『木かげの家の小人たち』 いぬいとみこ 作 (福音館書店)
森山家のひとびとに守られて暮らしていたイギリスの小人たちと、森山家の女の子ゆりが、戦争の時代につらいときを経て外の世界へ踏み出していく物語。
ファンタジーとは何か、〈ファンタジーとは無意識を形象化したものではないか。〉無意識の領域には何があるのか。〈人はある生き方を選択し、生きていくけれども、その人格によって「生きられなかった可能性」は抑圧されて無意識界にある。〉
ひとは常にたくさんの選択をしながら生きています。その瞬間瞬間に選択されなかった可能性は山ほどあって、無意識の中にねむっているのかもしれません。ファンタジーにはそのねむったものをもう一度起こして、他人にも理解できるように表現したものが多いのではないでしょうか。
この物語では、戦時中に敵国出身の小人たちを守るゆりの、小さなものたちを守る気持ちが大切なものとして描かれ、それが戦争中に平和を願う気持ち、軍国主義が高まる中で自分の考えを大切にする気持ちと重ね合わされてもいます。しかし、人間から守られきりで、外の事を何も知らずにいる小人の自分を、少年の小人のロビンは、動物園で檻に入れられて窮屈そうな虎と重ね合わせています。そして、守ってくれる人間からもらうミルクでしか生きていくことのできないと思われていた小人たちが最後には自分たちのほうから人間のもとを離れ、外の世界で暮らしていくことを選びます。それまでは到底選択されるはずのなかった道を、戦争という波によって追い込まれたことをきっかけに、その波が去った後も選ぶことを決めました。
作者にとっては、戦争という大きな波に襲われてもしっかりと小人を守り抜く決意がファンタジーに近かったのかもしれません。物語の中では、小人たちにとっては、守ってくれる人間たちが毎日与えてくれるミルクを飲んで平和に暮らすというのが当たり前の暮らしであり、外の世界に出て行ってみるなんていうのは、それこそ無意識に押しやられた選択肢でありました。それは小人たちがそれまでは森山家の人々の強い主観で支えられていて、とりわけ、末っ子で芯が強いながらも少し甘えん坊で、小人たちにミルクをやる役割であったゆりの心の中を出て行けない存在であったとも言えます。
戦争が激しくなり疎開したゆりと小人たちは、そこで一歩自立することとなりました。守り育ててくれる家族や兄と離れてしまい知り合いのいない田舎で暮らさなければならなくなったゆりと、それまで毎日欠かされなかったミルクをもらえなくなる日がやってきてしまった小人たちは共に、それまでは思ってもみなかった世界があることに気付かざるを得なくなったのでしょうか。それはとても悲しいことですが、同時に外の世界へ踏み出すきっかけとして書かれてもいるのです。
さきに、ファンタジーとは、ねむった選択肢を理解できるように表現したものだという一面をもつ、ということを書きました。選ばれた選択肢が現実にわたしたちの生活となって、選ばれなかった選択肢たちは無意識下で眠り、想像世界のものとなっているとしたら、ファンタジーと実際の生活とははじめは同じ選択肢のうちだったと言えそうです。私にも、小人たちやゆりみたいに、何かをきっかけに思いもよらなかった世界がみえてきたり、それまで信じきっていたこととは違うように思えてくることがあるのでしょう。誰でもいつでも、今生きているのはファンタジーの一部で、そこから外の世界へ出て行くことの繰り返しが成長することだとも言えるのかもしれません。
〈〉内は抜き出し(宮川健郎『現代児童文学の語るもの』NHKブックス)
森山家のひとびとに守られて暮らしていたイギリスの小人たちと、森山家の女の子ゆりが、戦争の時代につらいときを経て外の世界へ踏み出していく物語。
ファンタジーとは何か、〈ファンタジーとは無意識を形象化したものではないか。〉無意識の領域には何があるのか。〈人はある生き方を選択し、生きていくけれども、その人格によって「生きられなかった可能性」は抑圧されて無意識界にある。〉
ひとは常にたくさんの選択をしながら生きています。その瞬間瞬間に選択されなかった可能性は山ほどあって、無意識の中にねむっているのかもしれません。ファンタジーにはそのねむったものをもう一度起こして、他人にも理解できるように表現したものが多いのではないでしょうか。
この物語では、戦時中に敵国出身の小人たちを守るゆりの、小さなものたちを守る気持ちが大切なものとして描かれ、それが戦争中に平和を願う気持ち、軍国主義が高まる中で自分の考えを大切にする気持ちと重ね合わされてもいます。しかし、人間から守られきりで、外の事を何も知らずにいる小人の自分を、少年の小人のロビンは、動物園で檻に入れられて窮屈そうな虎と重ね合わせています。そして、守ってくれる人間からもらうミルクでしか生きていくことのできないと思われていた小人たちが最後には自分たちのほうから人間のもとを離れ、外の世界で暮らしていくことを選びます。それまでは到底選択されるはずのなかった道を、戦争という波によって追い込まれたことをきっかけに、その波が去った後も選ぶことを決めました。
作者にとっては、戦争という大きな波に襲われてもしっかりと小人を守り抜く決意がファンタジーに近かったのかもしれません。物語の中では、小人たちにとっては、守ってくれる人間たちが毎日与えてくれるミルクを飲んで平和に暮らすというのが当たり前の暮らしであり、外の世界に出て行ってみるなんていうのは、それこそ無意識に押しやられた選択肢でありました。それは小人たちがそれまでは森山家の人々の強い主観で支えられていて、とりわけ、末っ子で芯が強いながらも少し甘えん坊で、小人たちにミルクをやる役割であったゆりの心の中を出て行けない存在であったとも言えます。
戦争が激しくなり疎開したゆりと小人たちは、そこで一歩自立することとなりました。守り育ててくれる家族や兄と離れてしまい知り合いのいない田舎で暮らさなければならなくなったゆりと、それまで毎日欠かされなかったミルクをもらえなくなる日がやってきてしまった小人たちは共に、それまでは思ってもみなかった世界があることに気付かざるを得なくなったのでしょうか。それはとても悲しいことですが、同時に外の世界へ踏み出すきっかけとして書かれてもいるのです。
さきに、ファンタジーとは、ねむった選択肢を理解できるように表現したものだという一面をもつ、ということを書きました。選ばれた選択肢が現実にわたしたちの生活となって、選ばれなかった選択肢たちは無意識下で眠り、想像世界のものとなっているとしたら、ファンタジーと実際の生活とははじめは同じ選択肢のうちだったと言えそうです。私にも、小人たちやゆりみたいに、何かをきっかけに思いもよらなかった世界がみえてきたり、それまで信じきっていたこととは違うように思えてくることがあるのでしょう。誰でもいつでも、今生きているのはファンタジーの一部で、そこから外の世界へ出て行くことの繰り返しが成長することだとも言えるのかもしれません。
〈〉内は抜き出し(宮川健郎『現代児童文学の語るもの』NHKブックス)
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