生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

著作権の歴史に関するほんのいくつかのトリビア

2017-05-14 22:31:14 | 思うこと

 これまでに世界中で最も多く出版された書籍は何か知っていますか?キリスト教の聖書らしいですよ。ついでに一つの同一の詩に対して最も多くの作曲家が作曲しえいるものと言えば「アヴェ・マリア」だそうで、古今東西老若男女、プロアマ問わずにまるで無名の作曲家までが作曲しているとのことで、どれくらいの数の「アヴェ・マリア」がこれまでに作曲されたのかは本当に誰一人知る由もない、神のみぞ知る、というのが本当のところの様です。ちなみに第二位は「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」で、こちらは600曲以上ということで、生涯をささげて世界中の「スターバト・マーテル」の一覧表化、収録を進めているインターネット上のサイトもあるようです。

 現代でこそ「そこのけそこのけ”著作権”が通る」という風潮ではありますが、印刷技術が発達する以前には著作権と言う概念は存在しませんでした。人類史の中世と言われる時代には、聖書や聖書に関する書物などは修道院と言われる俗世とは隔絶された(とは言いながら最高級のシャンパンが生まれたのは修道院の中だったりしますが)世界で、細々と修道士と言われる特殊な階層(当時の人口比では極々少数派)によって書き写され(写本)ていました。中世以降になってもモーツァルトやベートーヴェン、シューベルトの頃であっても、作曲家自身が書いた肉筆譜を書き写す写譜屋という生業が生業として存在していました。19世紀のど真ん中、1851年に初演されたヴェルディの「リゴレット」に関しても、当時はようやく著作権と言う権利が産声を上げ大きく育ち始めようという時期ではありましたが、原作者のヴィクトル・ユゴーがヴェルディと異なりフランス人であったため、当時の著作権では「リゴレット」に関する著作権はイタリア国内にしか有効でない、ということで、ヴィクトル・ユゴーの元には大人気にも関わらず「リゴレット」による著作権料はただの一円ならぬ一フラン、一リラも入らなかったそうです。

 その怒りが原動力になってかならぬか、国際的な著作権に関する「ベルヌ条約」の締結に向けてヴィクトル・ユゴーはかなり積極的に指導的な役割を示したようです。Wikipediaで「ベルヌ条約」を調べて頂ければ、ヴィクトル・ユゴーの名前が冒頭に出てくることを確認して頂けると思います。

 更に時代を下ると、サティだったかフランス六人組の誰かしらであったかが、カフェに立ち寄ったところ自分が作曲した作品がBGMとして流れてきたことに気づいたとのことで、ここから演奏権に関する著作権の問題も成立して来たようです。ことほど左様に著作権に関しては、フランス(人)が大きな役割を果たしてきたことは間違いない様です。

 一方、クラシック音楽の作品を見れば、「誰それの主題による変奏曲」等と言う作品には枚挙にいとまがなく、20世紀に作曲された作品としても、ブリテンの「パーセルの主題による青少年のための管弦楽入門」等は著作権的にどうなっているのか?と思われる方もいますよね? 結論から言えばパーセルは1695年に亡くなっているので著作権は失効しています。しかし、著作権が有効な間に先人の作品から主題を借りてきて自分の作品として作曲している例など、実に数えきれない程あるというのがクラシック音楽ではないでしょうか?有名且つ人気のある作品に「アルビノーニのアダージョ」というものがありますが、実はこれ、全くアルビノーニが作曲した作品ではなく、音楽学者でアルビノーニ研究者であったレモ・ジャレット(1910-1991)が1958年に出版されたことが、今日では定説となっています。

 かつては作曲者自身の名前では出版しても売れないだろうから、過去の有名な作曲家の未発表の作品として出版した方が売れるとして偽名を語って出版された作品も多数あるようです。

 映画や演劇、TVドラマなどでもエンドロールに原作者、脚本家、演出家、監督・・・等々様々な肩書、役割の人が延々と続きますね。これらのエンドロールを立ち上がらずに見るのは日本人位なのだそうですが、モーツァルトのオペラには常にシカネーダーがいましたし、ストラヴィンスキーの傑作の数々についてもディアギレフの存在が無ければ誕生することはなかったとも言えると思います。

 新垣隆氏作曲のシャコンヌ、そなちね、二つの弦楽四重奏曲を聞いても、曲自体の素晴らしさは是非後世に受け継がれてほしいと思いますし、結果として時の流れに淘汰されることになったとしても、今現在の音楽界の中で余計な縛りによって演奏される機会が制限されているのは何とも悔しくやるせません。最初から佐村河内氏がシカネーダーやディアギレフの様な存在であることに誇りと価値を見出して、対世間的にも新垣氏との共同作業の結果としての作品を世に問うてくれていたならと、そう思わずにはいられません。

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