわれたりしますが、考古学上、文献上の根拠は特にありません。和田の地名は全国的にも多く見られ、屈曲する川の流れに臨む地を意味するといわれており、やはり、善福寺川と神田川が蛇行しながら合流する、当地の地形に由来するとするのが一般です。

 

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