katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

Kameyaさん教室

2017-03-26 07:41:27 | モザイク教室
今日はkameyaさんの出張教室で4人。そうね、やはり張り終わった・・・って事でこの方の話から。正直な話、今こうして張り終わったから言える話だけれど、棟梁の銘木の作品を見て、私もやって見たいなぁ・・・って始めたと思うのね。これは本人に確認したから、やっぱりなんだけれどね。

要するに今の気持ちと最初の気持ちの差の問題なのね。まず初めての1cmタイルでの作品である事。初めて・・・ここ。ここが問題で、確かにぺきぺきでの大作としてクマの作品を何年も掛けて完成させた。けれどそれは、軟式と硬式のスポーツや、サッカーとフットサルみたいに似てはいるけれど、

大きく違うものである・・・って意識があるのと無いのでは全く違うと言う事なのね。勿論、この方も当然1cmタイルは難しいって、先輩であるおかみさんや棟梁の話を聞いているから、意識はあって始めたんだけれど、何作も作った人の見解と初めての人の意識とでは当然差があると思うのね・・・。

こんな事を踏まえて、どんな気持ちの葛藤があるか?って言うと、自分の選んだモチーフが銘木で彫られて下地が出来る。それを彫刻をしている棟梁が良いなぁ・・・素敵な木だなぁ・・・って言えば、本人も良いと思っている上乗せな気分になる。さぁいよいよとやる気に火が付く。

所が1cmタイルでのモザイクって言うのは、1cmを切るって事になるから、数ミリのパーツの繰り返しなのね。ぺきぺきなら数ミリの繰り返しなんて事ほぼ無い。つまりスタートからただ手慣れていない・・・だけでは無く、固くて細かくて・・・と何重にも大変なのが圧し掛かって来るのね。

さてそうなるとどんな心境になるか?1つは頑張ります・・・とやる。って聞こえるようなセリフでいかにも頑張れるような場合と、出来るのかな?・・・・やりたいとは言っちゃったけれど・・・って半信半疑の場合・・・・これがぺきぺきだとこんな風になったりする。

まずぺきぺきはきちんと教えれば、4歳位の子・・・そうね、箸と茶碗って別々に持てる子だったら、まず出来ない子はいないのね。理由は切れないって事は無いから。つまり柔らかいから。ここで大事なのは、で・き・な・い・・・・つまり質の事は一切触れてはいないのね。

つまり出来るか?出来ないか?で言えば、出来ない子はいない。こんな場合は、頑張ります・・・があれば十分なのね。つまり気持ち1つで何とかなる。所が、1cmタイルは固いし細かいしとなると果てしない・・・・つまり時間が掛かる・・・だから根気ってのが必要になる。

俺が先生として教えられない事・・・・技術やセンスなんてくだらないものなら、いくらでも教えられる。しかし根気ってのは、持って生まれた性分みたいなもんで、深く心に植え付けられたようなもの・・・・もし俺に出来るとしたら?・・・その深い部分のこんがらがった部分をほどく事・・・。

そんな事があるとして、根気と言う部分ではぺきぺき作品で長い時間を掛けて完成させた実績がある。だから中々進まない事には若干慣れている。そうなると固さだけの問題か?・・・って言うと、人って言うのはそんな簡単な生き物じゃないのね。何しろ感情なんてもんがあるからね。

要するに意識はしていたとしても、思った以上に・・・とか、その意識のギャップに戸惑いを通り越して果てしない・・・って気分になれば、もはややりたく無くなったりもするし、それでも進める人もいる。そうした葛藤の繰り返しをして、最後までやった人の結果が完成となる訳で・・・。

その葛藤を具体的に話すと、何と無く・・・で、出来るのはぺきぺき。しかし1㎝タイルは無理なのね。つまり1cmタイルでの、頑張ります・・・なんて言うのはあんまり信用ならないのね。1作目の場合は特にね・・・。だってまた1年生からなんだ・・・って自覚ある?って話で、普通は無いもの。

だって軟式から硬式に変更したのだから・・・謙虚な姿勢なら初心。その時にこの方は何とも正直で、何と無くやって見たい・・・でスタートしたのね。ただね、本人は気が付いていないけれど、実はきちんとした事があったのね・・・それが棟梁の銘木のあじさいの作品。

銘木作品はこんな風になるのかぁ・・・って目指したい作品が目の前にある。そうね、憧れ作品とでも言うのかな。更に言えば、やりたいけれど、出来るかな?・・・つまり謙虚であった。でも、良い事と悪い事は背中合わせ。謙虚であるって事はやり過ぎると、自信が無さ過ぎるにも繋がる。

これをまとめると、やりたい気持ちはある。しかし出来るのかな?と半信半疑、ただ根気はぺきぺきで何年も掛かった作品で練習をした。それと、やって見たいモチーフを何個かあって、相談された中で選んだ事・・・こんな事でスタートとなった。

そんな道中でアトリエに来るようになった。はぁ?何が・・・たった数時間増えただけでしょ?って思う人は、それ位の違いにしか思えないだろうから、スルーして、では習っているくくりでこんな例でご自分で判断して見て貰おうかな・・・。

まず学校。勉強からスポーツまで習っているよね?・・・感の良い人は気が付いたね・・。そこだけで十分なら基礎的な最低限くらいな事は教えてくれる。ではそこ以外となると、公民館のような施設とか、もっと金額が張るが塾やらとかがあって、もっと上になれば、当然うえには上があったりする

・・・つまり単に時間が増えるだけでは無く、ある程度そこの場所に応じたレベルってのが求められたりするでしょ?何せお金を払ったんだから・・・ってね。目的意識のレベルがね・・・更にそのレベルが学校名、企業名みたいに知らないながらも、判ってしまう事があったりする。

なのに、モザイクを習うだけで同じ先生のkatsuであって、場所が変わっただけ・・・本当にそうなのかな?もし教え方が全く違うとしたら?ねっ。
じゃ何を教えるか?ってモザイクだけなら何処でも一緒。ただねぇ・・・もし教える事がモノの考え方だったりしたら?・・・どうなんだろうか?

ほらね、気持ち悪いでしょ?・・・・・それが気持ち悪い人にはテクニックとセンスのみを教える先生としてモザイクのみを教えるけれど、もしオリジナルを作りたい・・・と言う事になると、その人を知らずに何を教えれば良いのだろうか?ってな事になる。

何がしたいのか?どうしたいのか?どれだけやろうとしているのか?何が目的なのか?・・・・医者だけじゃないのね、問診は。そんな事も知らないで一体何を教えられるのだろうか?って話。その時にただ技術やセンスの話ばかりしていては、その人その人の考え方や趣味趣向が判らない。

それでは指導は常に無難になる。では無難とは?安心安全安定なんてもんだったりするのなら、常に現状維持みたいな事になるのだけれど、例えば50歳現状維持・・・70歳現状維持・・・10歳現状維持・・・・どう感じるかな?絶対に何か違和感を感じると思うのね。

現状維持で十分の場合もあれば、おいおいそこはもっと責めるだろっ?・・・みたいな感覚に思える事もある。いずれにせよ、教え方1つにしても望まれる程度に応じた形があるだろうし、教わる側としても何か指針になるようなきっかけが欲しいだろうし・・・お互いの歩み寄りなんだろうけれど。

いずれにせよ、普通の提案型のサンプルありきの教室じゃないので、この辺のご理解も欲しい所なのね・・・って話が大きく反れたけれど、何しろまとめとして言いたいのは、良くぞ完成まで漕ぎ着けてくれた・・・しかもこのグレードで。後は次回の目地入れで完成なのね。

そんな訳で新作下地も出来ているのね。

ちなみにこれはぺきぺきなんで、楽しんでやって貰いたいのね。お疲れ様でした。ではお次の方。


ここも単なるクラッシュなんて事で終われたが、もう一工夫・・・なんて事をお知らせすると、それ良いですね・・・となる。当然良いって言うのだから、もし普通が単にクラッシュだとして、それよりも素敵なら?その素敵な分だけ手間暇が掛かる訳で。楽で素敵には中々ならないのね。

2人共に言えるのは、花が上手く行ったと褒められたとしたら?方や後はバック・・・なんて考え方では普通の仕上がりになる。そこを更に素敵にするには?と更に・・・を加えるのは、花が素敵だからであって、花が評価が低ければ、ついつい後はバックと言いたくなるだろう。

がしかし、そうで無いのなら、質を落としたくない・・・・なんて気持ちにもなろう。だから自分の花にバックがプレッシャーを掛けられている・・・そんな気分になる。それがバックの無い銘木スタイルの方の場合は、花の後は葉っぱだけ・・・となると、さっきの話と一緒。

上手く出来たら、それを引き継ぎたければ、花の質のままで葉っぱを仕上げたい・・・になる。常に上手くなるってプレッシャーが掛かって行くものなのね。それがまさかの自分で自分にプレッシャーを掛けられるなんてね・・・意識なんてするはずないのね。所が若干判っている2人は・・・・



どう見ても楽しいだけじゃ、こんな作品は作れないのね。そりゃイタタタタってな気持ちになりっ放し・・・そんな気分になるのね。でもね、だからこそ、凄いな・・・って作品に見えるんだと思うのね。みんなこんな作品が側で見られるのだから、私も・・・なんて気分にもなるのね。

いずれにせよ、どれもこれもが良い作品である。


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