早川牧師の見たこと、聞いたこと、言いたいこと。

私、早川が聖書や色々なことから見たこと、聞いたことを皆さんにお伝えし、分かち合う。

今年もよろしくお願いします。

2012年01月09日 | 普通の牧師のコラム・・・。
 あっという間の年末年始でした。年末は残った仕事を終えるために、バタバタした年の暮れでした。形だけでしたが、牧師館の大掃除の手伝いをして新年の備えをし、元旦の朝を迎えました。いつもの通りのお祈りの後、恒例の通り、家族のものを誘って初日の出を近くの高台に登って見ました。雲が覆っていましたが、地と雲の間の山から初日の出を見ることが出来ました。毎日、同じ日の出でしょうが、元旦の朝なのか、すがすがしく感じました。その日の出を見ながら、この町に住む人たちに平和が来るようにと祈りつつもこの世の闇から救われるにはイエス様以外にはないと思いが起こり、新たに宣教への決意が与えられました。帰り際、東日本大震災や台風、原子力事故で苦しんでおられる方々のために祈りました。その後は元旦を除いて牧師室兼事務所の大掃除で正月は終わりました。大切にしていた書類も教会が新たなる出発を迎えたことを契機に思い切って整理した結果、部屋が随分すっきりしました。そのためでしょうか、過去にとらわれず前進あるのみとの思いを強くされています。今年もよろしくお願いします。

祈って委ねる以外に出来ない

2011年10月14日 | 普通の牧師のコラム・・・。

  詩篇七三章二五節「天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。 」この聖書の言葉はとても大切な言葉として覚えていました。しかしこの言葉の意味を知るには少しばかり時間が必要でした。この世界に何を持ち、何を望むのか。これは重要なことです。長年、説教を聞くことを通し、聖書を読むことによって、また些かの経験から神様以外に考えられませんでした。そう思っていましたし、そう望んでいました。しかし今振り返ってみると神様以外のものを握っていたかと思います。もし、この聖書の言葉を握っていたならば、何も恐ろしくないはずです。しかし現実は様々な出来事の中で恐れを覚え、悩み、寝つかれない夜を過ごしました。一生懸命に神様の名を呼んで祈ったのですが、平安や確信は訪れません。信じていることは変わらないのですが、実態が伴わないのです。そして今、自分は相変わらずですが、委ねることが出来るというよりもそれしか出来ないことを知っています。不安がないことはありませんが、祈って委ねる以外に出来ないのが本音です。皆さんは如何ですか。

ガンバレー 監督

2011年10月04日 | 普通の牧師のコラム・・・。
 最近、私の好きな野球チームが負け続けて優勝からどんどん遠ざかっています。春は今年こそ優勝だと思いをはせるのですが、秋口に入る頃にはまた来年だなぁと思うのは私だけではないと思います。チャンスが無くなったわけではないのでこれからもがんばってもらいたいと思います。そこで負けが込むとやはりそのチームの監督は非難の矢面に立たなくてはなりません。私も「あんな選手起用するから負けるんだ」と小声で言います。本当に指導する責任の大きさを感じます。監督も全力を尽くしていますが、歯車が狂うと戻すのが大変です。しかしここで忍耐を学び、更なる勉強へと導きます。負けてこそ得られるものがたくさんあると考えます。私はどうあってもチームを応援するよ。監督さん。ガンバレ!!

最後の血の一滴まで愛せた

2011年07月05日 | 普通の牧師のコラム・・・。
 この年になって何が嬉しいのか。沢山あるようでこれだというものはありません。すべてのものは与えられると共に取られることがあるからです。頂いた時に嬉しいと思う反面、失うことの憂いを覚えます。形あるものは皆そうです。自分の子供もそうです。では何が嬉しいのか形あるものではなく、永遠に残るものです。それは愛です。子供への愛、教会員への愛、愛を与えることが喜びです。時には愛しても愛されないこともあります。しかし、その人を心から愛せたことは喜びです。愛を示すことができることこそ何歳になっても嬉しいことなのです。イエス様も愛することだけに生きて来られました。弟子たちの裏切りは心の痛みでしたでしょうが、最後の血の一滴まで愛せたことは喜びだったことでしょう。

天地創造の神様と共に生きること

2011年06月29日 | 普通の牧師のコラム・・・。
 急に暑くなりましたね。体がこの暑さについていきません。しかしこれからは自然に逆らわず、自然と共に生きる方法を学ばなければなりません。知恵の勝利である原子力は自然に逆らった巨大なエネルギーです。それをコントロールするなら莫大な利益を生み出しますが、今回の震災で自然の力に負かされ、人の手で負えなくなりました。いつかは沈静化するでしょうが、そのために払う代償はとてつもなく大きく長いことを知ることでしょう。そう思うと快適さを求めて自然に逆らって生きてきた生き方を考え直さなくてはなりません。これからは自然と共に生きる道を求める必要があります。ですから暑さに耐える身体を造ること、自然の力をそのまま生かす技術などを開発することが求めらます。そこでふと考えますと自然界を造られた神様に逆らう人の知恵による生き方は非常に危険だと思いませんか。天地創造の神様と共に生きることが正しいのです。

祈りなくして神様の御業を見ることは出来ない

2011年06月29日 | 普通の牧師のコラム・・・。
 ペンテコステ礼拝が過ぎました。あとは十二月のクリスマスまで教会のお祭はありません。といっても教会の行事は色々あります。救霊と養いのために一回一回大切にそして祈りを持って催したいと願います。祝福されることと祈ることは相関関係です。ですから、催しが祝福して頂くために益々祈りを熱くしたいものです。祈りなくして、言いかえれば主の臨在がなければ何をやっても祝福されません。心ひとつにしてこれから日々、祈りに励みましょう。教会が祝福されるには韓国の教会の例に倣って熱心に祈ることです。祈りなくして神様の御業を見ることは出来ません。心を注ぎだして祈りましょう。

神様の業を求めて

2011年06月15日 | 普通の牧師のコラム・・・。
 神様の御手の業はどのようにして現れるのか。ペンテコステの日にイエス様以外だれも想像できなかった事が突然に起こりました。ペテロは聖霊に満たされて旧約聖書に基づく素晴らしいメッセージを語りましたが、それまではひたすら祈るだけでした。ですから神様の御手の業は御言葉の約束を握って祈る時に現れます。松原和人先生はひたすら祈る方でした。私の母が松原先生を初めて見た時、この先生には神様の臨在があると感じたそうです。神様にひたすら近づく者だけが神様の臨在を持ち運び、そこに神様の業が行われました。サムソンは無敵でしたが、その力に酔って油断をした時に臨在を失いました。しかし彼はそれに気付きませんでした。気付いた時にはみじめな姿をさらしていました。今こそ日本とその霊界のために神様の業を求めて祈る必要があります。

私達の決断

2011年06月06日 | 普通の牧師のコラム・・・。
 先週関西聖書塾に出掛けました。日本のキリスト教会の混迷の理由は様々考えられるでしょうが、その解決法はキリストの主権の回復と福音宣教だけだと言われました。分かり易く言えば教会にキリストの主権を回復すること、つまり人中心から神中心にすること、それは神様が与えられた権威に信頼することです。そしてイエス・キリストが弟子たちに託した福音宣教、つまり罪人を福音によって悪魔の支配から救い出し、その人を訓練してキリストの弟子とすることです。クリスチャンの行動する業のすべてが神様の栄光となっているか、また福音宣教であるかを吟味して、全力を尽くすことです。これが神様が求められている唯一の手段だと言うのです。これは初めて聞いた教えではありません。問われるのはそれを実行しているか。ここに私達の決断が求められます。

わがままを捨てて我慢すること

2011年06月02日 | 普通の牧師のコラム・・・。
 梅雨入りしました。今年は観測史上二番目の早さの梅雨入りだそうです。早く入って早く終わってくれればそれに越したことはありませんが、天気予想は全く分かりません。アメリカではメキシコ湾の海面温度が高いことで竜巻が多発しているとのことです。地球は人の体と同じでちょっとしたことであちこちにガタがきています。地球も年を取ったのでしょうか、人間が酷使したので衰えているには違いありません。しかも大規模な癌細胞のように放射能汚染が広がっています。このまま放置していると取り返しのつかないことになります。地球を長生きさせたいなら、わがままを捨てて我慢することを学ぶことが必要です。でも私たちはどこまで我慢できるでしょうか。神様はそのところを見ておられるようですね。

神様の親元でぬくぬくと養われている

2011年06月02日 | 普通の牧師のコラム・・・。
 朝の散歩を再開しました。しばらくは散歩を続けたいと思っています。先日の散歩の折、あまり見ない鳥がいましたので近寄るとなんとツバメです。もうそんな季節になったのかと思いました。私が幼い頃、向かいの家の軒下にツバメの巣があって、毎年、そこで子育てをしていたことを思いだしました。あの頃は自分も親元でぬくぬくと育ち、守られていたことを思い出して何となく暖かな気持ちとなりました。そういえば今も神様という親元でぬくぬくとさせて頂いていることを忘れておりました。日々あれこれと思いわずらうことがありますが、考えれば感謝なことに神様の親元でぬくぬくと養われているんだと思うと実に感謝に堪えません。大人になったからひとり頑張らなくてはと思い上がっていたようです。