神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

界橋

2017-02-25 07:28:19 | 善福寺川1

 荻野橋の次の界(さかい)橋はその名の通り、旧上・下荻窪村の境に架かる橋で、→ 「東京近傍図」では、現環八通りの西側を南北に走る通りと善福寺川がクロスする位置に描かれています。たびたび引用する「武州多摩郡上荻久保村風景変遷誌」(昭和15年 梅田芳明)の中で、上荻窪村で車馬の通れる橋は関根及び本村の橋のみ、他の三ヶ所は丸木橋だったとありまが、その最後の一つがこの場所に架かっていたものと思われます。なお、四面道、光明院(光明院自体は上荻窪村)、そしてこの界橋を結ぶラインがおおよその村境でしたが、そのラインと一部重なる形で環八通りが開通したため、現行の住居表示では環八通りが境のようになっています。

 

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    ・ 界橋  現在は、荻窪駅西口前からの商店街が並ぶ、すずらん通りに架かっています。右手はすぐ坂になっていて、この坂を上ると南荻窪の住宅街です。 

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    ・ 界橋  前を横切るのが環八通り、その先が荻窪駅に至るすずらん通りです。なお、左手に鉄塔の見えるのは東京電力荻窪支店で、「杉並の川と橋」の湧水リストに「東電の池」が載っています。 

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    ・ 左岸流跡  東電荻窪支店の北に沿う道路が環八に突き当たるところです。区画整理時の新設ですが、かってはこのあたりを用水が流れていました。

 <上荻窪村の堰>  → 「上荻窪村絵図」には本村橋を挟んで、二ヶ所に堰が描かれていて、「武州多摩郡上荻久保村風景変遷誌」のいう、「字中田に一ヶ所、字本村に一ヶ所」がこれに当たります。これとは別に、桃井第二小学校が創立50周年を記念して発行した、「おぎくぼ いまむかし」(昭和53年)という小冊子のなかに、「(三軒家の堰の)上流には『土志田(どした)の堰』ガード先の堰を『団子坂の堰』といっていました」との記述があります。「三軒家の堰」は下荻窪村にかかわるもので、後の二ヶ所はガード下、すなわち、本村橋を挟んで設けられ、字本村、字中田の堰に該当します。上掲最後の写真の左岸流が分岐していたのは、本村、界両橋の中間にあった字本村、ないし土志田の堰からということになります。