生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

トスティ マレキアーレ

2016-02-02 23:40:01 | トスティ
 2月14日に”大人の学芸会”の冬の本会として、五反田文化センター音楽ホールで、K氏のギター伴奏でトスティのマレキアーレと最後の歌、クルティスの忘れな草の3曲を歌う予定です。”大人の学芸会”という集まりは器楽、特に弦楽を中心にした集まりなので、声楽教室のあつまりのように何でもかんでも暗譜で歌う=演奏するという文化はありません。むしろ明譜で演奏するのが当たり前の文化です。で、私自身も暗譜至上主義ではないので、これまでは当たり前のように明譜で歌って来ました。それが1月28日にたまたま聞きに行った某声楽教室の発表会で、改めて歌詞を理解してというよりも言語そのものを理解して歌うことの説得力を目の当たりにして、今更ながらマレキアーレの歌詞の暗譜に取り組んでいます。他の2曲は暗譜しなくて良いのか?という声が聞こえて来そうですが、これらの3曲の中で最も早口言葉で覚えなければならない単語が多いのは間違いなくマレキアーレです。後の2曲はそれなりにメロディックで旋律にそれほど無理矢理歌詞を詰め込むという感じはありません。この3曲の中では間違いなくマレキアーレが最も早口言葉で旋律に無理矢理歌詞を詰め込んでいる歌だと言えるでしょう。ということで今回は後の2曲は楽譜をガン見だとしても、マレキアーレだけは極力歌詞をその意味も含めて覚えたいと思っています。

 それでそのトスティのマレキアーレですが、様々な歌詞で歌われているようですが、どうも私がCDや動画サイトの音源などを聞いている限りでは、ペトルッチ(IMSLP)に公開されているピアノ伴奏版の楽譜に記されている通りの歌詞を歌っているものが多いと思います。というよりもほとんどがその歌詞で歌われているようです。パヴァロッティもその歌詞で歌っています。そうなんですが、何故か日本で声楽を学ぶ者の殆どが購入すると思われる全音楽譜出版社のトスティ歌曲集は畑中良輔氏の監修で違う歌詞を採用しています。私、未だに畑中良輔氏監修の歌詞で歌われたマレキアーレは聞いたことがありません。

 ということで私も2月14日の”大人の学芸会”の冬の本会のマレキアーレは、畑中良輔氏監修の歌詞ではなく、世界中で広く歌われているペトルッチ収録版で歌うつもりで準備しています。それにしてもマレキアーレの演奏は歌い手によってアゴーギク(テンポの変化)のヴァリエーションが様々ですね。ある意味歌い崩されているとも言えますが、歌い崩されている曲の場合手垢にまみれて本来の曲の魅力が曇っている場合が多いのですが、マレキアーレのアゴーギクのバリエーションについては歌い崩されているとか手垢にまみれているという印象は殆どありません。様々なバリエーションがあるもののどのバリエーションにもそれなりの必然性があるように感じるところがありますし、その基となっているのが言葉を旋律にどう埋め込んでいくかという歌い手のアプローチが様々あるんだと思うんですよね。

 声楽と器楽の間にある大きな相違点として、言葉を歌えるかどうか、があると思います。その言葉にこだわって歌を歌う曲として、トスティのマレキアーレは中々良い素材だと思います。歌詞の本来の意味からは男が歌うべき曲だと思いますが、動画サイトの音源等をみると案外女声も歌っているようですね。何となく民謡チックで途中で長調に転調しますが短調から始まる曲です。日本では音楽教育の弊害で短調は悲しい曲、長調は明るい曲という区分けが定着していますが、欧米では必ずしも短調=悲しい、長調=明るいというニュアンスではないそうですね。日本語訳を見る限り暗いところは全く無い、男が女性を思って歌う愛のセレナーデですね。お時間が許せば是非2月14日は五反田文化センター音楽ホールにお越し下さい。13:00あるいは13:30頃開演になろうかと思います。

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