生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

川井弘子先生の声楽講座「うまく歌える『からだ』のつかいかた」第7回 の補足

2016-12-18 21:34:46 | レッスンに行ってきました

 昨日の補足です。川井先生の「うまく歌える『からだ』のつかいかた」講座では毎回数名の受講者に実際に歌を歌ってもらって、川井先生がその場で問題点と改善方法とを指摘・指導されます。昨日の受講者の方々は、皆さんなにがしか固まっているところがあって、手を上下させながらとか、歩きながら歌ったほうが良いと指導され、皆さん確かに歩きながら歌ったほうが見違えるほどではなく聞き違えるほど声が改善していました。

 歩きながら歌うことで身体がほぐれるという効果もあると思いますが、それ以上に歌うという行為を幾つもの細かい行為に細分化して、その細分化された行為の一つ一つを大脳新皮質を使ってコントロールしようとするから、全体の統一された歌うという行為がスムーズに出来ずに固まってしまうということだと思います。細分化したそれぞれの最小単位の行為だけでなく、それらが統合された全体の行為については小脳や脳幹のレベルで歌えるように日頃からトレーニングしておき、大脳新皮質は全て歌詞の解釈に振り向けるべきということだと理解しました。

 ピアニストで言えばまだ指が満足に回らない初学書にとってのハノン教本のレベル、声楽の場合はコールユーブンゲンのレベルから練習する必要がある初学者の場合は、先ずそれらの初学・初級段階の練習において大脳新皮質をフルに使ってハノンやコールユーブンゲンレベルを習得する必要があるでしょう。そして次の段階はより難しい教本を大脳新皮質を使って練習することも含まれるかもしれませんが、少なくともそれだけではなく、それ以上に次の段階としては大脳新皮質を使わずにハノンやコールユーブンゲンの技術を発揮できるようにすることだと思います。大脳新皮質を用いずにということは小脳や脳幹れべるでコントロールする=無意識(大脳新皮質を意識しては使わない)に実現できるようにするアプローチが大切ということですね。

 声楽の場合は呼吸法や声帯の使い方についても何れは大脳新皮質を使わずに、小脳や脳幹でコントロール出来る=無意識に出来る段階まで昇華させて行くことになります。ところが実際に歌う際には呼吸法を意識している人が多いように思います。考えて呼吸をしているようではまだまだ修行が足りなくて、無意識の内に最適な呼吸が出来るようになっていなければなりません。そして私自身もそうだと自負していますが、呼吸法を習得している人にとっては息を吸うことを意識して行う必要はありません。如何に吐くかだけを意識していますが、吐くために緊張した身体を緩めれば必要な空気は自然に肺の中に吸い込まれます。更には歌っている時は息を吐いていますが、感覚としてはまるで息を吸っているかの様な感覚で息を吐いています。

 もう一つ、川井先生もおっしゃっておられましたが、合唱の人は直立不動とは言わないまでも、ほぼ気をつけの姿勢で立ったままで歌うことが多い。声楽、特にオペラやミュージカルでは時には踊りながら歌うこともあるが、呼吸法が出来ている人にとっては踊りながらや座ったまま、時には寝転んで歌う方が、直立不動に姿勢を固定したまま歌うより余程楽ということです。特に合唱だけの人は時には歩きながら歌うと良いですよ。


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