あーなるほど! こうやって考えればいいのか〜。
こうして書いていくと,よく解ってきます。
でしょう?わかるっていいよね^^
はい! わぁ なんだか楽しくなってきたぞー。
なんか一人でもできそうな気がしてきた。
できるよ。できるって^^
楽しくなってきたらチャンスだよ! もっと,わかってくるから。
それでね,わかるとまたもっと楽しくなってくるから♪
ホントよ〜^^
よし わかったぞー。早速今夜,家でやります!
うん^^ そうするといいよ。忘れないウチにね♪
じゃ がんばって^^
◆◇◇◆◇◇◆
とても嬉しいことだ。
何が?
人に教えたことがわかってもらえて,
尚且つ
「できそう・やれそう」「楽しい!」と感じて貰えること。が。
◆◆◇◇◆◇◇◆◆
今夜の授業は大学受験講座の現代文基礎だった。
効率を図るため,
受講生の隣で長文の音読をしながら,
問いに対する本文内容の解説と解答解説を併行して行っていく。
テキストは,彼女の志望大学の過去問(通称「赤本」)。
国語(に限らない)長文問題は,本文の読解が欠かせない。
しかし,その読解の具体的な方法や,読解そのものを支える基礎力は,
高校までの授業で充分に培われていないのが,多くの現状である。
◆◇◆◇◆
今夜の授業の中では,読解の学習において最も必要なことを併せて解説した。
1.語彙を増やす努力は泣いてでもしよう。
2.その作業を怠っては,正確な読解は養えない。
3.初めつまらない作業だと思っていても,ある時作業のつまらなさが消える。必ず。
4.つまらなさが消えたら,或る程度基礎の入力ができたということ。
5.ここで作業をやめないこと。
6.基礎入力ができると,読み込みや読み取りのスピードがあがる。必ず。
7.基礎入力に頼りながら,本文につかわれている言葉の類推ゲームを開始しよう。
8.類推ゲームが読み取り(読解)の鍵になる。
9.読解の鍵を支えるのは語彙という基礎の力。
10.類推ゲームを視覚化していこう。
上記のような内容を
目の前の例文問題文に沿って,個々の事例を具体的に説明してゆく。
ノートやプリントやテキストに,書き込んでいく。書き込ませていく。
電子辞書をその場で引いて確認させる。自分も引く。
テキストに書かれた言葉を
他の言葉で分解し,いじくり回し(連想・類推),元の言葉と突き合わせる。
言い換えられた表現を見つけ出す。
問われたことの本質を考える。
訊かれたことに対する答えを探し出す。
◆◇◆◇◆
「書き言葉」を読み解く作業は,「話し言葉」によって助けられてゆく。
書き手の「書き言葉」は書き言葉であらわした書き手の「アタマの中のコトバ」だ。
↓
書き手の「アタマの中のコトバ」を音声で「話し言葉」にすることで,読み手は聞き手となる。
↓
書き手の「アタマの中のコトバ」は「話し言葉」で翻訳(置き換え)され,聞き手のアタマの中に入る。
↓
聞き手のアタマの中に入った置き換えられた「話し言葉」は,聞き手の「アタマの中のコトバ」に置き換えられる。
↓
聞き手の「アタマの中のコトバ」は聞き手にとっての「書き言葉」だ。
↓
「書き言葉」となった聞き手の「アタマの中のコトバ」を,目の前の書き手の「書き言葉」と突き合わせる。
↓
聞き手の「書き言葉」と書き手の「書き言葉」がはじめて並ぶ状態になる。
↓
聞き手の「アタマの中のコトバ」と書き手の「書き言葉」が一致する。
↓
書き手の「書き言葉」が聞き手(=読み手)の腑に落ちて納得。
↓
書き手の「書き言葉」は読み手の「書き言葉」となり,読み手は理解する。
この過程を経ているときに,大事なことがひとつ。
「書き言葉」の読み手が「話し言葉」の聞き手となってからは,特に
聞き手は,自分の「アタマの中のコトバ(書き言葉)」を
できるだけ明確にしておかなくてはならない。
なぜなら
聞き手の「アタマの中のコトバ」は文章には書き表されておらず,
みえないからである。
みえないコトバは,「書かれた言葉」のようには
読んで確認することが出来ないからである。
聞き手は,聞き手の「アタマの中にあらわれたコトバ」に集中しなくてはならない。
そして
聞き手の「アタマの中にあらわれたコトバ」の意味を,正確にしらなければならない。
疑問や不明や曖昧な点をそのままにして,「話し言葉」を聞いてはいけない。
曖昧なままにした「(翻訳された)話し言葉」は,
もとの「書き言葉」の意味とずれてしまっているかもしれない。
もとの書き手の「書き言葉」と聞き手の「アタマの中のコトバ」がずれてしまったら,
聞き手=読み手 の「書き言葉」と 書き手の「書き言葉」もずれてしまう。
それでは 書き手の意図が読み手には理解されないままに終わってしまう。
(読み手の傍で音読や解説をする講師は
この疑問点・不明点を明らかにする手助けをするために いるのだ。
利用して 読み手としての自分の「アタマの中のコトバ」を明らかにしていくことだ。)
◆◆◇◇◆◇◇◆◆
同じ読むなら 意味をしるために読みたいし,
意味を知って読んでもらいたい と思う。
すこしでも意味を知って 書いてある内容がわかったと感じられるなら,
それは 知る楽しさ・わかるよろこびへの一歩なのだ。
知る楽しさが わかるよろこびが 感じられるなら,
人はきっと 問いの答えを自らみつけ出していける。
問いさえも 探し出してゆける。
探し出す力を持つのは 結局その人だ。
探し出す力を引き出すのは 自分だ。
このことが 少しでも実感してもらえれば,
受験なんて苦しくも何ともないのに。
学ぶことは 知ることは わかることは とても楽しくて悦びに溢れているのだから。
◆◇◇◆◇◇◆
ガッコウやカテイの中でがんじがらめになって
何をしたいかが みえなかったり
何をしたほうがよいのか 考えられなかったりする人たちに
そう 声を大にして伝えたい・・・
こうして書いていくと,よく解ってきます。
でしょう?わかるっていいよね^^
はい! わぁ なんだか楽しくなってきたぞー。
なんか一人でもできそうな気がしてきた。
できるよ。できるって^^
楽しくなってきたらチャンスだよ! もっと,わかってくるから。
それでね,わかるとまたもっと楽しくなってくるから♪
ホントよ〜^^
よし わかったぞー。早速今夜,家でやります!
うん^^ そうするといいよ。忘れないウチにね♪
じゃ がんばって^^
◆◇◇◆◇◇◆
とても嬉しいことだ。
何が?
人に教えたことがわかってもらえて,
尚且つ
「できそう・やれそう」「楽しい!」と感じて貰えること。が。
◆◆◇◇◆◇◇◆◆
今夜の授業は大学受験講座の現代文基礎だった。
効率を図るため,
受講生の隣で長文の音読をしながら,
問いに対する本文内容の解説と解答解説を併行して行っていく。
テキストは,彼女の志望大学の過去問(通称「赤本」)。
国語(に限らない)長文問題は,本文の読解が欠かせない。
しかし,その読解の具体的な方法や,読解そのものを支える基礎力は,
高校までの授業で充分に培われていないのが,多くの現状である。
◆◇◆◇◆
今夜の授業の中では,読解の学習において最も必要なことを併せて解説した。
1.語彙を増やす努力は泣いてでもしよう。
2.その作業を怠っては,正確な読解は養えない。
3.初めつまらない作業だと思っていても,ある時作業のつまらなさが消える。必ず。
4.つまらなさが消えたら,或る程度基礎の入力ができたということ。
5.ここで作業をやめないこと。
6.基礎入力ができると,読み込みや読み取りのスピードがあがる。必ず。
7.基礎入力に頼りながら,本文につかわれている言葉の類推ゲームを開始しよう。
8.類推ゲームが読み取り(読解)の鍵になる。
9.読解の鍵を支えるのは語彙という基礎の力。
10.類推ゲームを視覚化していこう。
上記のような内容を
目の前の例文問題文に沿って,個々の事例を具体的に説明してゆく。
ノートやプリントやテキストに,書き込んでいく。書き込ませていく。
電子辞書をその場で引いて確認させる。自分も引く。
テキストに書かれた言葉を
他の言葉で分解し,いじくり回し(連想・類推),元の言葉と突き合わせる。
言い換えられた表現を見つけ出す。
問われたことの本質を考える。
訊かれたことに対する答えを探し出す。
◆◇◆◇◆
「書き言葉」を読み解く作業は,「話し言葉」によって助けられてゆく。
書き手の「書き言葉」は書き言葉であらわした書き手の「アタマの中のコトバ」だ。
↓
書き手の「アタマの中のコトバ」を音声で「話し言葉」にすることで,読み手は聞き手となる。
↓
書き手の「アタマの中のコトバ」は「話し言葉」で翻訳(置き換え)され,聞き手のアタマの中に入る。
↓
聞き手のアタマの中に入った置き換えられた「話し言葉」は,聞き手の「アタマの中のコトバ」に置き換えられる。
↓
聞き手の「アタマの中のコトバ」は聞き手にとっての「書き言葉」だ。
↓
「書き言葉」となった聞き手の「アタマの中のコトバ」を,目の前の書き手の「書き言葉」と突き合わせる。
↓
聞き手の「書き言葉」と書き手の「書き言葉」がはじめて並ぶ状態になる。
↓
聞き手の「アタマの中のコトバ」と書き手の「書き言葉」が一致する。
↓
書き手の「書き言葉」が聞き手(=読み手)の腑に落ちて納得。
↓
書き手の「書き言葉」は読み手の「書き言葉」となり,読み手は理解する。
この過程を経ているときに,大事なことがひとつ。
「書き言葉」の読み手が「話し言葉」の聞き手となってからは,特に
聞き手は,自分の「アタマの中のコトバ(書き言葉)」を
できるだけ明確にしておかなくてはならない。
なぜなら
聞き手の「アタマの中のコトバ」は文章には書き表されておらず,
みえないからである。
みえないコトバは,「書かれた言葉」のようには
読んで確認することが出来ないからである。
聞き手は,聞き手の「アタマの中にあらわれたコトバ」に集中しなくてはならない。
そして
聞き手の「アタマの中にあらわれたコトバ」の意味を,正確にしらなければならない。
疑問や不明や曖昧な点をそのままにして,「話し言葉」を聞いてはいけない。
曖昧なままにした「(翻訳された)話し言葉」は,
もとの「書き言葉」の意味とずれてしまっているかもしれない。
もとの書き手の「書き言葉」と聞き手の「アタマの中のコトバ」がずれてしまったら,
聞き手=読み手 の「書き言葉」と 書き手の「書き言葉」もずれてしまう。
それでは 書き手の意図が読み手には理解されないままに終わってしまう。
(読み手の傍で音読や解説をする講師は
この疑問点・不明点を明らかにする手助けをするために いるのだ。
利用して 読み手としての自分の「アタマの中のコトバ」を明らかにしていくことだ。)
◆◆◇◇◆◇◇◆◆
同じ読むなら 意味をしるために読みたいし,
意味を知って読んでもらいたい と思う。
すこしでも意味を知って 書いてある内容がわかったと感じられるなら,
それは 知る楽しさ・わかるよろこびへの一歩なのだ。
知る楽しさが わかるよろこびが 感じられるなら,
人はきっと 問いの答えを自らみつけ出していける。
問いさえも 探し出してゆける。
探し出す力を持つのは 結局その人だ。
探し出す力を引き出すのは 自分だ。
このことが 少しでも実感してもらえれば,
受験なんて苦しくも何ともないのに。
学ぶことは 知ることは わかることは とても楽しくて悦びに溢れているのだから。
◆◇◇◆◇◇◆
ガッコウやカテイの中でがんじがらめになって
何をしたいかが みえなかったり
何をしたほうがよいのか 考えられなかったりする人たちに
そう 声を大にして伝えたい・・・











書き言葉と、話し言葉についてです。
前の記事も読ませていただいていたのですが、なにせ議論下手な、直感的読解の私には、コメントができませんでした。
書き言葉、ってアタマの中のコトバのイメージ化ってことなんでしょうか。うわ、浅い理解っぽい。ごめんなさい。
解釈とか、テキストの理解ってことですよね。迷走が終わったばかりのアタマには、理論的過ぎてついていけてないので、自分の理解の仕方について書きます、ごめんなさい。
私は、自分が太刀打ちのできる文章か否か等により、理解の仕方が違います。自分の理解力を超えた文章の場合は、まず、自分の過去の経験、(読書による経験含む)に照らし合わせちゃう。それが取っ掛かりになり、するすると全てが納得できるときがあります。また、簡単に○×をつけながら読んでいく、○な感情とかいうようにね。その中で、何がどう○なのかを詰めていけば理解できていく。文章を書く人はたいてい、ひとつの光に向かって書いている。その光が何かわかれば、発光源も光の道筋もわかるって感じかな。
問題文は全て自分で読む。途中で問題を見ない。一読の間に、50時程度でまとめられる主テーマを読み取る(できれば、読み物として感動したい)その後に、問題文として取り掛かる。
ずいぶん、かささぎさんの趣旨からずれてしまいました。ごめんなさい。
うさとさんの書いて下さったこと 「書き言葉、ってアタマの中のコトバのイメージ化」まさしくその通りで使いました。
そして実は「自分が太刀打ちできる文章か否か」ここが問題だったりします。
うさとさんのように,少しでも沢山の刃(文章)と自分の刃(アタマの中のコトバ)を合わせたことのあるひとなら「太刀打ちできるか否か」は見極めが利くのですよ。
ですが,自分に刃があることさえ全くわからない 皆目見当も付かない状態では,太刀打ちどころか 刃そのものを錆びさせてしまう・・・これは読解以前の問題でしょう?(だから読解以前に,まずは自分の刃を見付けることからガイドすることになるのですね。)
自分の刃----洞窟を照らす蝋燭 とでも言い換えましょうか。
これが在ると少しでも気付くことができれば,あとは「文章を書く人」の書いた「たいてい、ひとつの光に向かって」行くこともできるし,「発光源も光の道筋もわかる」のです。
うさとさん^^ 自ら文系と公言されている方の「読解のやり方」という貴重な体験,お書き下さってありがとうございます。ずれてなどいませんから^^
試験には試験のやり方も存在するのは事実です。
時間内で取り組まねばならない人たちには,「自分の刃や蝋燭を頼りにすること」をこそ 気付いて貰わなければならないのですが,そのために効率よくスキルを上げることも現実としてはとても有効なのだ とここに書き添えておきます。
話し言葉が理解を助けるのは、応答や対話が存在するからではないかと思うんですよ。
で、関連記事を書いてみました。
昨夜、トラックバックを送ってから、何度か書き直しています。タイトルも変更していますので、ご了承ください。
記事を拝見致しました^^ 私の考えは 今のところKenさんのところへも記入を差し上げたとおりです。
私は「話し言葉」を,対話としてのコトバ つまり,コミュニケイション・ツールとしてのコトバとして捉えています。体験もないので,初めから 音声ブログ,ボイスメルマガ,ラジオDJなどでの一方通行の「話し言葉」は,除外して考えています。何故なら,私は対話を行いたいし,対話で伝えなくてはならないことがあるからです。
私にとっては,上述した「一通的な話し言葉」は,「書き言葉」に等しく位置付けられているということです。私自身,この「書き言葉 話し言葉」シリーズはまだ書きますので,ぜひ宜敷ご意見下さいませ。
ところで 単純な疑問なのですが,kenさんが音声ブログをやってみたいと思われたのは何が一番の理由なのですか?^^
渡辺さんのサイトに伺いました。神林長平の『言壺』は,大変気に入ってしまいました!
http://www.voiceblog.jp/kotoba/10598.html
渡辺さんの「表現読み」は,個人的にとても興味があります。私も絵本の読み聞かせをしておりましたが,淡々と読み進めるよりも,かなり演技的な表現(パフォーマンス)を行いながら読み進めておりました。コドモにはかなり受けますし,理解の大きな手助けになりやすいですから,私は自然と表現的な読みをしていたわけです。
「話し言葉」は音声を伴う上では「対話」であり,「相手(聞き手)の反応」が鍵だ と考えるのはこの点からもです。
渡辺さんの記事にこちらの拙記事をトラックバックをさせて頂きたいのですが,今のところ巧くいかなくて,少々困っております^^;
「声でよむ名作本」(昨日は太宰を二つ聴きました^^)は,よい企画ですね。他もこれから ゆるゆると味わいますので,これを御縁に これからもどうぞ宜敷お願い致しますね^^ コメント&トラックバック まことに有難うございました^^
・音声、画像、動画などを組み合わせたコンテンツを作りたいと思っている。
・人前で喋るのが好き。
といったところです。
続けていくうちに、他にも出てくるかもしれませんね。
そうですか。Kenさんは結構新しもの好きなんですね?^^ 開拓精神は素晴らしいですね。喋ることやら創ることがお好きなら,きっと楽しいものが出来ることでしょうね。今後に期待ですね^^ 有難うございました。
追伸:話し言葉 と書き言葉についてのテーマにちょっとしたヒントが見つかりました。後ほど記事に書いてみたいです^^