生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

吉松隆の 「調性で読み解くクラシック」 一冊でわかるポケット教養シリーズ

2017-06-15 23:53:59 | 論文・資料紹介、書評

 以前からその存在は知っていて、機会があれば読んでみたいと思っていた書籍です。先日、時間つぶしに銀座ヤマハに出かけ、管楽器&弦楽器売り場を冷やかした後楽譜売り場を放浪していました。その際に本書を見つけ手に取ってみて、なるほどこの書籍であれば購入して読んでみるべしと思い、帰宅後にネット通販でより安い中古品をポチした次第です。

 もう何年も、書籍を購入しても最初から最後まで読み通すことはなく、興味のある部分のみ読むというのが当たり前になっていました。本書は文庫本の体裁ではありますが、最初から最後の後書きまでくまなく読んだ、久しぶりの作品です。

 本書を読むことによって最も勉強になった事の一つは、旋法と調の関係です。機能和声が完成しその応用が新しい音楽表現と捉えられていた古典派からロマン派の時代は長調と短調の世界です。一方でグレゴリオ聖歌が現代の私たちにとって耳慣れた長調でもなく短調でもない理由は、グレゴリオ聖歌は旋法に乗っ取って歌われているということです。そして私の粗雑な理解の上では、機能和声は長調(ドレミファソラシド)と短調(ラシドレミファソラ)を前提に展開されているということです。では旋法から長調・短調という機能和声の世界への移行はどのように行われたのか?ということです。

 「調性で読み解くクラシック」には、英国の「グリーン・スリーブス」は長調でも短調でもなく、旋法で作曲されている曲とのことです。なるほど、教会旋法から機能和声が指導原理となりつつある時代の過渡期にあっては、旋法で作曲された優美な旋律は、機能和声の世界に身を託すことでその後の音楽世界に数百年の寿命を確保したということですね。なるほど、教会旋法の音楽はある時急に消滅したわけではなく、機能和声の長調と短調という世界に身を委ねることで、その後の百年、二百年という時間を経て現代にまで歌い継がれる道を選んだのだと思います。グレゴリオ聖歌の時代から長く歌い継がれてきた教会旋法がある時期急に失われて古典派音楽・ロマン派音楽の機能和声に取って代わられたのかと思っていましたが、そうではなくて連続する変化の中で、徐々に立ち上がってくる長調・短調の機能和声の世界に、それ以前の教会旋法の美しい旋法が吸収され、現代に至るまで認識すべき美しい教会旋法のメロディーは歌い継がれている、ということだと思います。

 美術や建築など、他の芸術に比べると音楽は考古学的な連続性を殆ど期待できない芸術であるとも思います。ところが今に伝わる楽曲の中に、教会旋法が含まれているんですね。グリーン・スリーブスを演奏する楽器のパート譜まで確認してみて教会旋法と19世紀以降の機能和声がどのように共存できているのか、確認したいたいと思います。

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