katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuくんの日記

棟梁とおかみさんの相席教室

2017-12-01 00:49:28 | モザイク教室
今日は通常に戻って棟梁とおかみさんの相席教室。内容は2人共にほぼ一緒なんで、画像と共に・・・。


えっ?こんなに違うのに、何で指導が一緒なのか?って不思議に思われるかも知れないけれど、これがほぼ一緒なのね。それにはまず、知って欲しいのは、おかみさんは薄い色が好きで、棟梁は濃い色が好きな人である・・・ここをベースに見て貰うと、

おかみさんの縁取りがいつもよりもかなり濃いね・・・って感じるし、棟梁はぴっりする程に薄いね・・・と思うはずなのね。ただ、2人の単なる好みでは無く、趣旨に沿って考えると、必要性があったはずなのね。例えば、おかみさんの場合は、この形が窓に見えて

いたとしたら?窓枠として濃い色で縁取った・・・そう考えると、好みである薄い色よりも際立つ感じがしないだろうか?では逆に棟梁は?と言うと、薄い色を表現するのに、寝ぼけた色と言うくらいだから、くっきりはっきりした色が好きなのね。

ただ趣旨はどうか?と言うと、天使を作るって言った時点で、見た事は無いが一般的には白衣の天使なんて言葉があるように、何も色の無い白って色は透明感にも思えるような、染まっていない、汚れていないみたいな表現には王道だと思うのね。

つまりこちらも趣旨を重視した事で、好みとは違う本来は好きでは無い色のスタートを切った事になるのね。それはいつも言う単に色の話であって、今度はモチーフの話になるのね。まっ音楽なら、作詞と作曲みたいな意味の違いね。

ではおかみさんから、また説明となるが、その前に2人の作品を比較する前にお弁当箱を頭に浮かべてね。では、おかみさん弁当は?と言うと、このお弁当どんな感じかな?・・・例えば質問を変えると、何がメインなのかな?って話。

例えば何々弁当・・・ってあるよね?鮭だのカツだの、キノコだタケノコだってね。つまりメインありきってものね。そう考えると、何弁当に見えるかな?・・・恐らく白い花が一番大きなスペースを使っているんだけれども、白である事で主張は薄め。

2羽いる小鳥は、小鳥と言うくらいだから、小さな鳥なんだけれど、世界最小的に小さいのね。むしろ白い花に隠れるような存在。
そこに今日はピンクのカーテンが主張して来た・・・って感じなのね。では棟梁の検証となると、前回あれだけ検討した後光。

それをやっぱりいらない・・・って話をするのね。いきなり・・・さて何でだろう?となるのだけれど、その前にフリがあるのね・・大体の人には。さてその前フリになるのは、前回それと同様に花の絵の描き方って言うのも教えたのね。

花を描く時に、こっち向きの顔ばかりを大きさの同じ紙に描くと、卒業アルバムのような絵になるから、お花図鑑では無く、お花畑のようにしたいのだから、あっち向きやそっち向きを描かないとね・・・それと葉っぱ。これは絶対に必要ってね。

所がまた何枚も描いて来たのだけれど、本人の発言のまま話を展開すると、本人曰く、絵がヘタらしいのね。けれど一生懸命描いたらしいのね。何十枚もね。色んな花をね・・すると、あれは好きじゃないし、これは嫌だしって好きなのを描いたらしいのね。

そしたら自分の誕生花がノバラだった・・・って残念だって言ってて、その絵を見ると、丸の実みたいなのを10個とか描いて、1本の線で枝に指したような絵でね・・・正直何処にも一生懸命さは感じられないのね。そこで舐めたね・・とわざわざ言って見た。

すると、当然頑張りました・・・と返して来る。では、その枝差し団子みたいな絵と他の絵の2枚をおかみさんに見せて、自分の娘がどちらかの絵を学校に張り出されていたとしたら?どっちの絵がお母さんとして嫌だと思う?って聞くと、迷わず団子を選んだ。

まっ、当然そうなるよね。つまりおかみさんにも本気さ加減が伝わらなかったって事。恐らくこれで撃沈だったんだろうね。さて、では何故こうなったのか?それは簡単な話で真摯に自分と向き合わないから。やりたい事だけを好むから。

そして自分のテーマの壮大さに気が付き、重みを日に日に感じるから。単なるプレッシャー潰れなだけ。そして舐めた分だけそれを大きく感じたのね。って気持ちを先に話しちゃったけれど、お弁当の話ね。棟梁弁当は?って言うと、天使がドーン。

恐竜が2匹ドーン。そして、これからお花だらけでドーンに後光だっけ?嫌いらないって・・・。何でドーンって付けたと思う?それは大きいから。例えば鮭弁当は切り身だったりするから、本当に鮭?って気がするけれど、こんなに大きな天使は尾頭付き鮭。

つまり誰が見ても鮭。スペースが大きい分、やりたい事をすればする程、全てが影響を及ぼすものばかり。しかし、おかみさんのお弁当は小箱。あれもこれも詰め込んでは何弁当か?判らなくなるのね。ただ上品になれば、懐石料理の小鉢だらけの御膳になる。

こんな違いがある。ただどちらも弁当箱の大きさの違いはあれど、やりたい事だらけを満載にして行くスタイルなのね。では判りやすい方の色の話で言えば、色鉛筆を浮かべてね。モザイクは色を混ぜられないから、単色で選ぶ事になるのね。

じゃ好きな順に色鉛筆を使ったら、箱に戻さず、次へ次へと使いたい放題選んだ最後に選ぶ色が2人のバックの色って事になる。
それで果たして良いのかな?確かに体験教室の場合なら、今まで使った色じゃないのでバックね・・・となるけれどね。

2人は上手いと言われるようになった人達。当然、上手いだの凄いだのって着地をしたい訳で・・・。でも、好き放題やってしまった後始末的な色って何?・・・これが好きな順番に手を付けたお弁当の食べ方なのね。良いおかず何も無いもんね。

だからこそ、もうそろそろその考え方を是正しないとならなくなったのね。しかも、おかみさんは流石にもう残りわずかなスペースでいよいよ何も出来なくなっただろうから、バックは?と考えないとならなくなっただろうし、棟梁はまだいくらでも入れられる

って違いはあるものの、人のふり見て・・・って言うのなら、ここまで似ていれば、このおかみさんへの指導は、ほぼ我が身なのね。さてそれでは、こんな展開の中、どうする?って事になって、ここへ来て最後の最後にクリーム?って色から来たのね。

じゃクリームにしたら?白い花はかぶって主張しなくなるだろうね。つまり先日のみどりの猫が付いたトイレのプレートの話。隠れキャラにしたいのなら・・・ただ上手く消えるかな?もっと言えば、消したくないだろうから・・・それは無いわ。

では次って言うと、薄味好きのおかみさんはベージュなんて言いそうなのね。確かにちょっとは見えたかな?そうね、こんな事になるのは、小学校の頃の残酷なじゃんけんで仲間を振り分けるあの方法だから・・。

じゃんけんぽい。じゃこいつ。と勝った人は一番欲しい奴を引き抜く。負けた奴は取られた気分で、まっ良いかと外れ1位を指名する。また、じゃんけんぽいっ。って10番くらいになると、どっちでも良いや・・・って奴しか残って無い。

こんな残酷な事を大人になってやってどうする。って感じなのね。どうして好きなもん順なのかな?考え方を変えるべきなのね。好きなもん順なら、所詮残っているのは、ろくでもない色しか残っていないだろうね・・・意識の中に。

どうして切り札として残して置かなかった?これが締めの一品・・・このおかずを最後に・・・ってね。美味しいもの順は段々と無くなるのは当たり前なのね。つまり寂しくなって行くのね。じゃ、やってしまったのは仕方無し。これもまた勉強。

ではどう考えれば良いのか?の初歩は、折角残って無いのね。どうしよう・・・では無くて、折角無いのね。前向きぃぃ。その時に、きちんと自分がやって来た事と向き合うのね。じゃどう向き合うか?きちんと検証をする。

やりたい放題やってしまって、いつもの好きな色が使えない・・・そんな状況では打つ手は無い。つまり色だけを考えるから。本当に大事なのは色では無く趣旨なのね。では、俺なりの解釈で考えると、この形から窓に見えた人は、カーテンを付けたのね。

ではそのカーテンは部屋の中にあるのだから、窓は開いた事になるのね。だって白い花は窓の外に見えるものね。では、この2羽の小鳥・・・・飛び立つの?飛ばないの?どっち?・・・飛び立つとしたら?何で飛び立ったの?って質問。

飛ばないのなら、どうして飛ばないの?って質問。どちらにしても理由は聞くのね。理由が大事なのね。それがその人の意見になるから。しかしながら、そんなのどうでも良い人は、真摯に向き合うつもりが無かったり、その場しのぎで発言すると、その通りに

指導するのが俺なのね。だって個人レッスンだから、その人自身なんでしょ?作品って。向き合わないなら、向き合わないで終われば良いし、こだわるのなら、しっかりこだわれば良いし、これでおしまいなら、最後の1作だし、続けるのなら糧にすれば良い。

すると、外には出ないって言うのね。来たのね、おかみさん意見。窓は空いても外には出ない・・・かなり意味ありげだよね?同じ質問なら棟梁は青空に飛び立つ・・・って言うのね。言い切りは本人がやっぱり言ったから。あはははは。

その場合、外へ向かう理由は何?となると、かごの鳥が外に出るって絵だから・・・って、単純に暗い所から明るい所へって考えるのなら、暗い色ってどんな感じ?・・・っていくらか限定出来たでしょ?これが初歩の初歩。

じゃこんな事を付け加えると・・・かごの鳥ってのは所詮かごの鳥。野生と違うから、そう簡単には生きられない。かごの中は自由は無いが安全で、外には獲物を待ち構える敵もいる・・・そんな中、2匹で頑張って自由を生きよう・・・って絵だったら?

単純に暗い色って思える?ほら、違った。こうしてきちんと向き合うと、ここに意味が出て来るのね。そんな中、穏やかな・・なんて言葉を言うのね。そりゃ、穏やかなら外に行く必要は無いのね。つまり穏やか色を探す訳なのね。自分の言った通りにね。

初めて聞く人は、はぁ?何だそれ・・・穏やか色なんて無いわっってね。ただね、想像力ってのは誰にでもあるのね。ただ使うか?使わないか?だけ。穏やか色って黒やグレーにある?・・・すかさず無いわっって。ほらっ、2つ消えた。これが消去法。

すると、暖かそうな色って言うのね・・・ほぉ、穏やか色は、暖かい色なんだね。また情報が増えた。これで刑事は探しやすくなる。また新たな情報なのだから。じゃ水色みたいな寒色系は無くなったのね・・・。ほらまた消えた。

こうして絞って行った時に、段々と自分が思っていた事と大きく変わっていく事に気が付くものでね、そうすると思い込みが消えて行くから、心に素直になる。素直になった心こそが穏やかなんじゃないのかな?・・・・どうかしら。

そんな心の色はどんな色なんだろうか?・・・そこまで聞けば答えは1つなのね・・・俺には。だって心を乱しているものは、ギスギスしていると思うのね。ギスギスは尖がっている感じがする。形がね。穏やかってのは角が無い感じがするでしょ?

しかも、穏やかなんてもんは、フワッとしている気がするのね・・・言い方が悪いが、主張しない存在感。例えば日差しが強い朝・・・きっつぅぅぅぅい、暑さを感じるし、日光が突き刺さる感じ。バリバリ主張した。

逆に霜が降りた朝・・・もう背中は丸くなって吐く息は白い・・・完全な主張ね。じゃ、穏やかな朝は?俺は何もいらないんだと思うのね・・・つまり穏やかって言うのは、あるべきものが昨日と同じにありさえすれば、それこそが穏やか。

だから何も主張する必要が無いのね。つまりどいつのにも邪魔にならない存在こそが穏やかなんじゃないのかな?ならば、素材はコロじゃないのかな?・・・コロは淡いから主張をしない主張をし、一切他を邪魔しないから、どれもが合う。

単純におかみさんが口にした通りに進めば簡単に見つかるのね。では一見正反対の棟梁は?今の存在感の薄い、主張しない事が主張と言うコロを自分、つまり天使に大きく使ってしまったのね。つまり今は我慢の時で、お花畑になったらどぎつく行こうぜ。

って感じの、宝塚の化粧くらいで丁度良いのね。ステージ衣装のように・・・何故ならこの世は良い所だろっ?たまには帰っておいで・・・の絵だから。所がその色をど派手に出来るお花の絵が、また暗礁・・・折角描いて来て出来ると思ったのに。

そうなると、思い通りにならなかった事で、責めて進みたい・・・になるが、じゃ単に進みたいのなら、やり残しの場所をやれば良いが、新展開になるはずだった刺激から考えれば、やり残しは食器洗い的に地味。

そうなると、後光なんてアイテムは新展開になり得るのだが、調べると後光的な絵には、白っぽい線の横には必ず暗い色がある。棟梁はそれを汚い色と判断をして、それなら後光はいらない・・・と単なる好みで付けたり消したりしたのね。

ほらね、やっぱりね。つまりひまわりの絵も同じで、描き込んでいなかったけれど、下絵を下地に写させた理由は、これを防ぐためなのね。好みでその日の気分で変える事をね。趣旨の通りに・・・であって、安い気分で変えないってね。

では厳しいけれどあえて言うのなら、2年も掛かった天使と恐竜の絵・・・ここまでのモザイク仕上がりはどう?多分良く見えるはずなのね。当然、本人も手応えがあると思うのね。では2年掛かった下絵のモザイクはほぼ成功したんだね。

更に本人に続けて聞けばはっきりするのね・・じゃ2年掛かって成功したモザイクに無礼の無い花の下絵描いて来たよね?描いて来たと胸を張れるのなら、その人の実力なんだから、それで結構。けれどね、もしただこんな言葉だけで、単に取り組む姿勢だけで

是正出来たとするのなら、それは単純に心の問題になる。テクニックやセンスなんてもんでは無くてね。つまり、下手なんじゃなくて、ただ進みたかっただけ。って事になると、大きな問題は、おかみさんの小物は小物だから、やりたい事を詰め込んでも、

小物なだけに何とか終わる。けれど棟梁のは大作。失敗は命取りにもなる。何せここまで成功しているのだから。つまり成功していると言う事は、そのグレードを最低でも維持しないと、失敗をするとそれを気にしながら進まないとならないのね。大作だから

・・・。つまり気分なんてもんで変えてしまっては、3か月後、半年後、1年後・・・終わるまでにどんだけ変わるのかな?だからこそ、趣旨だけは曲げないでいないと、二転三転してしまう事になるのね。これが精神的にやられてしまう原因。

つまり方や好き放題にしたとしても、小物は楽しめるし、自由も利くけれど、大作は趣旨通さないとならず、おかみさんは好きにやれるのに・・・なんて気持ち1つで、私はやれない・・・とか、同じだけ進みたいとか思った瞬間、心が乱れるのね。

それはライバルのように、置いてきぼりになりたくないから・・・みたいな気持ちが働くからなのね。これがみどりの相席なら、自分が下と思えるから楽なんだろうけれどね。その癖、相手の指導は全てに置いて自分に生々しい指導になるのね。

だってライバルって切磋琢磨のデッドヒートって関係なのだから。つまりとうりょの相席教室って、自分の身を下にしたり、上にしたり、時にはこうして肩を並べたりして、相席によっても勉強していたりするのね。つまり立ち位置さえぶれなければ、

何でも無い事なんだけれどね。いずれにせよ、正反対なようで、何もかもが似ているのね・・・だから指導はお互いの身に降りかかる様に聞けば、2倍の指導に感じるから疲れるだろうし・・ただ教える方も本気で行けば良く程、言葉を選ばすにやれれば良いが

いちいち言葉を綺麗な言葉に変換していると、本当に伝えたい事が薄まってしまうのね。それ位、今日はかなり熱く話したと思うんだけれど・・・。
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習い事
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