あまでうす日記

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鎌倉扇ケ谷無量寺谷の「無量寺(無量寿寺)」跡を訪ねて

2017-05-20 11:36:13 | Weblog


蝶人物見遊山記第240回&鎌倉ちょっと不思議な物語第381回


わが偏愛の書貫達人・川副武胤著「鎌倉廃寺事典」によれば、無量寺谷は佐助に抜けるトンネルのある谷ですが、文政から天保頃は綱広谷と呼ばれ、その当時は鎌倉駅西口の水道局の西方の平地を無量寺と呼んでいたそうです。

でも私が訪ねたのは扇ケ谷の無量寺谷のほう。文永2(1206)年6月3日に、ここで秋田城介安達義景13年忌仏事を執り行い、若宮別当僧正隆弁が説法をおこなっている最中に激しい夕立が降り、山の上に構えた聴聞の仮屋が倒れて大騒ぎとなりました。「吾妻鏡」によれば男女2人が山頂から道の北に落下して半死半生になったというのですが、いま見てもいかにもさもありげな急峻な頂きです。

安達義景は鎌倉時代中期の武将で、父は景盛、子は泰盛。北条氏と連合して幕府最強の御家人三浦氏を宝治合戦(1247年)で滅亡させた張本人ですが、この法事が行われたころには当主となっていた泰盛の時代に霜月騒動(1285年)で一族もろとも壊滅させられ、その泰盛以下数百名を殺戮した平綱頼も、8年後の平禅門の乱で一族93名もろとも滅亡していますから、歴史とは皮肉なものです。

   
   2人とも代打に出ててイチローは右飛青木は投ゴロ 蝶人


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