かはたれのジエン

イタチの最後っ屁  …なので、コメントにも屁を垂れるしかできませぬ

ゾ~ウさん♪

2014年02月28日 | あきらめる 

      ぼくが ここにぞうさん
                まど・みちお

  ぼくが ここに いるとき
  ほかの どんなものも
  ぼくに かさなって
  ここに いることは できない

  もしも ゾウが ここに いるならば
  そのゾウだけ
  マメが いるならば
  その一つぶの マメだけしか
  ここに いることは できない

  ああ このちきゅうの うえでは
  こんなに だいじに
  まもられているのだ
  どんなものが どんなところに
  いるときも
  
  その「いること」こそが
  なににも まして
  すばらしいこと として

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言わなくてもいいこと

2014年01月04日 | あきらめる 

 唐突に、性同一性障害について。
 今まで書こうと思っていたのだが、なかなか書けないでいた。
 たぶん、はっきりと大きな声で言うべきことではないのだろう。
 (なので、小さな字で書きます)

 これはすごく簡単。プレッシャーだった
 問題ではない。

 体を変えることはできないのだから、心を変えるしかない。
 苦しいかもしれないけれど。

 性転換手術は、人間がしてはいけないことだと思う。
 (両性具有の場合は、しかたないような気もする)
 神々の領域

 身体的な性別はセックス。
 文化的な性別がジェンダー。
 ジェンダーは文化的に形成されたものだから、気に入らなければ無視して生きればいい。
 おかまやおなべとして生きる
 あるいは、我慢する。(明らめる

おかまを見ていると、自然だなと思う。いかに男が無理させられているかが、よくわかる。仕草や言葉、生き方まで。(究極は「永遠の0」)だから、草食系男子となる。

 マイノリティを否定するわけではないが、大声で叫ばなくても。
 (もちろん、虐げられている部分は叫ばなければならない
 これらのことは、こちらに書いた。
  http://blog.goo.ne.jp/kawatare51/e/4d832ab38c13eb1ac465b8d84453f660

マイノリティを否定なんかできない。全ての人がマイノリティなのだから。その部分に自信がなくなってくると、自分以外の否定(一般意志の逆)=魔女狩り(差別=いじめ)が始まる。

 こちらは、ちと読み方に注意がいるかも。

http://d.hatena.ne.jp/unsui456/20120710

このブログは全体を読んでいないので、ちとタンマ。この記事に関しては、だいたい考えてることは同じ。「プラトンって人は、人間は最初から知っていることしか、知れない、と考えました。経験は、知っていることを、思い出しているだけ、って意味ね」という部分については、今考え中。

 非嫡出子や同姓婚、体外受精の非嫡出子問題など、科学の進歩によっていろいろな問題が出ているが、基本はあっていいと思う。
 人間社会が長い年月をかけて形成してきたものだ。
 それを1+1=2でぶった切っていけば、いろいろと矛盾も出てくる。
 (数学の世界でさえ、矛盾しているんだから)
 「基本はあるが、例外もOK」くらいがちょうどいい。。
 法律的金銭的不利益は問題かもしれないが、そんなことに負けないで堂々として生きていればいいと思う。

 ただ、最近の同性愛の市民権取得にはある種の意図を感じる。
 (あちらの方々?脳=都市=人工?人口を減らす?秩序の崩壊?)

 50歳くらいになると簡単だけど、中学2年生くらいには難しいのかも。(頭の外側も内側もグレー
 原理主義には陥らんでね。

書いてみると、書かなきゃよかったと思う。「う~ん」と口に出さずに心の中で思っていることなのだろう。眉をひそめながらも。
これを書くことと、同性愛の市民権を叫ぶことは、同じことである。ということがよくわかった。

「南京大虐殺」があった、なかった。「慰安婦」がいた、いない。同じような気がするな~。言ってしまうと、喧嘩になるね。

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十六夜

2013年08月25日 | あきらめる 

 雑木林の中を、十六夜に見守られながら歩いている。吸い込まれそう
 いつもと違う左手に荷物を持ち、いつもと違う右手を強く振る。
 すると、この右手が誰のものかわからなくなる。

 草木、道、鳴く虫、風、月…。
 全てが「自分」だ。
 一瞬、宇宙の一部になる。

 そういえば、仏門に入るために右手を切り落とした者がいた。

 自分の体を、あえて痛めつける必要はない。
 同じように、あえて他の植物や動物、人を痛めつける必要はない。
 我々は、必要な時に他の植物や動物を殺して食する。
 ならば、必要な時には、進んでその命を差し出さなければならない。

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山の登り方

2013年06月28日 | あきらめる 

 一昨日までの「宗教4部作」、いかがでしたか。「おっぱいに陰毛」じゃないよ
 これらが本当の宗教であり、「生き方」。

 全て同じことを言っている。
 要は山の登り方。
 山の登り方に、「正しい道」があるわけではない。
 それこそ、人の数だけ存在する。
 道に迷ったり、途中で立ち止まったり。
 引き返さざるを得ない時もある。
 回り道、大いに結構。
 ただ、頂上は一つである。

 宗教?そんな面倒なことはわからん、と言って、すべきことをちゃんとしている頑固親父。
 それも立派な「生き方」=「宗教」。
 「哲学」も同じ。

 ストリップも立派な「生き方」。
 踊る賢者に、見る阿呆。
 どちらも立派な「生き方」=「宗教」

前にも書いたけど、今は、「最短コース」、「近道」、「ズル」を求めすぎている。途中で人を助けたりもしない。むしろ、蹴落とそうとしている。これでは山を登る意味がありません。

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ちょっとだけよ~♪

2013年06月26日 | あきらめる 

 で、今回は「ストリップ」の話あんたも好きね~♪

 ストリップは好きだ。
 何回くらい行っただろう。
 もう、すっかり減ってしまったけど。
 最後は、浅草ロック座だったな~。(遠い目)

 浅草ロック座は金がかかっている。
 踊り子さんが若くてきれい。
 音楽や踊り、演出や照明もプロの手が入ってる。(たぶん)
 最後は20人くらい一斉に出てきて、どれを見ていいかわからなかった。

 でも、好きなのは「場末」のストリップ。
 温泉街のつぶれそうな小汚いストリップ小屋。
 いいねえ~。(実際つぶれたけど)
 金が足りなくて、図書券で入れてもらったこともあった。(何で温泉行くのに図書券持ってるのがいたんだ?)
 入る時の呼び込みとの交渉は必須。

 ひと月に3回行ったとこでは、踊り子さんとステージで踊ったり、跳ねてから踊り子さんと飲みに行ったりした。(もちろん、おばさん)
 その踊り子さんの特技は秘技「野菜飛ばし」。
 キャッチできないと千円取られる。
 キャッチすると、ビニ本かバイブがもらえる。

 他にも、「花電車」、「白黒ショー」などがあるが、すごかったのは、ばあちゃんが「網々」で出てきた時。全身「網」。
 「花電車」については詳しく書けないが、「生花」「金庫」「鈴鳴らし」「お習字」「台車引き」「産卵」「バナナ切り」「吹き矢」「ホタル」「リンゴ切り」「タバコ」「ラッパ」「吹き戻し」などがあるらしい。
 
あそこに入れた筆で書いた書を家に持って帰って、奥さんに怒られた人もいる。
 「まな板ショー」は男には無理。
 やたらと観客席の方を向いて踊り子さんが笑っているので見てみると、客が女将さんみたいな人にしごいてもらっていた、なんてこともあった。

 単に「女の裸」を見に行くわけではない。
 脱ぎ方、その焦らし方。
 そして、客とのかけあい。

 かわいそうなのは、裸で出てきて、つまらなそうに踊っている外国人の若い娘。
 見ていて気の毒になった。

 何よりも情けないのが、かぶりつきで見ている男の顔。
 自分も、あんな顔してんのかな~と思うと。
 酔いながらも、そんなこと考えてた。

 「コント55号」や「たけし」はストリップで鍛えられた。
 インターメッツォー。
 何せ、女の裸を見に来た酔い客に漫才聞かすんだからね。

 そりゃ大変だわ。

 ストリップは「プリミティブ」な仕事だと思う。
 自分の体一つで食っていく。
 大事なのは機転。
 「あしらい」だね。
 それは、水商売全てに言えること。

 日本最古のストリッパーはアメノウズメ。
 彼女がアマテラスオオミカミを天の岩戸から出した。

英語はよくわからないが、「primitive」と聞いて思い浮かぶのは「パンダ」と「ストリップ」。「原初的」なんて言うよりわかりやすい。
それにしても、どうしようもないのは「キャバクラ」。もてなしていない。客が金を払い、気を使っている。男が女をもっと育てんと。酔っ払いが求めているのは若くてかわいい女じゃない。

 

つづく…

 

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和而不同

2013年06月24日 | あきらめる 

 儒教の話武者小路実篤書

 だいたい、出入り口は一畳くらいの大きさである。
 つまり、幅は90cmくらいなので、入る者と出る者が一緒にすり抜けるのは難しい。
 どちらかが待たなければならない。
 どちらが待つのか、待ってもらったらどうするのか。

 それが儒教だと思う。

 複数の人間がいれば、必ず対立は起こる。
 その時にどうするか。
 法律なんかでがんじがらめにするのではなく、入り口の出入りのように生きていけばいいではないか、と言っている。

 コンビニに入る時、後ろの人のためにドアを開けたまま支えておく。
 そうされたら、軽く会釈をする。
 多くの人が自然にやっていることだと思う。

 廊下を歩くのと一緒である。

 ただし、イライラしていたり、急いでいる時は、ぶつかってしまう。
 あとは、わざとぶつかるか。

 人生も同じ。
 廊下を歩くように生きたいものだ

譲る、譲られるは勝ち負けではない。だけど、譲った者の「勝ち」だね。「余裕」である。

つづく…

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上善如水

2013年06月22日 | あきらめる 

 道教の話。

 「無為自然」とは何か。おいしい水
 「無為」は為す無かれ。つまり、「するな」
 「自然」は自ずから然り。つまり、「当たり前のことをしろ」
 すなわち、「余計なことはしないで、当たり前のことをしましょう」という意味。

 簡単に言うと、「コツをつかむ」ということ。
 コツをつかめば、何も考えなくてもできる。
 一番わかりやすいのが、自転車に乗れた時のこと。補助輪を外して後ろから押さえてもらって、ある時ふと乗れるようになる。
 あの瞬間。
 我々は歩く時に、はい右足を出して、次に左足を出してとは歩いていない。歩くコツをつかんでいるから。
 目をつぶっても、字を書くことができる。コツをつかんでいるから。でも、いい字を書くのは、一生かかっても難しい。
 音楽をやる人は、音符や弦、、鍵盤を見なくても楽器を弾くことができる。けれども、最高の演奏となると話は別。永遠のテーマ。
 スポーツ選手は、プレッシャーがかかろうと、体調が悪かろうと、いつものプレーができるように、何度も同じ練習を繰り返す。

 何も考えずに何かをするというのは、非常に難しい。
 例えば、落ちているごみを拾う。
 こんなことすら難しい。
 「面倒」「恥ずかしい」「いいことをした」…。何かしら考えてしまう。

 朝、毎日布団をあげている人は、何も考えずにやっているだろう。
 ところが、たまにやる人は、「面倒だなあ」と思ってしまう。

 我々が無心になれるのは、ゲームをやっている時。
 腹も減らない、小便も忘れる、眠くならない。
 嫌なことをやっている時と大違い。
 あれだけ集中して仕事ができればねえ。

 道教は「仙人」のイメージ。
 そういえば、たまに空を飛べた夢を見る。飛んだといっても、4~50cm浮かんでるだけだけど。そして、「やった」と思った瞬間に落ちてしまう。夢の中でさえも。

「上善如水」はうまい。好きな酒である。水は高い所から低い所にただ流れるだけ。岩があれば上手にいなしながら流れる。確かに、水みたいに生きれればいいよね。

 

つづく…

 

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諸行無常

2013年06月20日 | あきらめる 

祗園精舎の鐘の声    諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色    盛者必衰の理をあらはす
驕れる人も久しからず   唯春の夜の夢のごとし
猛き者も遂には滅びぬ  偏に風の前の塵に同じ

 仏教の話。

 仏教には神様が出てこない。
 人間ゴータマ・シッダールタに湧き出た教えである。
 宗教というよりも生き方。おごれる人も…

 仏教の言っていることは簡単。
 たった二つのことがわかればいい。
 「諸行無常」と「諸法無我」
 これがわかれば、苦しみから逃れられる。
 しかも、一つは、日本人なら全員わかっている。
 もう一つが面倒だけどね。

諸行無常
 字の通り。永遠なものはない。日本人が、桜や花火を美しいと感じるのと一緒。はかないから美しい。これは簡単。

諸法無我
 これも字の通り。自分はない。こりゃ面倒だね~。例えば、自己紹介をしたとする。名前、性別、年齢、仕事、趣味とか、いろいろ自分のことを説明するかもしれない。一通り終わったところで、「では、そう話しているあなたは誰ですか」と問われたら、何も答えられない。自己紹介は、すべて他との比較にすぎない。自分を見ているもう一人の自分。それを見ているもう一人の自分・・・。自分は無限にいる。よくわかってないのだが、一応答はある。でも、それを聞いたってわからなければわからない。これは難しい。

 要は、「永遠」と「自分」がないことがわかれば、悟りを開けます、ということ。
 簡単でしょ?

 言っていることはシンプルだが、当然実践は難しい。

 別な言い方をすれば、「こだわるな」ということ。
 「永遠」と「自分」にこだわっているから、苦しい。

 「こだわらない」話を三つ。

 一つ目。ある屁理屈を言う人が出家しようとして仏門をたたいた。そこで師匠にイチャモンをつける。「仏教はこだわるなと言っているのだから、どんな髪型をしても、どんな服を着てもいいでしょう」。師匠いわく、「こだわらないんだったら、髪の毛を剃って、決められた服を着なさい」。「どうでもいいじゃね~か」は「どうでもいい」のではなく、「自分勝手にさせろ」ということ。北朝鮮になっている。

 二つ目。師匠と弟子達が旅をしていた時、川を渡れないで困っている女の人がいた。そこで、師匠はその女の人ひょいと持ち上げて渡らせてあげた。しばらくして、弟子達は師匠に聞いた。「さっき師匠は女の人に触れましたけど、よかったのでしょうか」。師匠いわく、「おまえ達は、まだそんなことにこだわっていたのか」

 三つ目。一休さんの話。(有名な破戒僧)ある時、結婚している奥さんと酒を飲んでいた一休さんは、酔払って「今晩やらせてくれ」と言った。奥さんは当然、「主人がいるのでダメです」。次の日、奥さんは主人に相談する。「あの有名な一休さんから、やらせてくれと言われたんですが、どうしましょう」。主人いわく、「じゃあ、一回やらせてやれば」。その晩、再度一休さんの元へ。「では、今晩お願いします」。そしたら一休さん、「オレそんなこと言ったっけ」

 「明らめる」も仏教語。「諦める」ではない。
 できないことはできない、やらなければならないことはやらなければならないということ。
 人間、大きいことは明らめている。
 どうしても子供を産みたい男はいないでしょ。
 が、小さいことはなかなか明らめられない。
 嫌な仕事は、嫌だよね。
 どうせやらなければならないんだから、「嫌だ」と思う分もったいない。

 はかないから、テキトーに生きるんじゃなくて、一瞬一瞬を大事に生きる。
 それが「一期一会」。
 皆、一秒後に死ぬ可能性はある。(徒然草四十一段)
 2013年6月20日12時30分00秒は、二度とない。
 毎日毎日、一瞬一瞬を大事に生きていれば、全然違うよね。

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま  けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす

一休さんと違って、大事な時にとぼけて、大事じゃない時にとぼけられない人生だったな…。

つづく…

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おらは死んじまっただ~♪

2013年05月30日 | あきらめる 

 死んだらどうなるのか。オレ
 死んで生き返った者は一人もいないから、誰もわからない。

 ある時、長距離バスに乗っていて、ウトウトしながら考えた。
 「もしも運転手が居眠りしたら、オレは死ぬんだろうな。そしたら、どうなるんだろう?」
 朦朧とした頭の中に、大草原で生きている少年の姿が現れた。
 その少年は言った。
 「オレだよ。オレ」

 草原のイメージは、たぶん、後継者は生まれ変わりを探すというダライ・ラマの話の影響を受けていると思う。

宝くじが当たったら、どうする?最高の使い道はこう。まず、金塊か何かに換えて、それを隠して暗号の地図を残して死ぬ。誰が見つけるんだろう、どうなるんだろう。ワクワクしながら死ねるよ。

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塩梅

2013年05月18日 | あきらめる 

 塩梅と書いて「あんばい」と読む。近頃あまり耳にしなくなった言葉だが、方言ではない。辞書を引くと、①味かげん、②体や天気のぐあい、とある。ちなみに「かげん」は加減と書き、プラスとマイナスのことだ。塩と梅酢で料理の味を調えることから来ているらしい。

 ほとんど料理はしないので偉そうなことは言えないが、何かを作る時に計量カップなどを用いたことはない。いつも目分量だった。これは面倒臭いからなだけで、計量カップに意味がないと言っているのではない。ただ、料理の本の通りに作れば、誰もがおいしい料理を作れるかというとそうではないだろう。それは上手下手というよりも、素材や温度・湿度、火加減(また「加減」)など他の要素が、味に微妙に関係しているからなのではないか。つまり、長年の経験に基づくカンが最後にものをいうのである。だから、料理のコツは教えられるのではなく、盗むものだと言われるのだろう。それくらい「塩梅」は大切で難しいものなのだ。

 このことは何も料理に限ったことではなく、様々な仕事や人間関係にも言えることだと思う。そして、生き方にも「塩梅」が必要なのである。これは、目分量で塩コショウをふるように適当に生きればよいという意味ではない。例えば、その人の業績も性格も知らないのに、会った途端にその広さと深さに圧倒されてしまい、自分の小ささをいやがうえにも思い知らされるということがある。その人こそ、人生の「塩梅」を自然に身につけている人なのではないだろうか。

 そのためにはどうすればよいのか。生き方に料理のようなレシピはない。誰も教えてはくれない。自分でつかみとるしかないのだ。ただ、やり方はある。それは頭で考えるのではなく、心で感じとること。人生は方程式を解くようにはいかない。だから、いろいろな条件をインプットして損得を考えて答をはじき出すのではなく、心に耳を傾けなければならない。なぜならば、心は嘘をつけないからだ。人をだまし、いくら自分に言い訳しても、心まではだませない。ふと立ち止まって、じっと心の声に耳を傾けてみよう。そうすれば、自然に人生の「塩梅」が身につくのではないだろうか。

塩梅は、昔からの調味料である塩と梅酢の塩梅(えんばい)と、物事をうまく処置するという意味の按排(あんばい)とが混同された言葉らしい。
18日は「再掲の日」ではなく、「まじめな日」とする。このブログの掟は、日本国憲法と違ってコロコロ変わるのだ。

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反対の賛成の反対は賛成なのだ

2013年05月11日 | あきらめる 

神々の宴に招かれなかった争いの女神エリスは、宴の席に金のリン美人コンテストゴを投げ入れた。そのリンゴには、「最も美しい女神に」と書かれてた。そのリンゴをめぐり、ゼウスの妻ヘラ、知恵の女神アテナ、愛の女神アフロディーテの三美神が競った。その美人コンテストの審判をトロヤの王子パリスが命じられて、ヘラは最高の権力を、アテナは最高の知恵を、アフロディーテは最高の美女を与えると約束したが、パリスはアフロディーテに金のリンゴを差し出した。最高の美女とはスパルタ王妃ヘレネで、彼女をパリスが奪ったことから、木馬で有名なトロヤ戦争が始まる。

 ギリシア神話は、人間の心理を実によく表している。
 今まで仲良く飲んでいたのに、「一番美しいのは誰?」なんて言葉を聞いてしまうと、「私こそ」とか「あの人よりは」という気持ちがわき起こってくる。

 これが、脳=男の働きであり、二元論であり(白黒はっきりつける)、「不二草紙」のいう「モノのコト化」である。(煩悩とも言う)
 言葉とは、かように恐ろしいものである。

 もともと灰色(グレーゾーン)のものに「白黒はっきりつける」。
 いいことのようだけれど、実は無理がある。

 今まで書いてきたこともそう。
 例えば、「結婚して子供がいるのが基本」と書いてしまえば、それ以外はダメなのかととらえられる恐れがある。
 書くのが面倒だったり、わざと書かなかったり、書く力がなかったり。
 ニュアンスまでは、なかなか伝えられない。

1.基本以外は認めない=原理主義
2.基本はあるが、例外もOK
3.基本はそうだけれど、例外の権利を認めろ
4.基本なんてない。何でもいいじゃないか

 正解は2。
 例えば同性愛。今は、3~4にいっちゃっている。

 これらは「本能」の話。後の2つ、「倫理」と「その他」とをしっかり分けなければならない。

1.本能
 生と性に関すること。つまり、食と性。基本はあるが、例外もOK。
2.倫理
 殺人や盗み、嘘など、人としてやってはいけないこと。世界共通。例外なし。
3.その他
 政治、宗教、経済、文化、学校の文化祭の出し物、会社の飲み会の場所、等々。
 これは何でもいい。ある集団が納得して行えばいい。ダメだったら変える。
 だから、学校の文化祭と政治は同じレベル。実は結婚や人生もそう。
 理想の異性とか、失敗しない人生、合格の近道なんて考えてるからダメ。

 これらのことが案外区別されてないから、訳わかんなくなったり、レトリックにだまされてしまう。

 話を元に戻すと、言葉で固定化されたものをほぐしたり、とらえきれないものを表現するのが、「芸術」の力。

 バカボンのパパは、「反対の賛成の反対は賛成なのだ」 「これでいいのだ」と言った。
 同じことを仏陀は、「空」と表現した。

やっぱり、「陰毛論」でよかったんだ。「枯れ尾花」が混じってグレーゾーンに。画像はご勘弁を。

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廊下を歩くように(再掲)

2013年04月17日 | あきらめる 
 おいしいものを食べたことがあると思うが、その時の味を覚えているだろうか。
 もし覚えているとすれば、それは本当においしいものではない。
 本当においしいものの味は表現できないので、覚えることができないからだ。
 ちなみに、今まで3回あるが、そのうち一つは食べたものすら忘れてしまった。
 たぶん人間は、自分にとってマイナスになることを記憶するようにできているからではないか。危険を避け、身を守るために。

 同じように、我々は当たり前の行動をあまり覚えていない。
 当たり前のこと、すなわち、よいことをした時のことは、案外覚えていないのだ。
 例えば、コンビニのドアを後から来た人のために少し開けて待つ。
 俺っていいやつだなあと、湯船につかりながら、しみじみと振り返る人はあまりいないと思う。

 そう、当たり前なこと=よいことは、わざわざ意識して取る行動ではなく、さりげなく行うことなのである。
 だから、しっかりと身につけなければならないし、そうでなければ、こうした行動をとることはできない。

 今日は廊下で何人の人にぶつかっただろうなどと毎日振り返る人はいないだろう。
 廊下を歩く時に、他人とぶつからないように歩くということは、当たり前のことだからである。わざわざ好き好んでぶつかっていく人はいない。

 しかし世の中、敢てぶつかっていく人の何と多いことか。
 駄々をこねたり、物や人に当たったり。
 耳をふさぎたくなるようなひどい事件。
 国家による大量殺人=戦争。
 わざわざぶつかるということは、いちゃもんをつけるということだ。
 意見の衝突や1対1の喧嘩とは違う。

 廊下で人にぶつからずに歩くのは簡単だが、人生をそういうふうに生きるのは、結構難しいことに気づく。
 なぜだろう。答は簡単だが、実践は難しい。
 
毎月18日を「再掲の日」と定むる。が、故あって前倒し。渡り廊下走り隊。
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100-3=97

2013年04月07日 | あきらめる 

三つ子の魂百まで

 人は3歳くらいまで記憶がないが、この間で「自分」というものが形作られるという。
 そして、ここで大体の性格が決まるらしい。

 ということは、とんでもない性格になった場合、例えば、利己的な人間となった場合、100歳まで生きるとすると、残りの97年を費やして、性格を改善しなければならないことになる。

 もちろん、3歳以降の躾のしかたや、体験により変化もあるだろうが、特に家庭環境は3歳までと3歳以降で大きく変わることは少ないと思う。

 3歳までに培われたものが元となって、煩悩が形成されるのかもしれない。
 残りの97年間で煩悩をなくすのは至難の業である。
 よほどの覚悟がないと難しい。

 しかも、最近つくづく感じるのは、歳を取るにつれて、その煩悩は強く凝り固まってくるのである。
 特に、酒を飲んで酔っ払った時に出やすい。
 ちょっと油断している時に顔をのぞかす。

 周りの人はだいたいわかっているのだが、いい歳をした者にとっては、恥ずかしい限りだ。
 だから、早めに直しておかなければならないのである。

 最近は、飲む度に自己嫌悪に陥る。
 酒も弱くなっているから、なおさらである。

 「三つ子の魂百どころか」
 感覚的にはこっちだ。
 50歳くらいまでに改善しておかないと、悪い方向にどんどん加速していく。

 100-50-3=47
 勝負はここまで。

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マインドコントロール

2013年04月03日 | あきらめる 

 以前、「シューキョー」の話をしたのを覚えとるかの?
 ワシはもうすっかり忘れっぽくなったが、お前さんがたはまだ大丈夫じゃろ。

 「洗脳」の話を聞いて、「宗教」はおっかないと思ったもんもいたと思うが、もう一度言う、あれは「シューキョー」、偽宗教の話じゃ。

 ところでの、今の日本人が「洗脳」されているのをご存知か?
 皆が、2つの「シューキョー」に、知らぬ間に入っておるんじゃよ。それはの、

  拝金教
  お勉教 じゃ。

 それはそれは、恐ろしいもんでな。
 なにせ、いつ入ったかも気づかせなんだ。

 くわばわ、くわばら。

春の選抜。なんか「ねらわれた学園」に出てくるような名前の高校ばっかになっちまったな。どうせ、外人部隊ばっかか?まあ、運動教は体を動かす分、お勉教よりましか。思い通りにならない部分が多いからね。健康教はだめだけど。

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はなたれのビエン

2013年03月23日 | あきらめる 

 花粉症の季節である。

 花粉症は小さい頃から患っていたので、長いつきあいとなる。
 眼科や耳鼻科に通っていたが、前は病名さえなかった。
 そこで言われたのは「大人になれば治る」。

 一旦発症すると、ほこり等にも反応するので厄介だ。
 近頃はいい薬もあり、様々なグッズも出ているが、これだという決め手はない。
 そこで、花粉症歴の長い者から特効薬を披露。


 それは「あきらめる」こと。
 どうせいつかは収まるのだから。

 毎年、桜と共に去りぬ。

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