生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

明譜か暗譜か 演奏姿勢からは・・・

2017-03-05 23:10:55 | 思うこと

 昨日の川井弘子先生の「講座」を受講しながら考えたことがあります。結論は、練習を積み重ねて自然と暗譜するのが最良、ということではっきりしています。しかしそこまで十分に練習できる環境にあるとは限らないので、明譜でやるか暗譜でやるか、その決定権が自分にあることは殆どないのですが、常に悩んでいる問題です。

 声楽ではオペラという楽譜を持っては演じ様のない演奏形態があるからか、暗譜が当然という暗黙の了解がある様に思います。器楽ではソリストではない限り、明譜が当たり前の様に思えて、うらやましい限りですね。とは言え暗譜していると言ってもその内容にはかなりの幅があるのではないかと思います。声楽では多くの場合ピアノ伴奏に合わせて音程と歌詞を間違わずに歌えれば、一応暗譜で歌えるということになるのでしょう。ところで強弱記号やテンポ、様々なアーテキュレーション、スラー等まで覚えたうえで暗譜したと言っている人はどれくらいいるのでしょうね。暮れのベートーヴェンの第九の合唱ですが、ベートーヴェン自らが記していたsfzを間違いなく覚えて歌っている合唱団員は殆どいないのではないかと思っています。少なくとも私自身はsfzの位置まで全て覚えて歌ったことは一度もありません。とてもではありませんが、覚えきれません。だからこそ、中途半端に覚えただけで暗譜で歌って良いのか?と常に疑問を持って来ました。

 そんなことをレッスンの際に先生と話したこともあります。ある先生は、日本の合唱人を含む声楽家は慣れていないから眀譜で歌うことが下手、明譜で歌うとなると楽譜とにらめっこばかりして指揮者を見ることも他のプレーヤーとの意思の疎通を行うこともおろそかになってしまう、そうです。その結果、日本の声楽の場合では眀譜で演奏するよりも暗譜で演奏する方が良い結果が得られることが多くなるスパイラルが回っていると言えそうですね。

 器楽の方々というのは、私の経験ですが、知り合い同士でやるべき曲を決めたらそれぞれが楽譜を用意していきなり初見でどこまで弾けるか合わせてしまうということをやる人たちもいます。ここで声楽しか勉強して私からすると物凄く驚異にしか思えないことですが、器楽の人たちが見ている楽譜というのは自分のパートだけのパート譜なんですよね。声楽の楽譜は常にピアノ伴奏と歌については重唱であれば他の声部まで記載されているヴォーカルスコアで、自分がどこを歌っているかわからなくなったとしても、ピアノや他のパートを聞くことで全体の音楽がどこまで進んでいるかは容易に把握できます。なので途中で落ちてもどこからか復活しようがあります。

 その点、パート譜しか見ていない器楽の方々は、途中で自分が演奏している部分が判らなくなったらどうするんでしょうね。何回か練習した曲ならともかく、初見で途中おかしくなったのが聞き手に判ってしまうような場合ですら、途中で演奏を止めずに何とか最後まで演奏してしまう。拍の頭を鳴らすパートと拍の頭に休符が入って後半を鳴らすパートがブンチャブンチャと演奏するところを、同じタイミングでブン・ブン・と演奏したこともある、という話を聞いたこともありますが。

 ここまでは以前から思い続けてきたことですが、つい最近あらためて思うようになったことがあります。演奏姿勢と眀譜か暗譜かという問題です。声楽の場合、オペラでは芝居をしながら歌うので様々な姿勢で歌います。座って歌うこともあればベッドに横になって歌うこともあります。だからこそ逆に体の軸をしっかり保つことを意識せざるを得なくなり普段の自然な姿勢での歌唱の時にも体の軸を意識するようになります(私はなりました)。ところが合唱専門の方は眀譜であろうが暗譜であろうが合唱団席という限られた範囲に押し込められて、ほぼ直立不動で歌う訳ですよね。体が硬直して歌いにくくなると思います。合唱団席は通常オーケストラの後方ですから、間にオーケストラを挟んで数m先の指揮者に目線が行きますね。さらには近影に指揮者をとらえながら観客席の後方に目線を飛ばして歌う方もいるでしょう。

 器楽の方に限らず本番で眀譜で演奏するとなると、自分の正面の数十cmの距離、目線は手元に落とす角度で譜面台をセットして楽譜を見るわけですから、観客席の後方に目線を飛ばしている時とは自ずから姿勢が微妙に変化していると思います。どう考えても暗譜で観客後方を見ている時の姿勢の方が、手元に置いた譜面台上の譜面を見ている時の姿勢よりも、音楽の演奏には適していませんか?というのが現在の私の大きな疑問です。声楽のレッスンでは視線をどこに置くかということは結構具体的に指導されるポイントなのですが、楽譜を見ながら演奏するのが当たり前になっている器楽では、演奏する際に視線をどこに置くかということは問題になっていないのでしょうね???

 声楽では目線をどこに置くかと言うだけで声が変わるし、その結果としての演奏の質も変わります。一方で器楽では譜面台上の楽譜をガン見しての演奏でも、暗譜して観客席の後方を見つめてそこまで自分の音を飛ばそうと思って演奏しても、結果には対して違いはないのでしょうか。無いという可能性もあると思います。というのは楽器というものはすべからくいかに効率よく音を飛ばすかということを意識して改良されてきた長い歴史があります。たとえばトランペットやトロンボーンであれば、演奏者の目線が手元の楽譜をガン見していても、ベルが観客席後方に向いていれば十分音が飛んでいくのでしょう。オーボエやクラリネット、サキソフォンなども同じ傾向にあるでしょう。ではベルが後方を向いているホルンや天井を向いているファゴットではどうなんでしょうか。ベルが観客席を向いていなければ奏者が手元の譜面を見ていようが観客席後方を見ていようが、これまた変わらないということでしょうか。

 それでは奏者の演奏姿勢はどんなんでしょう。譜面をガン見では体の構えが小さく制限されるようなイメージがあるのですが。眀譜で演奏するとしても、楽譜をガン見しなくても済むように出来るだけ暗譜して、楽譜から視線を外す時間を長くして、観客席後方に視線を飛ばす時間を長くすることで、観客に届く内容が良い方向に変わるのではないかと思うのですが。


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