誘われてブログ!

どこまで出来るものか・・・・・

レオン 闘病から その後

2017-04-20 | Weblog

60数年生きて来た中で これほど大泣きに泣いたことは無い

逝ってしまった日は洗濯物を干してても泣き 廊下歩いても泣き
本気泣きのまま日が暮れた

半月以上経っても泣かない日は無いけど 
あれこれ書いた方が良いような気がするので 順不同で書いてます

 

痙攣発作を起こしてから10日間の記録

処方されていた薬をネットで調べました

リズミナール     犬:僧帽弁閉鎖不全による慢性心不全を伴う症状の改善
ディアバスター    犬猫:下痢における症状改善。腹痛、疝痛
ビオイムバスター   消化器官用薬 整腸剤
フェノバール     不眠症
           不安緊張状態の鎮静
           てんかんのけいれん発作   
           強直間代発作(全般けいれん発作、大発作)、
           焦点発作(ジャクソン型発作を含む)
           自律神経発作、精神運動発作
カモタット      慢性膵炎における急性症状の緩解

 

膵臓と腎臓の数値がかなり高いと言う事でした

 

ご飯を食べさせていたシリンジ
細いのがお水用(病院から)それではフードに使い難かったので
ご飯用に太目を買いました(ヨドバシ・ネットで)
 

 

まだまだレオンとの生活は続くと思い込んでたので
ご飯を食べさせた後 暫くは膝の上であちらを向けたりこちらを向けたり 

そのまま寝かしてしまえば床擦れが出来るのが怖いから
膝に抱えたまま  PC遊びしてた のんきな母さん

座卓と私の膝の間で寝てるレオン  ↓
 

この耳は 具合が悪くっても 逝ってしまった後でも
ピンと立ったままだったけど
尻尾はずっと下がったままだった   いつからだろう

 

 

振り返ってみれば2年前は多少背中が曲がり始めて来てるけど
まだこんなにシッカリした身体だったのに・・・・

 

 

去年の春にはもう痩せて腰も曲がりはじめ
後ろ足に力が無くなってヨタヨタだった

 

 

今年の初め 筋力の落ちた足が滑らないように敷き詰めたマットの上でも
後ろ足どころか 前も力無く開いて行きがち
  こんなに痩せて背中が山のように曲がって・・・・・

 

 ヨタヨタ歩けてる間は多少呆けててもまだ意識の有るレオンだったよ~

 

 


籠は買ったけど  それ以外は火葬業者が用意したセット物
 

  

 ーーーーーーーーーー

 

倒れたあとの看病は もうケージは無理ですよと病院で言われた
発作が起こった時にケージの中では何もできないから
ダンボールに入れた方が良い
痙攣が起きたら注射をして と 一式処方され
旦那が注射の仕方を練習した

水分も口からとれる量は少ないだろうからと背中から
それも練習して家に居る時 点滴で1日 100~150CCくらい入れた

 

レオンが逝ってしまって・・・・・
数時間後には レオンの物を片し始めた

たっぷりいただいた毛布やタオルケットなど
今年初め頃に必用だった形や大きさが 
発作前までの間にも どんどん変わって行って
その度に切ってかがったり縫ったりもだんだん変わって行った
次々汚れて処分して行くのでセッセと作った布の山
もう使うことも無くなっちゃった・・・・・・・・

せっかく頂いた物なのに と思いながらもゴミ袋に詰めて処分


布類が足りなかった頃は洗うしかないので
ベランダの二艘式洗濯機 最多1日4回 夜だって洗濯してた
その為に洗濯機の傍に灯りも点くようにしたけど 
もうそれも要らないから外した


残したのはハーネス・リード 幾つもの首輪
ずっと棚の上にとってあったレオンがペットショップから
我が家に来た時に入ってた小さな箱に仕舞った

病院から処方されてた未使用の注射器・針(使った針は瓶に入れて) 
まだ粉にして食べられるようになるかもと思って買ったばかりの
未開封の固形フードも病院に持って行って使って貰うことに 

 

火葬の時に一緒に入れたのは 元気な頃に着てた服 フード 
そして娘が リンゴを剝き始めるとヨタヨタしてても台所近くまでやって来て
ほんの少しだけど貰うのを楽しみにしてた リンゴの欠片
調子が悪くなると 胃の為に食べさせてたレタスも

このレタスは 旅行中にも食べさせなくてはならなくなって
まばらにしか家の無いような地域を店探して 車走らせたっけ

 

老犬用ミルク・フード缶詰2種類はどこかで使って貰いたいと思って
ネットで探してみても中々条件が合わない
子犬用とか猫用品とか フードもメーカ指定のドライフードだったり
でも このまま捨ててしまうのは勿体無くって  何とも残念でならず

ケージも含めて貰ってくれそうな所にメールで問い合わせ
 ドッグレスキュークラブ・東京 に貰って貰えることに

ケージは三つ有ってその内 日々使ってたのは
ダンボールを置く為に 病院から帰った時に解体し 少しずつ処分中 

車に乗せる時用と 
もう一つ別な部屋に設置してあって年1回しか使わなかったケージと
レオン用に貰ったもののまだ切らずに有った毛布も含めて送りました

 まるで何かに追いかけられているのか 破れかぶれなのか 悔しいのか
仇のように 見えなくしてしまいたかった
自分でもどうかしてると思ったけど 止められない

最後の日の朝 ご飯を食べさせるためにレオンを入れて抱えてた蒲団と
包んで病院へ運んだ毛布だけ目の前に残ってる

この手作り蒲団を見れば まだ涙零れて     


レオン 永眠

2017-04-14 | Weblog

2016・4・1 レオンは逝ってしまいました

 

 

昨年から 痴呆の症状と言われてる 
グルグル回りや 後ろに戻れなくなってた
それでもいつの間にかケージに戻って来るし
ストーブの点いた気配はどこで感じるのか
ファンが回り始めるとストーブ前に寄って行って寝てた
まだら惚けだったのかも 

若い頃は8kg近く有りデカピンと言われてたのに
最近は食べさせても痩せて痩せて骨と皮 これほど痩せられるものなのか・・

今年になって測ってみたら4.7kg 
缶詰など フードを色々替えて シニア用ミルクも飲ませ
食欲そそりそうな物をトッピングもしてるのに 
食べても痩せるのは止まらない


ヨタヨタ歩きで ご飯も器から上手く食べられなくなり
寝たままでおしっこするようになって数か月
それを介護だと思ってた

 

3月22日(水) 朝 起きたらケージの外で倒れてた
 
夜中から酷い引き付けを起こしてたのか ぶつけたらしく血が流れてた

のけぞって硬直するような痙攣を何度も起こし
幹細胞治療の点滴の為に入院中も硬直痙攣を起こし注射して貰ってた
癲癇の発作みたいなもので 一気に重い痴呆になって もう何も伝わらない
連れて帰ってからが本当の介護だったわ

3月25日(土) 2度目の幹細胞治療の為に入院させて27日退院

毎日のご飯は 毛布で包んで抱えてシリンジで口に入れてやる
食べた後は直ぐに寝かせず ずっと抱っこしてたりして
18年間を考えれば 子犬の頃より密着してたかも

この介護を大変と思った事は1度も無く
洩らして冷たくなるとキューキュー泣くので夜も枕元に寝かせて
ペットシートの交換は まるで 昔の子育ての頃のよう

この頃はもう4.4Kgになってて 片手で抱えられるほど 
身体はグッタリしてるので片手では抱けないけど 

 3度目の点滴は4月7日に出かけるので病院で預かって貰ってる間に
して貰うはずだった 



 

4月1日(土)
朝のご飯 9時過ぎ いつものようにシリンジに用意して
まずは薬を口の横から入れ シリンジを口に差し込むと 嫌だと首を振る
薬は飲まないといけないし もう口に入れてしまったのに
お水のシリンジも嫌だと言う
暫く抱っこしてたけど 時にはご飯の途中で寝てしまう事も有るので 
じゃ後でにするしかない
「寝るなら目をつぶって寝なさいよ」と 10時過ぎ 横にした
後で考えたら目をつぶらないこの時 もう半分逝ってたのかも
11時過ぎ 向きを替えさせようと蒲団をどかしたら
今までのとは違う酷い下痢の跡

身体に手をやったら  何か変  温かいけど心臓が動いてない
嘘でしょ   何度も何度も確かめてみたけど・・・・

少し前まで抱っこしてたのだから
そのまま抱っこしてあげてたら良かった (ノД`)・゜・。
一人で逝ってしまった 
 
下痢の跡なので最後に身体を洗ってあげようと思ったけど
乾かすドライヤーは娘に聞かないと
で 旅行に出かけて行ったばかりの娘にメールと電話
出掛けた先で 逝ってしまったと聞かされても困るだろうけど
私の頭はもうパニックで・・・ただオロオロバタバタ

娘に連絡がつかない間に動物病院へ電話したら
直ぐ連れて来たら洗って処置をしてあげられるからと言われた


毛布に包んで 玄関を出る時に
「レオン 今日は4月1日  嘘だと言いなよ」 と声をかける
 号泣の酷い顔のまま病院へ行くことに


また少し下痢みたいのが流れ出てて 医師が言うには
多臓器不全の最後はこのようになるんですよと 

火葬業者を頼むのに 病院から貰ったパンフレットやネット確認
近くでも粉骨は出来なかったり 郊外まで行くとかだったりなので
車で来て粉骨も頼める業者にしたが直ぐには出来ず
月曜午後が一番早かった

レオンは寒いのが大嫌いだからドライアイスなんか使いたくないのに・・・
毎冬灯油配達してもらう店にドライアイスを買いに行く

 

火葬車は昼に来て人間みたいに別れの儀式が有る
もうこれで2度とレオンを撫でてあげられないのかと思ったら
涙は止まらないまま いっぱい撫でてあげた 

車に入れるのだけど 公道で見送るって言うのは嫌だと思った
火葬車は住宅街で火葬にするわけにはいかないので
離れた場所に行くらしい (苦情が出ない場所なんでしょう) 

2時間ほどで車は戻って来てお骨上げ
係りの人が説明をしてくれるし 箸も有るけど
私は無意識に手が出て  歯と尻尾の骨をロケットに入れました
(愛しいレオンの骨だもの不浄なんて有り得ないから触りまくり)
1度大きな骨壺に入れて 粉骨の為に車はまた出かけて行き 
小さい骨壺で帰って来ました 

 

10日間 それは レオンが頑張って 私達に残してくれた最後の日々
入院以外の数日間  
抱え込むような介護をすることで諦める気持ちにさせるのか
痴呆となって 寝たきりで食事もできないようになって 
身体も辛かっただろうに

私らの年代での付きっ切りの介護の限界を思いやったのかも
別れの前の最後の親孝行

 

そして思うのは レオンは虹の橋には行かないかも
だって 他のワンコには全く関心無しで 
ご飯あげてる私より お父さん一筋 ストーカーのようだったもの

今 旦那の席の真後ろに写真と骨壺が有ります
レオンは満足でしょう

 

骨壺に入ったレオンは ただそれだけの物 

私には 去年までしてたレオンの首輪と
最後に切った爪 (もう嫌がらないねと言いながら切った)
短くって中々切る場所が見つからなかった短毛少しを入れた迷子札用ロケット
これをキーフォルダーにしました 
 

火葬業者の持って来た大きめなロケットは
歯と骨を入れたまま携帯に着けてます 
 


2017・4・7 STANDARD

2017-04-11 | Weblog

国立劇場  2時半開場 3時開演

時々雨がパラつくものの傘をさすほどのことも無いような日
折り畳み傘を準備して出かける 

丸ノ内線から半蔵門線に乗り換える大手町
乗り換えは直ぐなのだけど半蔵門の出口が前方なので
狭いホームを長々歩くのが嫌 

 

気温は20℃ 半袖でも良いかと思うような暖かさで
上着は持って出たものの結局着ないまま

ソメイヨシノは満開 劇場前の枝垂れ桜はまだ蕾で早いくらいだった 

今回は  1階13列 12・13
この席は花道の真横 (*^。^*)
跳んでもはねても 歌っても隣を気にすることは無い

ファンクラブ会員でなければ正面席は無理で 何時も花道の左だけど
出は花道って事が多いので 今年は良い席 (*^^)v
手を出したら届く距離  (手は出さないけど)
コンサート中に会場に下りた時か握手会でも無ければこれより近くは無い
惚れ惚れ見上げる前をサッと通り過ぎて行った

もう少しゆっくり歩いてくれればいいのに 

 ゲスト・・・・う~ん・・・ゲスト嫌いな私としては・・・(=_=)
たとえ三浦友和・百恵夫妻の息子でも 素人の歌は聞きたくないな~ 
 

 

途中にトイレ休憩が入ってるけど 今回は行くことも無く
帰りに入ろうと思ったら 1階左のトイレが閉鎖になってしまってた 
2カ所のトイレがどちらも駄目ってどうした事だろう
1階右か2階を使ってくれと館内放送 があったけど 
混むのは当然なので諦めて地下鉄半蔵門駅へ向かう

これまで何故か運良く劇場から少し歩いた場所にタクシーが居たりしたけど
今回はそのようなことも無かったし
早くトイレに入りたいと思ったから地下鉄で良かった

半蔵門の駅に下りるビルに サンマルクカフェが有ったので
そこのトイレを使おうと思ったら中は本屋も兼ねていた
本屋の中にサンマルクカフェが有るってことなのか?

なのでトイレに向かうと そこはビルの中の誰でもが使うみたいだった 
サンマルクカフェの専用トイレでは無いから これは緊急時には便利