あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

国立能楽堂で「第13回青翔会」公演をみききして

2017-06-14 11:52:22 | Weblog


蝶人物見遊山記第248回



久しぶりに能狂言を若手中心の発表会で見聞しました。出し物は「清経」「野守」「鵜飼」の3つの舞囃子と和泉流の狂言「鐘の音」、観世能の「杜若」という盛沢山なプログラムでしたが、いちばんよかったのはおめあての「杜若」ではなく、狂言でした。

主に「金の値」を聞いてこいと命じられて鎌倉に出かけた太郎冠者(新人の上杉啓太が大健闘!)が、寿福寺、円覚寺、極楽寺、建長寺の順で「鐘の音」を聞いて帰って主に怒られるという勘違いの一幕です。

太郎冠者は本舞台の4つの柱(シテ柱、目付柱、笛柱、ワキ柱)を使って、4つの寺の鐘をつきますが、演出のうまい工夫です。

鐘の音のバリエーション、そして極楽寺の鐘が割れ鐘だったというのが面白い。
極楽寺は今では本堂の一部しか残っていないし、かつて栄西が宋から持ち帰った寿福寺の鐘は、秀吉の小田原攻めの時に後北条氏が溶かして銃弾にしてしまったそうですが、この狂言がつくられたと思われる南北朝、室町時代にはまだ鳴っていたのでしょう。

しかし地理上ではこの4つのお寺はかなり離れているから、普通は円覚寺→建長寺→寿福寺→極楽寺コースになるはず。ま、どうでもいいことですが。

「伊勢物語」の在原業平にちなむ「杜若」は長大な大曲で、シテの杜若の精の舞を、小鼓、大鼓、笛のトリオで懸命に支えますが、それは太鼓が加わってカルテットになったときから徐々に熱を加え、ベートーヴェンの第7交響曲の終楽章のコーダを上回る最高潮に達して終焉を迎えるのですが、残念ながら本日のアンサンブルは、もうひとつ協同を欠く恨みがありました。

しかし毎度のことながら感心するのは、能につきもののこの和楽四重奏は、ある意味で西洋古典音楽のカルテットよりも、深くて大きな音楽を鳴らすことで、それは演者が演奏しながら発する叫びによってさらに強度の重層性を獲得しているのです。

能の小曲は、サントリーホールのベルリン・フィルよりも、日本武道館のローリング・ストーンズよりもすごい音楽を放射しています。比喩ではなく。

末尾ながら、能のシテ、ワキ、地謡の発声を耳にしていると、いかに歌舞伎役者の声が鍛えられていない軟弱なものであるかがよく分かります。もっと喉を訓練せよと改めて叫びたいずら。

  忘れない忘れちゃいけない忘れない忘れてしまう忘れちゃいけない 蝶人


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