変言自在/雑句場乱

善いことに悪いコト、正しい心に邪なココロ。
世の中、皆どっちつかず。「ばっかり」じゃないからオモシロイ。

#188 「何もかも平穏な冬の朝」三浦朱門さん。

2017-02-19 07:19:14 | ぶらり図書館、映画館
『戦い好まば国亡び 戦い忘れなば国危うし 防衛大学校 卒業祝辞集』



先ごろ、三浦朱門さんが亡くなりました。

自分は彼の、
それほど熱心な読者ではなく、

どちらかと言えば、
「曽野綾子さんのご主人」という位置付けだったりするのだけれど、

それでも、いくつかある手持ちの著作を引っ張り出して、
読み返してみたりしました。


今回はその中から、
追悼の意味を込めてちょこちょこっと紹介いたします。


まずは、冒頭画像に掲げた三浦さん、
『戦い好まば国亡び 戦い忘れなば国危うし 防衛大学校 卒業祝辞集』(光文社 2001)
から、

「編者の言葉 武力は不要になったか」

 下士官なら特定の技能に通暁していて、それを確実に実施できる能力があればよいかもしれない。しかし幹部というのは、不測の事態に対処するのだから、あらかじめ訓練された技術、あるいは特定の状況に応ずるように訓練された部下が、事態解決に役立つとはいえないにもかかわらず、その与えられた手段によって事に当たらねばならない。一般教養と言われるものは専門分野を持たず、その故に何の役に立つかわからないものではあるが、何の役に立たないものだからこそ、あらゆる場合について有効なのである。

 来賓はまだよい。言いたいことを言って、責任をとらされることはない。しかし毎年のように出席する総理大臣の訓示の内容は、政府の憲法第九条の解釈としてみなされることを覚悟しなければならない。そのためだろうか、美辞麗句で包むことで、辛うじてその本心を包んでいる、という印象を受ける。総理は、自由に祝辞を述べることのできる来賓をうらやんだことであろう。


総理大臣、防衛大臣の不自由な言葉遣いは変わりません。
そうと知りながら揚げ足を取って追求する野党議員の言葉遣いも変わりません。


真剣を振るう業、抜かない業(平成3年)

 真剣は絶えず手入れをしておかねばなりません。またそれを使う者は、剣を振るう業をその極限にまで鍛えておかねばなりません。しかもなお、鍛えた腕があり、研ぎ澄ました剣があろうとも、剣は抜かれることがないのがよいのです。百年兵を養う、という言葉がありますが、百年間も軍隊の訓練と装備の向上への努力を続けていたとするなら、その間には多くの名将が戦場で功名手柄を立てることなく、軍隊を去ったことになります。しかしわれわれはセント・ヘレナで亡くなったナポレオンの他に、兵を動かすこともなく、晩年を好々爺で終わった、何人ものナポレオンがいたことを忘れてはならないと思います。その偉大さは歴史に残ったナポレオンに劣るものではないことをまた知るべきなのであります。

これは、三浦さんご自身の祝辞です。

どこでだったか、
「自衛官というのは、注目されないことが平穏無事の証なんだ」
ということを聞いたことがあります。


お次は、産経新聞での連載がもとになっている、
『天皇の昭和』(扶桑社 1989)
です。



かなり、ずっしり分量のある本なのですが、
文章自体は平易で読みやすいと思います。

「退位もできぬお苦しみ」
という回からの一節。

 昭和天皇がたとえ第二次大戦について、どのように思っておられたにせよ、天皇としての職務を退かれることはなかった。天皇というのは地位であって、総理大臣や、参謀総長といった職業ではない。陛下はたとえ連合国の意図によって、中国に幽閉されるような事態になられても、捕らわれの天皇として、日本国民と日本の国のことを思い続けられたことであろう。
 その点では敗戦後、忽ちに皇帝であることを自ら否定して、一切の責任を日本の帝国主義者たちに帰した満洲国皇帝とは、全く違うタイプの君主であらせられた。


時節柄(?)、こういうところが目に付くのですね。やっぱり。


最後に、これは図書館で借りたものですが、
『セルロイドの塔』(文藝春秋新社 1960)
です。



せっかくなので、
小説も読んでみようと思ったわけですが、

淡々としているような飄々としているような、
でもちゃんと物語になっているというような、

ついでに、

自分はまだ生まれていない彼の時代の、
空気を斜めから吸って描写しているような、
微妙な面白さのある本でした。
(*原文は旧字体。ちなみに定価250圓!)


 だから、緊迫した空気とは言っても、それを作っているのは、全体から見ると一割に満たない各部の部員や、委員連中である。彼等の一部は夜を徹して議論しているかもしれない。その一割の学生が互いに反目していれば、彼等のエネルギーは相殺されて、九割の学生には及ばない。しかし、一割の学生のエネルギーの方向が一致すると、やがては九割の学生も動き出す。岡田は自分が学生の頃、九割の学生の一人として、そういう経験があった。

 どちらを向いても、学生の顔が続いている。そして彼等は一人一人の意思ではなく、群全体の物理的な力で動いていた。そこには個性が全くなくなったような開放感があった。そして個人個人の責任を免除されたような安心感があった。同じ学校といいながら、見たこともないし、学部も違う学生と腕を組みながら、十年の知己のように、彼等に親しさを感じた。

 それは群を解くと同時に消えてしまう幻のような感激ではあったが、岡田には楽しい思い出として残っている。何のためにその群に加わったかは、彼はよくおぼえていない。確か基地問題だったと彼は思うが、何処の基地だったかは、はっきりしない。やがて岡田の心にその時の感激だけが残って、彼等が隊を組んで歩き、叫んだ理由が全く忘られる日が来るであろう。



確かにそういう日が来たとも言えるし、
再び同じことが繰り返されているとも言えるし・・・



さて、
「妻を娶らば曽野綾子」
と揮毫したりした三浦さんですが、

当の曽野さんは、
こんなエッセイを書いてました。

なるほど「平穏」とは、こういうことなんだろうなあ、
と、しみじみ思います。


(産経新聞2/9大阪6版)

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

ついで、と言ってはなんですが、
『戦い好まば国亡び 戦い忘れなば国危うし 防衛大学校 卒業祝辞集』
から、もう少し・・・


防大生に与う 吉田茂(昭和32年)

 しかしながら、兵は挟着である。これを用うるは苟しくもすべきではない。またこれを用うるにおいてはこれを止むる用意がなければならない。いわゆる、武なる文字は戈(ほこ)を止むると書くのである。日露戦争の時、児玉参謀総長は奉天会戦をもって日露戦争を終わるべき時なり、と大本営に進言して、兵を収めて日露戦役の功を全うした。


独立国民の用意 小泉信三(昭和38年)

 人に媚び、世に阿ねるは空論は、いずれの国、いずれの時代にも行われます。今日の日本も例外ではないのであって、たとえば水害の恐れはあっても堤防は必要なく、火災はあっても消火機関は必要でないというかのごとき議論、否な、堤防さえなければ洪水は起こらず、蒸気ポンプさえなければ火災は起こらぬ、というにも類する議論が時に行われるのは事実であります。


一級のミリタリーは一級のシビリアン 塩野七生(平成5年)

 私はあなた方に、日本のためと思って防衛にたずさわれなどとは、言いたくありません。でも、あなた方自身の才能を発揮するのに防衛にたずさわるのが適していると思えば、それに人生を賭ける価値はある、とは言います。
 相手のためであるという想いだけでやると、その相手が認めてくれなかったりすると腹が立つものです。しかし、自分のためにやると思えば、そうはならないでしょう。なに、私益のよき追求は公益の達成に通ずる、と思えばよいのです。そして、この考え方が正しいことは、歴史が実証してくれています。



一面抵抗、一面平和 上坂冬子(平成12年)

 皆さんは、この経緯から何を学びとりますか。私は汪兆銘は失敗したけれど彼の掲げた哲学は正しかったと思います。つまり本当に平和を願うなら片方に武力、もう片方に平和交渉を車の両輪として併せもたねばならないということです。志だけで平和は求められません。他力をあてにせず自らの武力をバックにもってこそ平和交渉は成功するし、そのバックなしには失敗するということを、私は著作をすすめながら思い知らされました。
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