日本書紀

『日本書紀』は正式な国史だと言われている。しかし、その中身について本当に研究されたのかどうも疑わしい。

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佐渡島

2017年03月29日 | 日本古代史

2017.04.12 一部追記
2017.03.31 一部追記
2017.03.30 一部追記
2017.03.28

記紀に関して当時の執筆者や写本に携わった学者や僧侶の誤写や訂正、あるいは明治期から現代に至る改竄や加筆・書き換えの為に生じた誤読・誤訳・誤写・誤解を列挙すると限が無い。
もちろん、今迄書いて来たように遣唐使によって伝えられた知識や招聘した学者・僧侶の手による『日本書紀』は武周国を建国した「武則天(在位690-705 624-705)」を同時代の持統紀の記事に取り入れ
「天照大神を持統天皇(高天原廣野姫天皇)のモデル」に、
『日本書紀』記述の最後の年(697年)は「武周国」では同じ女帝の神功皇后の「神功 ジンク」、
次期天皇候補のはずの実子※草壁皇子の薨去には何ら葬儀を執り行わず、(天孫降臨のように)孫の軽皇子に譲位し、武則天が乾陵に皇帝と共に葬られたように持統天皇は天武天皇陵に合葬され、淡海三船は「則天武后⇔天武の皇后」とまで揶揄している。
その上に記紀の研究を怠たり考古学に頼ってきたきた学者が、学説で説明できない事を無視して何も言わない為に、その誤りが現在では記紀、ひいては世の中の常識となってしまっている。
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※草壁皇子の薨去記事
(持統紀 689年)夏四月乙未、皇太子草壁皇子尊薨。

皇太子の薨去記事は、この一行のみで「皇族の薨去に際しての恒例」の持統天皇の「驚き・悲哀・慟哭」などは何もない。仮に686年に崩御した天武天皇の喪の為に忙しかったとしても、これでは孫の軽皇子の成長とともに草壁皇子の死を待っていたと思われても仕方が無い。

【佐渡島と綿津見神】の誤解

『日本書紀』神代には佐度洲、欽明紀に佐渡嶋、『古事記』神代では佐度嶋とある現在の新潟県佐渡島(サドガシマ)という読みは明らかに古くからの誤読であり、もしも小学生から「佐渡島の サド はどういう意味」と聞かれた場合に大人は納得のいく説明が本当に出来るだろうか。
もちろん「ド」は記紀歌謡の一字一音や『萬葉集』の影響で慣れ親しんだ呉音で、一方の「サ」は「ウサ⇔宇佐⇔大神」や「サクラ⇔神座」の「神 サ」である。、すると「度・渡」を「ド」と読んだだけで、この「サド」という音(和訓の逆)には日本語としての意味はない。記紀の書かれた8世紀の初頭の読みなど我々には検証する方法がないにもかかわらず「日向・筑紫」と同様に学者は「(講釈師)見て(聞いて)来たように」「サドガシマ」と口を揃えて読んでいる。

「度・渡・※亘理・※済」は全て「ワタリ」と読み、「神(サ)渡(ワタリ) 神の渡来した」の意で「海神・綿津見神」を「ワタツミノカミ(渡津海神)」つまり「(孔子の云う九夷の一つ、根国・不老不死の国・蓬莱国と看做された日本に憧れて)海の彼方から渡来した神(例えば徐福)」を考えれば良く解るはずである。
※亘理
『続日本紀』巻八養老二年(718)割陸奥國之石城。標葉。行方。宇太。曰理
『続日本紀』巻廿九神護景雲三年(769)陸奥國…曰理郡
※濟
『日本書紀』景行紀 …濟、此云和多利
『日本書紀』仲哀紀 …自穴門至向津野大濟爲東門、以名籠屋大濟爲西門

ところが文化勲章を受章された故司馬遼太郎氏さえも(1971年から始まった)随筆『街道をゆく』の中で、-「わたつみのかみ」の「わた」は古朝鮮語の「海 パタ」から来ている-と解説されていた事を記憶している。恐らくは戦後に発刊された「きけ わだつみのこえ」や「ミ」は「神霊」を表すという学者の意見をそのまま書かれたものだろう。

しかし、朝鮮語の音「白 パク」が漢音では「白 ハク」という事を根拠に、「海 パタ」が「秦・幡・畑・旗 ハタ」になったと云っても、読みは「ハタツミノカミ」ではなく「ワタツミノカミ 綿津見神」であり、「綿は渡 ワタ」「見は海 ミ」で「渡津海神」となる(「津」を「渡し場」ととるか助動詞の「-した」なのかは不明)。その証拠になるかどうかは分からないが『萬葉集』(1-15 天智天皇御製への反歌 ?)に次のような歌がある。
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渡津海乃 豊雲尓 伊理比紗之 今夜乃月夜 清明己曽

わたつみの とよはたくもに いりひさし こよひのつくよ さやけくありこそ
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これと似た例は、出雲大社の大国主神(オオクニヌシ)と大黒天(ダイコクテン)を「国と黒は コクと読める」として江戸期に同一視(これを付会 フカイ 牽強付会、あるいは習合という)したり、熊本にある味噌天神(ミソテンジン)も御祖(ミオヤ)を「ミソ」と庶民が誤って読んだことが発端で、前回書いた熊本葦北の「不知火 シラヌヒ」も福岡志摩町の「不知火山→白火山 シラノホヤマ」のことである。
またどのような規則があるのか未だに分からないのが「天」の読みが「アマ」なのか「アメ」なのか混乱(というより、ただ好き勝手に読んでいるようにも見える)している。素人の眼から見ると「天」は「アマ」、「アメ」は「雨・飴」なのだが、「アマ」には「尼・海人・海士・甘・海女・亜麻・蜑・贏」と以外に読みの同じものが多く混同を避けたのだと理解することにしたい。

ついでに書いて置きたいのが上記の「白火山」の「火」の読みの「ヒ か ホ か」で、いつものように『広辞苑』には学者の訳の分からない説が書いてある。

『広辞苑』火(ヒ)……(古形はホ。「日」とは別語)
『広辞苑』火(ホ)……「ヒ」の古形。他の語を伴って複合語を作る。『古事記』(中)「燃ゆる火の-なかに立ちて」。「-かげ」

この説明によると「火」は単独では「ヒ」、複合語では「火中 ホナカ」「火影 ホカゲ」と「ホ」に変化する、と云いたいのだろう。成程といいたいところだが、「川上(センジョウ)⇔川の辺⇔河原」と書いて「カハラ(カワラ)箇播羅」と読むことも知らず「簸川の上流から箸が流れて来た」などと訳す学者に質問したい。
記紀には女性の出産を「火中生誕」と捉えている記事が多く、「火」の付く神々が登場する。

火神軻遇突智(ホノカグツチノカミ)・火産靈・火神・火雷・神日本磐余彥火火出見天皇・天津彥彥火瓊瓊杵尊・火闌降命・火明命・火折尊

以上のような神名が学者のいう「複合語」にあたるのかどうかは分からないが、いずれにしてもすべて「火」を「ホ」と読んで来た。ただし、何処からの指令かは不明だが「ヒノカグツチノカミ」と平気で書いている人達が多くなっている。丁度、聖徳太子をやめて廐戸皇子にしようとした文科省の日本の歴史に疎い役人がいて抗議の結果、取りやめになったようだが、悪く考えて言い出した役人達の腹の中を見ると、韓国の最古の歴史書と云われる『三国史記』(1145年完成)の『新羅本紀』には武烈王・文武王・孝昭王・聖德王・神武王と『日本書紀』に登場する天皇名や太子の名がそのままある事からして、日本国内に多数居る朝鮮人の帰化人ではないかとも疑われる。

そして不可解なのが神武天皇の宮があったと云われる「紀 畝傍山、此云宇禰縻夜摩」「記 坐畝火之白檮原宮」で紀の「此云宇禰縻夜摩」という注から「ウネビヤマ」と読んできた。しかし元をただせば『古事記』の「畝火」を「ウネ(ノ)ヒ」を借用して「ウネビヤマ」と読ませたのだが、悪いことに「畝 ボウ(傍も ボウ)」の慣用音にも「ホ」がある。となると『日本書紀』の「畝傍」は「ホ(山)の傍ら」となり慌てて「此云宇禰縻夜摩」と書いたのだろう。いずれにしても記紀では「高・武・岳・竹・建」は同じ意味で「タカ・タケ」と読むように「火 ホ」が「穂 ホ」から来ている事を考えると、「火国」と「肥国」は同じものといいたい人達が都合によって漢音・呉音・倭音を組み合わせて使っているようにしか思えない。

【橿原】の誤解

蘇我氏の甘樫丘(アマカシノオカ 本来は 甘檮丘 ウマシカシノオカ⇔馬子橿丘)について「甘樫丘」で色々と書いたように、学者の云う「甘樫丘」はあくまで斉明紀の入鹿の邸宅の表記(甘檮丘)であり、允恭紀では「味橿丘」、皇極紀では「甘檮岡」と書いている。もちろん、橿原や橿日の「橿(樫) カシ」は「堅い基盤 ⇔ 丕基」の意だが、一方『日本書紀』では嫌われる倭国の皇極(斉明)天皇や大王蘇我氏の甘檮岡の「檮(梼)」は見下して単に「切り株・愚か」で、音は「トウ(ドウ)」、高知県のカルスト台地にある町「檮原(梼原) ユスハラ」しかない。
ところが『古事記』垂仁記には甘檮(アマカシ)を「甜白檮 アマカシ」と書く文章がある
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「…又在甜白檮之前葉廣熊白檮、令宇氣比枯、亦令宇氣比生。」

…また甜白梼(あまかし)の前に在る葉廣熊白梼(はひろくまかし)を宇氣比(うけひ)枯らしめ、また宇氣比生かしめき。
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この『古事記』の記述によると「カシ」に当たるのは「白梼」らしいが、それより笹の葉の大きい熊笹のように葉廣熊白梼(はひろくまかし)という不思議な名は『日本書紀』神功皇后摂政紀にある荷持田村(のとりたのむら)の熊襲の名に「語呂合わせ」として借用されている。
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「…至層増岐野(ソソキノ)、卽舉兵擊羽白熊鷲而滅之」

葉廣熊白梼(ハヒロクマカシ)→羽白熊鷲(ハシロクマワシ)
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なお一般に「柏」も「カシ」と読んでいるようだが、本来の読みは料理を盛る「カシワの葉」から膳司(カシワデノツカサ)といい、全国的に多い「柏原 カシハラ」も「カシワハラ」から来ている。なお「柏」は「栢」の異体字で読みは562年に新羅に併合された「カヤ 伽耶」、それを利用したのが彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊で「柏原」の元の読みも「カヤノハラ」かも知れない。実際に福岡県飯塚市には「柏ノ森」があり「カヤノモリ」と読む。あの石舞台から南の山に入った所にも「加夜奈留美命神社」のある「柏森 カヤノモリ」という地名がある。

【日神(ひかみ)】の誤解

出雲大社は大国主神、伊勢神宮は天照大神と決めつけられたために、日神(ひかみ)と聞いても馴染みの薄い神名で、日の神様だから何処となく天照大神の事だと分かる程度だろう。記紀を読むと、『古事記』で「彦 ヒコ(大人 ウシ と同意)」を「日子・日高(瓊瓊杵尊のみ)」と書くように、天照大神(アマテラスオオミカミ)は大日孁貴(オオヒルメノムチ)・天照大日孁尊(アマテルオオヒルメノムチ)と同様に別名(號)であり正式な名称はあくまで「日神(ヒカミ)」という。

要するに「日神」は「太陽神」という単純な存在ではなく「丕(ヒ)神⇔偉大な神」であって(信じてくれる人は少ないけれど、天照大神は海照神(アマテルカミ 対馬の一ッ葉タゴの化身)、つまり大海人皇子という人物が対馬の浅茅湾(崇神紀 倭迹速神淺茅原目妙姬)から連れてきた航海神を指している。その根拠として日向国と同じく天照大神は神功皇后紀を最後にして天武天皇紀(朝明郡迹太川邊、望拜天照大神)まで現れていない。また対馬の資料によると天照大神の祀り方が分からないとして対馬の神官が数人招かれたという。最初は宮中に祀られていたのが様々な差し障りにより数十年間に各地を転々とし(元伊勢)て最後に近畿から遠く離れた伊勢に祀られている。
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『日本書紀』神代上
伊弉諾尊・伊弉冉尊…共生日神號大日孁貴。一書云天照大神、一書云天照大日孁尊
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しかも日神は天照大神だけではなく記紀には他の神、例えば造化三神の天御中主尊、高皇産靈尊、神皇産靈尊の内、別名「高木神」の高皇産靈(高御産巢日神 タカミムスヒ)や神皇産靈(神産巢日神 カミムスヒ)をはじめ下記のようにある。

甕速日神、熯速日神、八十枉津日神、神直日神、大直日神、大綾津日神

食べ物の神様に倉稻魂(ウカノミタマ・ウケノミタマ 稲魂)という神があり、今でも食事を「朝餉(アサゲ)・昼餉(ヒルゲ)・夕餉(ユウゲ)」と呼んでいる。そしてこの中の昼餉(ヒルゲ)の「昼」と同様に「日」も大和言葉(倭語・日本語)では「ヒル」とも読むために天照大神を「大日孁貴(オオヒルメノムチ)」という。この「日神」が日向を「ヒナタ」や「ヒムカ」ではなく「ヒュウガ」と読ませた元である事を書いた書物はあまり見かけない。
「ヒムカ → ヒュウガ」と「ヒルガ → ヒュウガ」のどちらが正しいか自信はないが、日向三代の陵墓が宮崎県と鹿児島県の綱引きで行ったり来たりしている姿を知ると、歴史が金や「声の大きい人達」や観光業者によって変えられていく様子はあまり見たくない。

「日は太陽」という単純な発想から「日神」の解釈を太陽神とするものが多いが、記紀の記述をよく見ると「日神(単独)」を「白日神」と書く例が『日本書紀』にも『古事記』にも1例づつあり、この「白日神」は『古事記』にある「筑紫國謂白日別」から「筑紫国の神」であることが分かる
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神代記…筑紫国謂白日別、豐國謂豐日別、肥國謂建日向日豐久士比泥別、熊曾國謂建日別…
   …伊怒比賣、生子、大國御魂神、次韓神、次曾富理神、次白日神、次聖神。五神…

神代紀…於是、素戔嗚尊、白日神曰「吾所以更昇來者、衆神處我以根國、…

○大國御魂神…大国主神

○伊怒(比賣)…委奴国・怡土国(伊覩国)

○韓神…大己貴命と少彦名命。因みに園神とは大物主神

○曾富理神(日向襲之高千穂添山峯)…添(そほり)山神(怡土志摩の脊振山 セフリヤマ)

○白日神(筑紫国謂白日別)…本来は天照大神のことで「日神」と書くところを『古事記』につられて「白日神」と書いてしまったもので「筑紫の神」、当然「筑紫の白日(シロノヒ)が不知火(シラヌヒ)」と呼ばれ、筑紫の大王であった景行天皇や筑紫君薩野馬の葦北の遠征や玉杵名邑の帰還に際して「葦北の不知火(白日神)」として定着したもの。

○聖神…仙人(『古事記』序では聖帝は仁徳天皇を指し諱は大鷦鷯、上記の少彦名命も鷦鷯羽衣を着ていた)
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【熊襲国】の誤解

熊襲(クマソ)を学説では球磨地方(クマ 熊国)と贈於国(ソヲ 襲国)を指しているという。例の九州でいう「ふつ餅(蓬餅)」を九州出身の学者が気が付かない(実際には医学界と同じく徒弟制度の厳しい古代史や考古学では先輩や教授の意見に異論が言えない)のと同様に、九州の久留米に「神代 クマシロ」という姓が多い事や九州の地形を知らないようで「熊襲 クマソ」と聞くと遠く離れた「熊 球磨」と「襲 曽於」を平気で分けてしまう。おかげで景行天皇の熊襲征伐のル-トが九州に住む者にとって首を傾げることになる。(『古事記』神代の九州4国を筑紫国・豊国・肥国・熊曾国と分けている事や、下記の『続日本紀』の記事によれば、日向国の範囲は熊本南部と宮崎県から南の鹿児島県まで、つまり九州の南半分全てを云ったという胡散臭い話になるのだが)
では何故、学説が間違っているか。詳しく景行天皇の聖跡を辿ると良いのだが、ここで簡単に挙げる理由は二つある。

①「襲国」は景行紀に2例あるが「熊国」は記紀を探しても1例もない。恐らく意識していると思われる「熊本」の古名の「隈本」でも南北朝時代だという。
②「襲」には「衣を着る(装う)」「重なる」の意があり、日向の高千穗の頭に付く「襲 日向襲之高千穂」を根拠にして日向国の一部に「襲国(曽於国)」があったと云いたいのだろうが、天孫降臨に使われる「襲 ソ」は代名詞「其の ソノ」の「其」が本来の表記であり実際に『古事記』(山幸・海幸)に記述がある。恐らく記紀のどちらかが合わせるのを忘れたのだろう。
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『古事記』(神代)日子穗穗手見命者、坐高千穗宮、伍佰捌拾歲。御陵者、卽在其高千穗山之西也
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元々「熊襲国」は『日本書紀』で景行天皇・日本武尊・仲哀天皇・神功皇后の「タラシ」の付く一族専用の蝦夷を指し、『古事記』では神代と仲哀天皇に1回ずつ「熊曾国」として現れ、記紀ともに応神天皇からは一切姿を消し、『日本書紀』に限ってその後は単に「蝦夷」「(大隅・阿多)隼人」となり持統紀まで続く。ただ、「阿多・阿田・吾田」が同じものだとすると、神武紀に「日向国吾田邑吾平津媛」、大隅国は713年に初めて置かれたと『続日本紀』にある。
『続日本紀』和銅6年(713年)割日向国肝坏。贈於。大隅。姶良四郡始置大隅国

この傾向とよく似たのが「日向国」で『日本書紀』に日向国は応神天皇11年(280年)を最後にして姿を消し、次に国史に突然現れるのは『続日本紀』文武天皇2年(698年)の記事の近江国、伊勢国、常陸国、備前国、伊豫国、日向国、安藝国、長門国、豊後国である。『日本書紀』で熊襲の後の大隅隼人や阿多隼人の記事がある割には約400年間、日向国は何処へ行っていたのだろうか

因みに4516首ある『萬葉集』に「大和国・淡海国・吉野国・伊勢国・讃岐国・豊国・甲斐国・駿河国・筑紫国・難波国・吉備」をはじめ「新羅国・木国・常世国・食国」はあっても律令制の国々の中でも記紀では有名な日向国や肥国(火国)、安芸国、播磨国、出雲国はただの一回もない。それぞれの国府に任官した役人は歌謡など興味がなかったのだろう。
これらの点と、『日本書紀』と同様に「序文」のない『続日本紀』も完成までの紆余曲折を考えると何処か疑わしい。

この後も 【舍人親王】【大兄】【近江】【国史】……など追加の予定

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