生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

演奏媒体が変わると音楽の嗜好も変わる?

2017-03-06 23:54:42 | 思うこと

 たった今現在はフルートが面白いですね。声楽で培ってきた基礎がかなり生かせます。ところでフルートの名曲というものをあまり知りません。マラン・マレの「スペインのフォリア変奏曲」を自分でも吹けたら、との思いでフルートを始めることになりましたが、それ以外はフォーレの「シチリアーノ」等は確かに名曲なんだろうとは思いますが、今一つピンと来ません。ドビュッシーの「シランクス」もなるほど名曲だとは思うものの、もう一つピント来ません。

 音楽の表現手段=声楽と思い込んでいた時は、J.S.バッハは今一つピンと来るものがありませんでした。「マタイ受難曲」は人類史に残る傑作だとは思いますし、「ロ短調ミサ」も名作だと思っています。しかしそれらのバッハの作品を歌う自分を想像することは出来ませんでしたし、生の演奏を聞きに行っても何か距離感を感じていました。

 ところが、フルートで演奏したい曲を探してみるとJ.S.バッハの様々な作品が心に滲みてきます。「フルートと通奏低音のためのソナタBWV1032」等がしみじみと心に入ってきます。また「平均律クラヴィーア集」のVo.24のロ短調の「フーガ」のかなりラジカルに半音階を使って調整を逸脱する限界を探るかの様な作品に、モーツァルトの弦楽四重奏「不協和音」以上の革新性を感じます。ちなみに「平均律クラヴィーア集」はヴァイオリンとヴィオラの二重奏に編曲された楽譜がペトルッチ(IMSLP)のサイトに公開されているので、これをフルートの二重奏またはフルートとアルトフルートの二重奏等で、いずれは演奏できないかと夢見ている今日この頃です。

 放送大学の講座「西洋音楽史」の中で岡田暁生先生は、バッハには「イタリア協奏曲」の様なローマ・カトリック教会風ともいえるきらびやかな=華美な明るい作品と、ドイツ・プロテスタントの精神性を正面から見据えた禁欲的な作品の二種類があり、またそれらの作風とは違う次元で、J.S.バッハの作品を演奏することはあたかもスポーツをするような演奏すること自体の爽快感という様なものがある、と指摘されています。管弦楽組曲のバディネリ等は確かに演奏する喜びが聞く喜びよりも大きい作品の様に思います。

 ことほど左様に音楽の表現手段=声楽だけだった時の私は20世紀に作曲された作品が大好きでしたが、今はフルートで何を吹ける様になりたいかと考えたときに、候補曲の大半はJ.S.バッハということに私自身が驚きを禁じえません。しかし、お陰様で音楽をこれまで以上に広い間口でとらえることが出来そうで、そのことがいずれ与えてくれる新たな世界の魅力を想像してワクワクしている今日この頃です。

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