生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

声は聞き分けられるけれども(楽)音は聞き分けられない?

2016-11-18 23:59:04 | 思うこと

 声を聞いただけで誰の声か判ることはありますよね。家族・友人・知人に限らず、俳優や声優の声、歌手の声も聞き慣れていれば聞き分けられることが十分に出来ます。

 では楽器の音はどうでしょうか?ピアノの音かヴァイオリンの音か?と言うような異なる楽器を聞き分けることは出来ます。それは倍音の分布特性の違いを聞き分けていて、それ程聞き馴染んでいなくても可能です。では同じ種類の楽器の個体差を聞き分けられるかというと、殆ど不可能ではないかと思います。良い音と悪い音とを聞き分けることは可能ですが、同じ楽器を上手い人と下手な人が弾いているのかもしれません。ヴァイオリンなどでは大いに有り得ることです。ピアノの場合は音色で聞き分けるのはかなり難しいように思います。ワンフレーズ聞けば技巧の巧拙を聞き分けることは難しくありませんが、聞き分けられるのはあくまでも技巧の巧拙であって音色ではないと思います。

 とはいえ、例えば聴衆にとっては極めて微小な差であっても演奏家にとっては比べようもないほどの大きな違いということもあり得ると思います。ピアノで言えばスタンウェイは綺羅びやかで、ベーゼンドルファーは豊かな低音が魅力とのことです。既に何年も前に廃刊になった月刊誌「オーディオ・ベーシック」はある時期から毎号にCDの付録を付けていましたが、その中にスタンウェイとベーゼンドルファーで同じ曲を同じ奏者が弾き比べた音源が収録されていました。その2曲を繰り返し聞いていると、スタンウェイとベーゼンドルファーの演奏とを区別することが出来るようになった気がしていました。その時点ではブラインドで片方だけを聞かされても100%とは言わないまでも有意な差で当てることが出来たのではないかと今でも思っています。しかしかなりの年月聞き直していないので、今現在ではブラインドで片方だけを聞かされても言い当てる自信は全くありません。

 時々TV番組などで、ヴァイオリンの◯億円のストラディヴァリウスと◯万円の工業製品とを弾き比べて、ゲストや視聴者に当てさせる企画があります。殆どの番組でプロを含めて正解率ほぼ50%との結果になっています。正解率50%とは統計的に区別できないということを物語っています。一方で相当の技能を持ち合わせた演奏家にとっては、ストラディヴァリウスに限らずオールドヴァイオリンの価値は家を売ってでも手に入れたい価値があるのは間違い無さそうです。しかし、いい加減気付いても良いのではないかと思っていますが、演奏家にとっての楽器の価値とは、必ずしも音色だけではないはずです。演奏しやすさ、し易さというよりも反応の良さとか、ほんの僅かの表現の違いを容易に演奏し分けられる敏感さ、等があると思います。ヴァイオリンの音色は、先ず正しい調整がされていることが大前提ですが、良い駒、良い弦、良い弓、に良い演奏技術が作るものと言い切っても良いと思います。

 ピアノや管楽器などでも、それぞれ良く吟味されたパーツとそれらの此処の能力を最大限に活かし切る調整のバランスだと思います。声楽をする立場で器楽が羨ましいことの第一に、楽器を取り替えることが出来る、ということがあります。医学的には声帯移植ということも無くは無い様ですが、声楽家が良い声を手に入れるために生体移植をしたという話は聞いたことがありません。声帯移植にはデメリットが多く、声を失った人等の様にデメリットを受け入れてでもメリットを享受したい人に限られるからでしょう。ヴァイオリンの様に◯億円、◯◯億円で楽器の所有者が代わった等の話を聞くと、声楽はその様な出費を心配しなくて良かったと思う一方で、今より良い声を手に入れるためなら幾らまでなら払えるだろうか、とも思ったりします。声帯を壊したために音楽を諦めざるを得なかった声楽家も過去に何人もいます。そうすると金さえ払えば取り替えられる楽器はやはり良いなと思います。高価な楽器の値段は高価なワインの値付けと似ているとも思っています。その心はヴォリュームゾーン辺りまでは値段と価値が比例しているけれど、ある水準以上は希少価値がその楽器が持ち合わせている性能以上に価格を釣り上げているのではないか、ということです。楽器とワインの価格についてはあらためて掘り下げようと思います。


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