あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

国立能楽堂で「若手能」をみて

2017-03-06 11:55:27 | Weblog


蝶人物見遊山記第233回

春の訪れも間近な日曜日の昼下がり、千駄ヶ谷の能楽堂で第26回の能楽若手研究会による東京公演を観劇しました。

演目は能が宝生流の「吉野静」と観世流の「須磨源氏」、その間に和泉流の狂言「文蔵」が挟まれました。

能は演目はもちろんシテやワキの謡や舞も大事ですが、それ以前に大小の鼓の演奏と発声が宜しきを得ていないと、周りで地謡などが何をやっても後の祭りです。
逆に言うと、この2役と笛がちゃんと演っていれば、役者のいない空舞台でも成立してしまうのが能だ、とド素人の私は思っています。

この日の「吉野静」では小鼓が森貴史、大鼓が大倉慶乃助でしたが先日の「逗子能」のコンビに劣ること数等で、あまり楽しめませんでした。
シテ静の和久荘太郎やワキ佐藤忠信の御厨誠吾も、そもそも擦り足の基本がまだ完成されていないようで、見物していて能特有の美を感じるには至りませんでした。

「須磨源氏」の小鼓は田邊恭資、大鼓は佃良太郎でしたが、こちらはまずまずの出来。クライマクスで太鼓を乱打する(逗子でも出演していた)大川展良、笛の成田寛人との協業も見事に嵌って、若手ならではのエネルギッシュな演奏を繰り広げていました。

ただしアイの里人、竹山悠樹の発声は問題。高音部になると声が上がり過ぎて耳触り。一日も早く改めてほしいものです。

やや期待外れの2つの能の代わりに健闘したのは、狂言「文蔵」のシテを演じた高野和憲選手。京で御馳走になった料理の名前を太郎冠者に思い出させるために「源平盛衰記」を音吐朗々と名調子で諳んじて、満座を湧かせてくれました。

それにしてもリアルな現代小説としても通用するこの盛衰記の「石橋山の合戦」の血沸き肉踊る名場面を、どうして「平家物語」がカットしてしまったのか理解に苦しむところです。

ところで4時間になんなんとする公演を終えて、帰路についたところ、会場の国立能楽堂のすぐ近くに「文蔵」という居酒屋があったのは村上春樹の小説のような思いがけない暗号で、ちと驚きました。

なお能楽堂の資料展示室では「能絵の世界」展を来る3月17日まで開催しており、各流派ごとの舞台演出の違いなどが分かって面白いです。

江戸初期の絵を見ると、観客は酒を飲んだり煙草を吸ったりしながら見物している。現在とは違って、当時は能も歌舞伎のように気軽に楽しんでいたことが分かります。


    能舞台の仕舞を肴に呑んでいた江戸の庶民の心根や良し 蝶人

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