生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

ラヴェル 「バレエ音楽“ダフニスとクロエ”組曲 第2番から 夜明け、全員の踊り」 渡部修明:編曲 吹奏楽版

2016-03-20 13:17:15 | ラヴェル
 例によって目覚まし時計代わりにタイマーセットしているNHK-FMですが、今日は日曜ということでニュースの後は「吹奏楽のひびき」で、サクソフォーン奏者の織田浩司氏をゲストに迎えて、吹奏楽コンクールの魅力と題して、過去の名演を放送していました。その冒頭に流れてきたのが、確か1976年の出雲市立第一中学校吹奏楽部が演奏する”ダフネスとクロエ”でした。

 中学時代吹奏楽部に籍を置いていたこともあり、吹奏楽は嫌いではありませんが、オーケストラ作品を吹奏楽に編曲して演奏することにどれだけの意味があるのかという疑問も一方で感じることがあります。出雲一中の演奏は、全国大会で優勝するだけあって中学生といえども上手い演奏だとは思うけれど、オーケストラの弦パートをクラリネットに吹かせてもなぁ~等と思いながら聞いていました。ところが途中からクライマックスへの持って行き方は中々感動的で、中学生の演奏ですから当然指導者の力があったればこそでしょうけれども、オオッと思うものがありました。その後高校の部の天理高校、大学の部の駒沢大学の演奏と、演奏の完成度は上がっていきますが、演奏主体の経験の差を前提にすると、最もオオッという演奏は出雲一中で、天理高校と駒沢大学は、まあ上手くて当たり前と感じる部分がありました。

 演奏についてはその完成度こそが全てで、演奏主体が誰だからということは関係ないと常日頃は思っています。中学生や高校生に寄る演奏は楽器を始めてからまだ数年しか経ってないのにここまで演奏できれば大したものだという評価がされがちで、だからこそその様な評価に甘んじている人たちは自分自身で自らの理想を低いレベルに貶めていると思っている自分もいます。出雲一中、天理高校、駒沢大学と比べると、完成度は当然高校、大学と上がっていきます。それでも3者を聞いて一番心に残っているのは出雲一中ですね。中学生がここまでやったのは大したものだ、という評価ではありません。高校生、大学生の演奏はより完成度が高まり、洗練されていわゆる大人の演奏になって行きます。しかし音楽を聞く楽しさや喜びというものは必ずしも完成度、洗練度、大人らしさということでは無いということですね。荒削りな部分は所々にあった様に思いました、指導者の力があってこその演奏だとも思いました、しかしそれだけでは無いですね、一人ひとりの部員が自分の力で音楽を作っていこうと言う積極性、その思いがストレートに出ていたということではないかと思い至りました。高校生、大学生と社会に対する理解が深まるにつ入れ余分な知恵や見栄がついてきて、ストレートな自分の思いをあからさまに表出することにブレーキをかけるように成って行くということなのかなと思いました。自分が好きなことをやる上でも自らブレーキを掛けてしまうという余分な知恵が無い分、中学生の演奏がオオッと来たと思います。


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