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東京「昭和な」百物語<その26>唄

2017-05-15 00:55:41 | 東京「昭和な」百物語
子どもの頃、まだ松江で暮らしていた頃だから、4歳前の話。

その頃はまだ、ラジオを聞くこともままならなかった。戦後10年も経ておらず、米穀通帳などがまだ存在し、お米は配給だった頃だから。父親は島根新聞(いまの山陰中央新報)の編集局長というそこそこの仕事をしていたが、貧乏だった。母はモダンな人だったけれど、普段は着物を着ていたような、まだ西洋文化も日本の隅々には浸透し切っていない、そんな頃。

ボクはどうしたわけか、いまでも童謡や唱歌の類をほとんど覚えている(曲の一部は少なくとも歌える)のだが、どう考えてもこの時代に覚えている。

なぜならば、家族でボクが4歳の時に上京したのだが、上京後はラジオが常設され、耳に入ってくる音楽は少なくとも童謡でもなければ唱歌でもなかったから。

なぜ童謡、唱歌の類がボクの記憶に鮮明に残っているのか? 答えはいとも簡単で、母が歌って聞かせてくれたからだ。それ以外には思い至らない。

数十曲はあるだろう。ただし中には奇妙な言葉として記憶しているものもある。

例えば「赤い靴」。「良い爺さんに連れられて」と記憶していた。本当は「異人さんに連れられて」。こんな勘違いは山ほどある。

それと、戦後すぐの頃の日本は、まだまだ明治を引きずっていたという事実。

「一列ランパン破裂して 日露の戦争始まった さっさと逃げるは露西亜の兵 死んでも尽くすは日本の兵 五万の兵を引き連れて 六人残して皆殺し 七月八日の闘いに 哈爾濱までも攻め入って クロパトキンの首を取り 東郷大将万々歳」

こんな日露戦争を題材にした手毬歌(ちゃんと数え歌になっている)を覚えているから。

もっと遡る歌もあった。

「あんた方どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 仙波さ 仙波山には 狸がおってさ それを猟師が 鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉で チョッとおっかぶせ」

手毬歌。これは幕末の薩長連合軍の兵隊と付近の子どもたちとのやり取り、と言われているそうだが、詳細はわからない。

同じ頃のじゃんけん数え唄に、こんなものもあった。

「一かけ 二かけ 三かけて 四かけて 五かけて 橋をかけ 橋の欄干手を腰に はるか向こうを眺むれば 十七八の姉さんが 片手に花持ち線香持ち 姉さん姉さんどこ行くの 私は九州・鹿児島の 西郷隆盛娘です 明治十年の戦役に 切腹なされた父上の お墓詣りに参ります お墓の前で手を合わせ 南無阿弥陀仏と拝みます お墓の前には幽霊が ふうわりふわりと ジャンケンポン」

まだまだ多くの唄が、蘇ってくる。思い出したらその都度原稿にしてみようかな、と。
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