引退のシーン

プロ野球のペナントレースもいよいよ終盤にさしかかってきた。このあたりになるとペナントレースはまだ続いているとはいえ、白黒がハッキリついているともいえる。優勝争いに残っているチーム、そこから漏れて優勝はすでに絶望的になってしまったチーム。
ペナントレースの終盤はゲーム数も限られてきており、順位確定に大きく影響する見逃せないゲームが多くなる。

パ・リーグは、優勝はほぼ「ソフトバンク」で間違いないといっていいだろう。こうなってくるとソフトバンクの優勝までの道筋も見物だが、2位、3位の順位争いもみどころのひとつといえる。
一方セ・リーグは、1位の阪神を中日が猛追している。ゲーム差もわずかであり、優勝をどちらが勝ち取るのかはまだわからない。まだまだ目が離せない。
古巣巨人については、優勝争いからは完全にとおのいてしまった感があるが、来シーズンにつなげていく意味でも、選手には最後までキッチリと戦ってほしいと思う。

個人成績では、私自身元投手ということもあり「防御率」に注目している。数字と選手名を確認してみると、防御率の良い投手を抱えているチームはやはり上位にいる。投手力というのがチームの成績に大きく影響しているのがよくわかる。

最近のゲームで印象に残ったことといえば、横浜・佐々木投手の登板についてである。私も先日の佐々木投手の登板をテレビで観戦していたが、佐々木投手はもちろん、彼を送り出した牛島監督にも、私自身リリーフピッチャーであったという立場からか特別な思いを感じるところがあった。

スポーツ選手の引退、最後のプレイというのは、やはり去って行く者を見届けるという意味で一抹の寂しさがある。ただ、その寂しさも含めその選手の一投・一打をしっかり記憶にとどめておきたいものである。それはやはり、二度と目にできないものであるからである。

今回もプラズマテレビで見ていたので、最後の対戦相手となった清原選手がマウンドに駆け寄り涙したシーンも、情感まで含めしっかりと記憶にとどめることができた。名勝負を繰り広げてきた二人の最後の戦い…そこには単なる投手対打者の対決という枠を超えた何かがある。
その何かとは表情や眼差し、呼吸などから感じ取っているような気がする。
プラズマテレビはこれらの小さな動きも逃すことなく、鮮明にこちらに伝えてくれる。それはつまり、スポーツの生み出す+αをこちらに届けてくれるということだ。

映像が鮮やかであるからこそ、記憶にも強く残る。そんなことを体感したシーンでもあった。

ひとりの選手の引退のシーンについて触れたからというわけではないが、私のブログも今回の掲載を持って最終回とさせていただきます。
今日まで読んでくださった皆さま、本当にありがとう! 日々の考えをインターネット上に掲載していくというこれまで経験のなかったことを体験できてとても楽しかったです。

また、どこかで御会いできることを楽しみにしています。それでは…。

鹿取義隆
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野球選手とゴルフ

多くの野球選手はゴルフが好きである。なぜそうなるのかなということについてちょっと考えてみた。私自身も最初は付き合いで始めたゴルフだが、今ではかなりハマっており、よくゴルフをしに出かけている。

野球選手である限りゴルフをする機会は多い。オフの時などはコンペも催されたりして、向き・不向きに関わらず、ゴルフに触れる機会は向こうからやってくる。
太陽の下、広い場所で自分たちのペースで進められるゴルフはオフの息抜きにはもってこいだ。でも、野球選手が好む理由は他にもあるように思う。
まず、野球はチームスポーツだがゴルフは個人競技だ。この部分におもしろさを見い出す選手がたくさんいる。

よりよいスコアを目指し「このホール、どうしてもパーで決めなければならない」なんてシーンはすぐにやってくる。この時、パーショットを打つまでの緊張感と決めた時の喜びは野球にはないものである。すべては自分の責任で敵は自分自身である。集中が切れてミスショットをしてしまったり、ラインを読み違えてイージーミスをしてしまった場合は、過不足なく自分にハネ返ってくる。誰かがどこかでミスを挽回してくれたりしない、挽回するのも自分である。
この、自分と真向かう感覚が心地よく、勝負カンを養うという意味では野球にも通じるところがあるのだろう。

一概にはいえないが投手はよくハマる。ホールを進みながら自分のスコアと照らしあわせ、コースを攻めていく組み立てが投球にも似たものがあるからかもしれない。
野球の投球でも、ストライクだけでなくボールも3つ投げられる。「一球外す」という言葉があるようにボール球もうまく利用しながら投球を組み立てていく。
ゴルフでさすがにわざと“一球外す”ことはしないが、全18ホールで見た場合、とくいなコース、苦手なコース、ショートやロング、風向きなどを考えながら、スコアのプラスマイナスを組み立てていくことは必要だ。

そしていよいよ勝負時の「一球」がどこかでやってくる。決め球を見事決めるのは同じだが、ゴルフの場合、自分のペースで静かに勝負と真向える。
その辺りが特別心地よいのかもしれない。

なんだかゴルフがしたくなってきたなあ…。
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+αのスポーツ観戦術

さてさて、前回の続きである。
プラズマ大画面を前にした特等席では、「シアトル・マリナーズvsテキサス・レンジャーズ」の試合を観戦していたが、イチローの打席について少し書いておきたい。

この日、イチローはいつも通り1番・ライトで先発出場していたが、とにかくイチローの打席は目が離せない。この「目が離せない」は当然「注目に値する」という意味であるが、物理的にも“目が離せない”のだ。どいうことかというと、イチローはその結果が示しているように世界で一番ミート技術が高いバッターだろう。だからこそ普通のバッターなら振らない低めのボールなどでも、上手にミートしてヒットにしてしまう。私も元投手だけに、投げられたボールが「ボールになる!」とか「ストライクゾーンをそれていく変化球だ!」などと感覚的にわかるので、普通の人より早いタイミングで「バッターは手を出さないだろう」などと見切ることがあるのだが、イチローの場合はそうもいかない。最後まで見届ける必要があるのだ。
それだけではない。イチローは足が速いので内野に転がったゴロでも「内野安打」にしてしまうケースが多い。つまり打ってから一塁までも目が離せないのだ。
とにかくミート技術と走力、センス……どれをとってもズバ抜けているので、見る側も緊張してしまう。

そんなイチローの打席を見ていたがとにかく速い。特有の儀式的ポーズからスッと構え集中に入る。この間は「バッターvsピッチャー」という1対1の野球独特の間合いがあり、緊張感のともなった一瞬ゆるやかな時間となる。そしてここからが速い。正確なスイングもそうだがキレイにミートされたボールの球足、イチローの走り出し、さらには足の速い打者であることを理解している野手の反応、どれも速い。結果はセンターに抜けるヒットとなったが、こういう時にこそプラズマテレビはウレシイ。
プラズマテレビは自発光式なのでバックライト方式の液晶テレビのように速い動きがボヤケたりせず、クッキリと見ることができる。リプレーで確認するまでもなく、イチローのミートの瞬間、ミートから一塁方向へ無駄なく足を出す瞬間、さらには慌てふためいた野手の表情までクッキリと見ることができる。イチロー選手特有の、この心地のよいワクワクするような緊張感はプラズマテレビでしか味わえないだろう。

そしてこの時、ぜひ最新型のプラズマテレビで見てみたいと思ったのが、これぞメジャーリーグといえる「ナックルボール」だ。
最近ではこの変化球も日本に上陸し日本でも投げる投手がいるが、私の見る限りではそれは“速いナックルボール”である。
メジャーでは遅く無回転の、風の抵抗によってまったく予測のつかない変化をする、まさに「魔球」と呼ぶにふさわしいナックルボールを投げる投手がいる。
例をあげれば、レッドソックスのティム・ウェイクフィールドなどだ。

この日のゲームでは対戦相手がレッドソックスではなかったため、もちろんウェイクフィールドのナックルボールを見ることができなかったが、もしも最新型大画面のプラズマテレビでウェイクフィールドのナックボールを見ることができれば、無回転のボールの縫い目はもちろん、魔球・ナックルの劇的な変化までクッキリと見ることができただろう。
さらにイチローとの対戦も楽しみである。2005年5月には一度対戦があったがこの時イチローは第一打席でウェイクフィールドのナックルボールを見事にミートしヒットしている。おそらくリプレーでは、イチローの黒いバットが揺れ落ちるナックルボールの軌道の一瞬先を読み、芯でボールをとらえていく様がハッキリと確認できただろう。
これは映像の細かい部分もクッキリと再現し、黒の表現力も高いプラズマテレビならではの映像だ。縫い目の見える白球のナックルボール、それを捕らえる天才が操る黒いバット。コントラストも鮮やかにその瞬間を目撃できただろう。バックライトの液晶テレビなどでは黒も速い動きもボヤケ、このように瞬間を目撃することはできないだろう。

やはり技術の粋を競い合うレベルの高いスポーツは細部まで見届けたい。いや、むしろ技術の粋とは、0コンマの世界や瞬間にこそ目撃できるといえる。だからこそそれらを見届ける設備にはこだわりをもちたい。
関心のある人はぜひとも一度、プラズマテレビで野球を見てください。

ただ、忘れてはいけないのが、これだけの迫力やディテールのつまったスポーツを自宅のリビングで見るということだ。お店で見たときにきれいに見えても家庭のリビングにおいて不都合がたくさんあるようでは意味がない。店員さんの話では、テレビは周囲の照明環境(照度)によって見え方が大きく違ってしまうということだが、プラズマテレビは一般的なリビングの環境下(明るさ)で最もキレイに見えるように作られているので、リビングでは液晶よりプラズマがきれいに描写できるとのことだ。また家計にウレシイことに、最近のプラズマでは年間の消費電力量も抑えることができ、液晶とほとんど差がないらしい。それは自発光するパネルの発光効率の向上が理由だが、それでいてパネル自体の耐久性、寿命も飛躍的に長くなっているとのこと。
つまりは、「一生楽しめるテレビ」になったということだろう。
とにかく進化したプラズマはスゴかった。今回はとてもいい視察ができたように思う。
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スポーツを心底楽しむならプラズマ

最近のプラズマテレビは進化していると友人から聞き、さっそく近所の大型家電店に寄ってみた。
テレビ売り場は2Fの一角にあったが、さすがは大型フラットテレビが主流の現在、プラズマのみならず液晶テレビもあって品揃えも豊富。映像確認のために流している番組やDVDは様々だけど、音と映像が交錯するとにかく賑やかで華やかな売り場だった。
今回は最新型のプラズマテレビの購入を真剣に検討していることから、立ち話程度で済まそうとはせず、フラットテレビに詳しそうな店員さんをつかまえて、いろいろと突っ込んで聞いてみた。

まず、最新型の大型のプラズマテレビの前に案内された。とにかく大迫力の大画面! 今まで見たこともないサイズだが聞くと「65型です」との返答。サンプル映像として流されていたのはDVD映画だったが、ぜひともこの画面でスポーツを鑑賞してみたいと思いそう伝えると、親切にも映像を隣のフラットテレビ群で放映されていたMLBのデーゲームに切り替えてくれた。そればかりか、そこはリビング空間を再現するためにソファーや5.1chのシアター設備が組まれていたのだが、その特等席に案内された。

あくまで疑似的な空間とはいえ、それは最新の設備群を前にした特等席。さすがに65型の大画面は迫力満点でいつも見ているメジャーリーグもまたひと味違って見えた。しばしメジャーリーグ鑑賞にひたってみると、さっそくひとつ発見があった。それはとても単純なことだが、現実に起こっているスポーツの迫力をそのまま体感したいならそれにふさわしい「画面サイズ」があるということだ。映像のキレイさやクッキリさももちろん大事だが、単純に画面が大きくなるということだけで、TVでのスポーツ観戦は明らかにリアリティーを増す。まさしくバックスタンド近くの特等席にいるような錯角を覚える。やはりスポーツは大画面で観戦するに限る。

ただ、プラズマの最大のメリットをあげるとすれば、それはやはりディテールの表現だ。「映像がキレイだ」と単純にはいってしまえないほどの描写力がある。
見ていた映像は「シアトル・マリナーズvsテキサス・レンジャーズ」のデーゲームだが日中の日差しは強く、サングラスをしている選手も何人かみかけた。そんなゲームだけあって太陽光は強い。強すぎる太陽光は色再現にとって敵である。光が細かな色の違いや色の階調などを飛ばしてしまうからだ。ただプラズマは階調表現の幅が広いのか、本来ならボヤケたり飛んでしまうユニフォームの色も鮮やかにクッキリ写し出していた。
なかでも感心したのはメジャー特有の「天然芝」の美しさである。プラズマはとくに「緑色」が美しいと感じていたが、最新型プラズマで芝の色を目の当たりにして改めてそのことを強く感じた。メジャーリーグではとくに芝への思い入れが強くベースボールとは切っても切れない関係にある。徹底した管理のもと品種改良が行われ、ベースボールに最適な芝が敷かれている。その天然芝の美しさと瑞々しさに心を奪われた。

バッターボックスにはイチローが立つ。イチロー特有のポーズ、右肩の袖をクイッと引き上げ、掲げたバットの先にバックスクリーンを見遣る。カメラが切り替り、構えるイチローと同時に広く一面のグリーンが写し出される。
これからこの極上のグリーンフィールドで、一流のプレーヤーたちがダイナミックなプレーを展開してくれる。この始まりを待つ瞬間がたまらない。これぞまさしく「フィールド・オブ・ドリームス」である。

しばしテレビの品定めであるということを忘れイチローの打席に目を奪われていると、店員さんが「よかったら見る角度を変えてみてください」という。間の悪い奴だなと思いつつ理由を聞いてみると「プラズマテレビは液晶と異なり、斜めから見ても画面の色が薄くなったりしません」とのことだ。

もちろん自宅でもプラズマテレビを愛用している私はそのことを知っていた。ただ、いい機会だったので「試しに」とソファーを離れ自宅では確認したことのない角度と距離で見てみたが、さすがはプラズマ、画面の色が変化することはなかった。
なんでもないことのように思えるがこれが実は結構ウレシイ。スポーツの見どころなどはどれも一瞬だからリビングで居場所を変える度に映像が薄くなってしまうということでは、大事なシーンを見逃すという事態も起こり得る。プラズマではそれがなく、どこからでも鮮やかにクッキリ見ることができる。居場所が限定されるようなストレスを感じることもなくリラックスしてスポーツ観戦ができるということだ。もちろん家族みんなで場所を取り合うことなく仲良く鑑賞できるというメリットもある。

フラットテレビの最新事情、とくに大型のプラズマテレビの最新型を見にここに来たわけだが、店員さんの話ではある程度のサイズ以上の「大画面」となると、液晶では動画像にボヤケが生じやすくなり限界があるらしい。買い替えに際してサイズアップが主目的である私としてはやはり今のところ、というかほぼ90%「プラズマ」に軍配があがっている。

少し長くなったので今回はここで終わりとするが、実はこの話、次回に続くのである。
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日本最速161キロ

7月19日の甲子園で、横浜のクルーン投手が日本最速の「161キロ」を記録した。4月には158キロの日本タイを出し、5月には159キロの新記録をマーク、夢の160キロも時間の問題といわれていたが、ついにその記録が出た。
私自身はこの瞬間をリアルタイムでは見ていないのだが、素晴らしい記録の誕生をうれしく思っている。

160キロ台のスピードボールとは、通常の訓練や気力・根性などでは到達できないスピードである。クルーン投手は現在32歳だが、パドレス傘下の2A時代に160キロ超えを達成している。大前提として、若い頃にそういう経験のあるものだけが到達できる数字である。それぐらいひと筋縄ではいかない。

私自身もアメリカ留学時の1Aで、160キロを投げる若手ピッチャーに出会ったことがある。抜群の身体能力と才能があれば、出るスピードではある。ただ彼の場合、ピッチャーとしてはまだ未完成で、コントロールの定まらない状態での記録だ。そもそもバッターの立ってない状態でキャッチャーの構えるミットをめがけなくてもよいという条件下なら、160キロを記録する投手はアメリカには他にも幾人かいるかもしれない。
若い頃そういう状態であっても、ピッチャーとして熟成していくためにコントロールを身に付けるトレーニングを行い、そのためにフォームの矯正も行われたりして、やがては実戦で通用する投手として育つが、その時には160キロというスピードが出なくなっていたりするのが通常だ。
これはもちろん否定的な考えではなく、その投手としての体力、筋力、技術力などを総合して「投手」として完成された時、MAXスピードはある一定幅で落ち着くということだ。
極端な話、投げる球が全部160キロを超えたとしても、全部暴投であれば投手としてはまったく通用しないということだ。

それだけに、実戦でしかも32歳という年齢で達成した「161キロ」というスピードは素晴らしいのひとことに尽きる。アメリカ視察の経験からか、スピードボールにはあまり驚きは感じていなかったが、実際に日本でその数字を目の当たりにすると、やはり想像以上に驚きがあった。

また一野球人としてウレシイのは、新記録が誕生したシーンである。
観衆は5万人、延長12回1死1塁、ランナーを背負っての投球……絶対に負けらないという気持ちや本人のコメントにもあるがファンとの気持ちのコンビネーションによって生まれたものと思われる。
やはり、“最高速度”を生み出すには本人の気持ちが大きく左右しているということだ。
これはピッチングや野球の奥深さを示すものであり、この先もまだまだ野球を楽しんでいきたいなあと思うキッカケにもなった。

唯一惜しむらくは、記録となったボールをプラズマテレビで見ることができなかった点だ。プラズマテレビは液晶テレビなどと違い、速い動きの描写に優れていてボケたりブレたりしない。日本最高記録のスピードボールも、そのスピード感と迫力をそのままにクッキリとこちらに伝えてくれたに違いない。もしプラズマテレビで見ていれば電光掲示板で「161km/h」と確認する前に、感覚的に新記録の誕生を世間よりも一瞬早く感じれたかもしれない。
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選手にとってのオールスター

セ・パのスターが一同に会し、普段のペナントレースでは実現しないような名勝負を生み出すのがオールスターである。
今年はプロ野球初の試みである「セ・パ交流戦」があったため、いつもとは違う印象を受けた人も多いかもしれない。
交流戦のおかけで自分のひいきのリーグ(チーム)ではなかったとしても、選手の名前や顔、さらには特長まで覚え、わりとすんなりと両リーグの選手同士の戦いを見れたのではないだろうか。それはオールスターの楽しみをいっそう深める良いことのように思える。

オールスターはもちろん日頃からプロ野球を応援していただいているファンに対するサービスのひとつである。ペナントレースは全試合を見通したうえでペース配分も考えて戦いにのぞむ。当たり前だが「競技」という要素が強い。
一方オールスターは「球宴」といわれるようにお祭りの趣きが強い。
だからといって選手が手を抜くかという実はそうでもないのだ。
もちろんペナントレース後半に備えケガをしないようにと心掛けるものだが、多くの選手をファンに見てもらうのが前提になっているので、ひとりの選手の出番はおのずと限られてくるのだ。
限られた出番ゆえ、後先を考ずに普段では絶対に考えられないペースで勝負を挑むこと可能だったりする。3イニングが割り当てなら、全バッターを三振でしとめてやろうなどと意気込んで投球することも可能だ。
当然それを理解している打者も、ヒーローになるためにホームランを狙ったりする。

9イニングを見通した駆け引きや勝敗が自分の評価・成績に深く関わってこないからといって、これが真剣勝負でないかといえばそんなことはないはずだ。
逆にチーム対チームの戦いの要素が薄いため「個人対個人」の戦いに焦点が当てられ、選手もプライドや名前をかけ真剣勝負を挑むのである。

とかく力勝負は盛り上がる。スピードピッチャーとパワーヒッターの対決となれば、直球勝負にホームラン狙いなどとなり、その「力 対 力」の凄みにスタンドも酔いしれどよめきが起きたりする。
やはりオールスターとは現実ではない、「夢の球宴」という言葉が最もふさわしいように思う。

今年のオールスターゲーム、楽しんでいただけましたでしょうか?
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アメリカ野球と日本野球

私は現役を引退した後、一度アメリカへ野球留学したが、その時の経験は今でも大変役立っている。
アメリカ野球と日本野球の大きな違いは、ひとことでいえば“プロを目指す人口の差”ということになるだろうか。
アメリカ野球といえば「メジャーリーグ」となるが、その下部組織である「マイナーリーグ」の数は膨大である。メジャーリーグを頂点とし、3A(トリプルA)、2A(ダブルA)、1A(シングルA)、ルーキーリーグの4段階に分かれる。1Aの中にはレベルに応じてさらに細かくランク分けがされる。
メジャー30球団は3Aから1Aまでは各1チームを持ち、それ以下は数チームを傘下に持っている。単純に計算しても100を超えるチームがあることがすぐわかる。
12球団の1・2軍で構成される日本野球と比べると、膨大な数のプロ選手・プロ志向選手がいることになるのである。

この数の差は、日本では想像できなようなハングリー精神を生む。
膨大な選手を抱えるマイナーリーグではコーチも選手個別に丁寧に指導していく余裕はなく、徹底した実戦主義となる。実戦を繰り返し、データ(結果)を残す。そのデータに基づいて選手に評価を下していくのである。もちろん選手に対してアドバイスはあるが、それでもワンポイント、ツーポイントアドバイスである。
実力のある選手は自ずと結果を残すものである…といった考えがあるのと同時に選手数があまりにも多く実際に選手個別の丁寧な育成が難しいという現実がある。

このような環境下では選手も頼るものがほとんどない。唯一自分だけである。
だからこそ結果を出し、上のリーグにあがることにみんな躍起になる。文字通り、サバイバルレースなのである。

一方、日本のプロ野球では1チームの選手の制限数は70人と決まっており、この中で1軍として登録できるのは28人、残りは2軍となる。アメリカと比べるとかなり少数精鋭のプロ集団となるのである。
良い点は、アメリカシステムとは逆で選手ひとりひとりを丁寧に育てていくことが可能なところであり、2軍といえども環境から心配りまでアメリカのマイナーリーグとはだいぶ違う。
反対に悪い(というか足りないと思われる)点は、先に述べたハングリー精神である。プロ野球としては1チーム70人の枠で完結するため、あらゆる環境にめぐまれておりハングリー精神は生まれにくい。

システムの差、人口の差がそのままレベルの差になるかというと一概にはいえない。事実、日本野球の中で育ったイチロー選手や松井選手などはメジャーリーグでも大活躍している。
ただ、この背景を理解していると、一歩突っ込んだ野球の見方ができるので、興味のある人は日米野球の差をどんどん掘り下げていってもらいたい。
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ファインプレーに魅せられる

野球のみどころといえば、どうしてもピッチャー・バッターと偏りがちだが、鍛え抜かれた野手のファインプレーもみどころのひとつである。私がTV観戦している時の好きなシーンのひとつがファインプレーのリプレーである。
これぞTV観戦のみに与えられた特権であり、一瞬のプレーをスローモーションでじっくり見ることができるのはウレシイ。

ファインプレーにもいろいろある。三遊間を抜けていく打球をショートが飛びついてキャッチする、即座に立ち上がり全身は反対方向に振られているにもかかわらず、ふんばって一塁へ素速く送球する。またはセンター方向に抜けていく打球をセカンドがキャッチ、そのまま自分は倒れ込む勢いだが、直前、ファースト方向に身体の向きを変えギリギリで送球する。一塁へ駆け込むランナーとボールは一瞬交錯するが、審判のジャッジは「アウト!」。
もちろん内野だけに限らない。
深くまで飛んだフライをレフトはキャッチしようと構えている。三塁にいるランナーは低く身構えタッチアップの準備をする。もちろんレフトもそれには気づいている。瞬間、「ボールとランナーのどちらが早くホームベースに届くか?」というその先のシーンに対する期待と不安がスタンドを包む。そして捕球からのダイナミックなバックホーム。中継のない矢のような直球がホームベースでランナーを刺す。

いずれもプロ野球の醍醐味である。日々絶えまなく努力を続けてきた者だけがみせる離れ技である。
プラズマテレビで見ている方は、一度リプレーをじっくり見ていただきたい。細部までクッキリと写し出すプラズマなら選手の表情やまったく無駄のない一連の動きをブレなく正確に描写してくれるからだ。
とくに「アウト」を取るために鍛えられた選手のベース方向への感覚やコンマ何秒という瞬間にイメージ通りに身体を操る、全身に記録されたメカニズムがよくわかる。それはあまりにも速くこちらに考える時間を与えてくれないが、一度よく見て欲しい。
本当にギリギリのプレーとは、ボールキャッチしてから一塁にボールを投げるタイミングや振り出す手の軌道、ボールをリリースする瞬間など、それ以外の選択がない唯一無二の動作なのだ。どこかひとつが狂うだけでランナーの足の方が早くファーストベースに着く。

プラズマテレビなら、このような速すぎる動きや細部のボヤケによって拡大不可能なスポーツシーンもハッキリと写し出してくれる。
ぜひ、ファインプレーをプラズマで贅沢に味わってみて欲しい。
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原ジャイアンツ時代

ちょっと前のブログで選手時代のことに触れたので今回はコーチ時代のことについて書こうと思う。私がコーチとしてプロ野球に携わるようになったのは、現役引退後の1998年長島監督率いるジャイアンツの2軍投手コーチとして就任したのが始りである。その後、1軍の投手コーチを経て、アメリカへコーチ留学後、2002年には監督初就任となる原ジャイアンツへヘッドコーチとして加わった。
コーチ経験の中で様々な経験を積み、思い出として残るものもたくさんある。ただ、中でも印象的だったのは私自身責任の重い「ヘッドコーチ」というポジションに就いた2002年の経験である。
当時の監督、原とは前の長島監督時代においてお互いコーチとして在籍していた。ピッチングコーチであった私はヘッドコーチとなり、ヘッドコーチであった原が監督に就任した。お互いステップアップして新たにのぞんだペナントレースだけあって記憶もまだ新しい。
この年、ペナントレースで「優勝」、日本シリーズで「4連勝日本一」という大変満足のいく結果を残すことができたが、同じくらい記憶に残っているのが原ジャイアンツとして勝ち取った初勝利、「1勝」である。
出来たばかりのチームにとって最初の勝利がもたらす意味は大きい。サッカーでもゲームに馴染むためにファーストタッチが重要だといわれるが、同様に、野球においても最初の1勝は長いペナントレースを戦い続けていくうえで重要である。

原ジャイアンツは2002年のオープン戦ではなかなかの成績をあげていた。そのままの勢いでのぞんだペナントレースだが、初戦を落とし、3連敗という状況に陥った。
140試合ほどになる全試合の中での3敗、と考えると「なんだ、たいしたことないじゃないか」と思う方もいるかもしれないが、新体制になってからの初戦からの連敗である。公式戦に対するプレスの評価も意見が定まり始めるころであり、やはりチーム内でも緊張感が走った。
そんな背景もあり、4戦目にしてようやく得た勝利は、ホントに欲しい「勝ち」であった。「3-2」という接戦のスコアも記憶の鮮明さに貢献しているのかもしれない。いずれにせよ「よかった。」と心の底からほっとひと息つけたことを覚えている。

ただ当時を振り返ってみると、私自身は3連敗の負け方に納得がいっていたので「打てば勝てる」という確信があった。
オープン戦を通して開幕直後は「投手有利」というのが一般的な見方である。これは投手と打者の調整の差にある。打者はオープン戦とはいえ、1人が1試合で30打席立つわけにはいかない。少ない打席で実戦の感覚を取り戻していかなければならないのだ。比べて投手は、それなりにまとまったイニングを投げ、自分の仕上がり状態を確認しながら開幕を迎えることができるのだ(もちろんこのように簡単にいい切れない部分はあるが)。つまり、開幕直後は、打者の方が実戦の難しさに頭を悩ますことが多いのだ。
この年の初戦からの連敗はいずれもロースコアの僅差での負けだった。ここで大量得点を取られ負けたとなるとそれは投手陣の調整不足となるがそんなことはなかった。投手の調整は悪くない、あとは打線が実戦の感覚を取り戻せばよいのだ、というのが私の考えであった。

この勝利を皮きりに読売ジャイアンツは2002年、「日本一」という最高の結果を残した。セ・パの両雄が最高の舞台で戦い、抜きつ抜かれつの試合をのぞんでいたファンはある意味では楽しめなかったかもしれないが、4連勝で日本一を決めたことも、良い思い出のひとつとなっている。
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夏の甲子園

7月に入り、まだ梅雨だが雨のない日も多く、夏の到来を感じさせる。夏の野球といえばプロ野球はもちろんだが、もうひとつ注目すべき野球がある。それは、高校球児の夢の舞台——「甲子園」である。
2005年の現在では、沖縄、北海道、鹿児島、熊本、宮城ですでに県予選が始まっている。日程が順調に進めば7月30日には全都道府県の代表校が出そろい、8月6日には晴れて開幕に至る。本当に今から楽しみである。
不思議な話だが、甲子園には「当り年」というものがあり、あるタームで「バッターの当り年」だったり「ピッチャーの当り年」になったりする。さほど根拠のあるものではないが、その順番でいくと今年の夏の甲子園は「ピッチャー」の当り年となるはずである。まだ県予選すら開幕していないので、どうなるかはわからないが兵庫・報徳学園の片山博視投手などはすでに注目を集めている。
春・夏を連覇し、決勝戦をノーヒットノーランで優勝した松坂大輔投手(現・西武)を先駆とし、近年でも16〜18歳という年齢的常識を逸した素晴らしい投手が現れてくるので、やはり野球に関わるものとしては目が離せない。

自分の甲子園体験ということに話を絞れば、私も甲子園には出場している。1973年の夏の甲子園である。当時、高知商業の2年生であった自分は、2番手ピッチャーとして甲子園に出場した。おそらく登板はないだろうと思っていたのだが、登板のチャンスがありマウンドにも立った。マウンドからホームベースまでの距離がやけに遠く感じたのを覚えている(その他のことはあまり覚えていない)。
結果は、その年の優勝校である広島商業に敗れ、ベスト8にとどまった。

高校球児にとって、目指す舞台は「甲子園」ひとつである。これはある意味、他に選択の余地がないという意味で残酷なことかもしれないが、やはり勝負の世界とはそういうものであり、たったひとつの舞台を同時期に居合わせた全国の高校球児がしのぎを削りあい目指すのである。だからこそ勝利の末に勝ち取った舞台は、自分の全身全霊をかけて戦うさらに厳しい舞台であるにもかかわらず、「夢」の舞台なのである。

限られた時間にすべてを出し尽くす「野球」であるからこそ、やはりプロ野球とはひと味違う。
この夏、甲子園に観戦に行ける方はぜひ行ってもらいたい。それが無理だという方もぜひTVで観戦してもらいたい。できるなら色彩の再現力が高いプラズマテレビで観戦してもらいたい。
甲子園は野球のダイナミズムはもちろんだが、色彩も美しい。ただそれはカラフルな美しさとは違う。そこにある色数は少ないが、とても象徴的な色が並ぶのである。
青と白のコントラストが美しい夏の空、そしてグランドの土。白を基調としたユニフォームに戦いの結果刻まれていく泥の跡。日に日に焼けていく選手たちの褐色の肌。ヘッドスライディングした時に浮き立つ半透明な砂埃。そして敗れた選手が流す透明な涙。

これらはすべてプロ野球の中にはない、甲子園独特の色彩といえる。ある意味では後先を考えない“すべてを出し尽くす”野球が持つ特色である。
大袈裟にいえば、瞬間の芸術である。

スポーツに“瞬間”はたくさん存在するが、夏高野球の“瞬間”は中でも強く心に残るものである。だからこそ瞬間の描写が正確な自宅のプラズマテレビで、今年もじっくり観戦するつもりだ。
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