生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

昨日の補遺です

2016-08-17 22:26:59 | 思うこと

 昨日の補遺(ほい)です。昨日アップした内容については特に間違ってはいないと思っています。ホールのステージがブカブカでは良い音はしないはずで、しっかりした作りの舞台でこそ演奏も解像度高く聞こえると思います。とは言え先日の「ららら♪クラシック」でも話題になっていましたが、オペラのソリストは座ったり寝転がったりする姿勢でも歌っているわけです。ヴェルディの「椿姫」のヴィオレッタとか、プッチーニの「ラ・ボエーム」のミミとか、死ぬ直前のプリマが延々とアリアを歌うのは珍しくありません。私自身は寝ながら歌ったことはありませんが、合唱団の一員として曲の一部を座ったままで歌ったことはあります。

 発声の基本が出来ていて体幹がしっかりしていれば、立ち姿勢ではなくても普通に歌えるもので、フカフカのベッドやソファーで歌ったことはないので何とも言えませんが、しっかりした床ではなくても案外歌えるものかも知れません。声楽レッスンを受けるようになる前に、合唱団員として参加した本番の打ち上げで、ソリストに座ったままや寝た姿勢で良く歌えるものですね?と聞いたことがあります。その時のソリストの答えは、合唱団員のように狭いスペースで直立不動で歌う方がよっぽど辛いと言っておられました。

 今となってはその心が良く判ります。ということでオルフの「カルミナ・ブラーナ」が歌いたくて再入団した合唱団も、血圧が高くなったことが直接の原因でもありますが辞めてしまい、おそらくこれからの人生は合唱はせずに、声楽の独唱とせいぜい重唱ぐらいで過ごしていこうと思っています。ということで”直立不動で歌う”ということをキィワードに考えてみると、昭和初期の頃の放送ではマイクロフォンの性能が低くて近づきすぎて大声を上げるとマイクが壊れるし、離れると感度が悪くて聞こえなくなる、ということでマイクロフォンと歌手の口との距離を厳密に制限されていた時代もありました。東海林太郎氏(今や知る人は少ないか・・・?)が直立不動で歌っていたのは正にマイクロフォンを壊さずに正しく機能させるためだった筈です。

 今やマイクロフォンと歌手との距離が多少変化しても、感度的には問題なく音が拾え、更にはマイクを振り回してもコードノイズが入らないようにワイヤレスのヴォーカルマイクが使われたり、ミュージカルや原則マイクを使わないはずのオペラですら目立たないようなマイクをカツラに仕込んだりと、技術の進歩に感心することしきりでもあります。

 一方で出来るだけ人工的な手を加えずに極力シンプルに録音して極力シンプルに再生しようという動きもあります。そうするとソロヴァイオリニスト等は楽器を振り回しながら演奏しますよね、ヴァイオリンとマイクとの相対位置が変化する様子がオーディオを再生していても良く再現される録音も少なからずあります。その楽器の動きを感じながら演奏を楽しむのもありですし、他方クラシックの伝統楽器といえども楽器そのものに録音用マイクを付けて楽器の位置がどう変わろうとも楽器本体の響きを出来るだけ拾おうとする音作りもあります。何が正解で他は邪道と決めつけることは出来ませんね。様々な録音に対するアプローチがあるということを認識して、再生された音源がどの様なアプローチで制作されている作品化を想像することで楽しむ、というのが健全かなと思います。

 なんといっても大編成の複雑な作品の細部を理解しようと思えば、生演奏を聞くよりもマルチ録音で可能な限り理想的に編集された音源を聞くほうが、細かい解像度を良く認識出来ます。大したオーディオ装置を持っていないという方は、そこそこのヘッドフォーンで聞けば良いと思います。それでも大太鼓が発する全ての音を再生できるオーディオ装置にはまだ巡りあったことがありません。オーディオ再生で最も難しいのは大太鼓と思っていますし、大太鼓が鳴る生演奏を聞く度にその空気感は生演奏ならではのもの、けっしてオーディオでは再生できないなと再確認している次第です。


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