古事記・日本書紀・万葉集を読む

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女鳥王物語 其の一(パタパタ機(はた)とパタパタ扉、天皇オソ!)

2017年01月04日 | 論文
 仁徳天皇時代の話として、女鳥王(雌鳥皇女)と速総別王(隼別皇子)が天皇との確執の末に敗れる話が残されている。

 亦、天皇、其の弟(おと)速総別王(はやぶさわけのみこ)を以て媒(なかたち)と為(し)て、庶妹(ままいも)女鳥王(めとりのみこ)を乞ひき。爾(しか)くして女鳥王、速総別王に語りて曰く、「大后(おほきさき)の強(おず)きに因りて、八田若郎女(やたのわかいらつめ)を治め賜はず。故(かれ)、仕へ奉らずと思ふ。吾は汝(な)が命(みこと)の妻(め)と為(な)らむ」といひて、即ち相婚(あ)ひき。是を以て、速総別王、復奏(かへりことまを)さず。爾くして、天皇、直(ただ)に女鳥王の坐(いま)す所に幸(いでま)して、其の殿戸の閾(しきみ)の上に坐しき。是に、女鳥王、機(はた)に坐して服(はた)織れり。爾くして、天皇、歌ひて曰はく、
 女鳥の 我が大君の 織ろす服(はた) 誰(た)がたねろかも(記66)
女鳥王、答へて歌ひて曰く、
 高行くや 速総別の 御襲衣(みおすひ)料(がね)(記67)
故、天皇、其の情(こころ)を知りて、宮に還り入りき。此の時に、其の夫(を)速総別王の到来(きた)れる時に、其の妻、女鳥王の歌ひて曰く、
 雲雀(ひばり)は 天に翔(かけ)る 高行くや 速総別 雀(さざき)取らさね(記68)
天皇、此の歌を聞きて、即ち軍(いくさ)を興し、殺さむと欲(おもほ)す。爾くして、速総別王・女鳥王、共に逃げ退(そ)きて、倉椅山(くらはしやま)に騰(のぼ)りき。是に、速総別王の歌ひて曰く、
 梯立(はしたて)の 倉椅山を 嶮(さが)しみと 岩懸きかねて 我が手取らすも(記69)
又、歌ひて曰く、
 梯立の 倉椅山は 嶮しけど 妹(いも)と登れば 嶮しくもあらず(記70)
故、其地(そこ)より逃げ亡(う)せて、宇陀の蘇邇(そに)に到りし時に、御軍(みいくさ)、追ひ到りて殺しき。(仁徳記)

 日本書紀では、少し言い回しが異なっているが、本筋に変わりはない(注1)

 四十年春二月、雌鳥皇女(めとりのひめみこ)を納(い)れて妃(みめ)に為(せ)むと欲(おもほ)して、隼別皇子(はやぶさわけのみこ)を以て媒(なかだち)としたまふ。時に隼別皇子、密(ひそか)に親ら娶りて、久(ひさ)に復命(かへりごとまを)さず。是に、天皇、夫(をうと)有ることを知りたまはずして、親ら雌鳥皇女の殿(よどの)に臨(いでま)す。時に皇女の為に織縑(はたお)る女人等(をみなども)、歌(うたよみ)して曰く、
 ひさかたの 天金機(あめかなばた) 雌鳥が 織る金機 隼別の 御襲衣料(紀59)
爰に天皇、隼別皇子の密に婚(たは)けたることを知りたまひて、恨みたまふ。然るに皇后(きさき)の言(こと)に重(はばか)り、亦、干支(このかみおとと)の義(ことわり)に敦くまして、忍びて罪せず。俄(しばらく)ありて隼別皇子、皇女の膝に枕して臥せり。乃ち語りて日く、「鷦鷯(さざき)と隼と孰(いづれ)か捷(と)き」といふ。日く、「隼は捷し」といふ。乃ち皇子の日く、「是、我が先(さきだ)てる所なり」といふ。天皇、是の言を聞しめして、更に亦、恨(うらみ)を起したまふ。時に隼別皇子の舎人等、歌して日く、
 隼は 天に上(のぼ)り 飛び翔り 斎(いつき)が上の 鷦鷯取らさね(紀60)
天皇、是の歌を聞しめして、勃然(はなはだ)大きに怒りて日く、「朕(われ)、私(わたくし)の恨を以て、親(はらから)を失はまほしみせず、忍びてなり。何ぞ舋(きず)ますとして私の事をもて社稷(くに)に及さむ」とのたまひて、則ち隼別皇子を殺さむと欲す。時に皇子、雌鳥皇女を率(ゐ)て、伊勢神宮に納(まゐ)らむと欲ひて馳す。是に、天皇、隼別皇子、逃走(に)げたりと聞しめして、即ち吉備品遅部雄鯽(きびのほむちべのをふな)・播磨佐伯直阿俄能胡(はりまのさへきのあたひあがのこ)を遣して曰(のたま)はく、「追ひて逮(し)かむ所に即ち殺せ」とのたまふ。爰に皇后(きさき)、奏言(まを)したまはく、「雌鳥皇女、寔(まこと)に重き罪に当れり。然れども其の殺さむ日に、皇女の身を露(あらは)にせまほしみせず」とまをしたまふ。乃ち因りて雄鯽等に勅したまはく、「皇女の齎(も)たる足玉手玉をな取りそ」とのたまふ。雄鯽等、追ひて菟田(うだ)に至りて、素珥山(そにのやま)に迫む。時に草の中に隠れて、僅(わづか)に兔(まぬか)るること得。急(すみやか)に走(に)げて山を越ゆ。是に、皇子、歌(うたよみ)して曰く、
 梯立の 嶮しき山も 我妹子と 二人越ゆれば 安蓆(やすむしろ)かも(紀61)
爰に雄鯽等、兔れぬることを知りて、急に伊勢の蔣代野(こもしろのの)に追ひ及(し)きて殺しつ。(仁徳紀四十年二月条)

 本稿では、古事記のお話について中心に考える。女鳥王が天皇ではなく速総別王と結婚し、歌を歌ったら天皇は軍隊を動員して殺害しようとしてきたのでともに逃げ、追いつかれてあえなく殺されるまでの一連のお話である。実際、それしか書かれていない。今日の人の先入観を排して、言い伝えられたお話を、文字がわからないから聞くしかなかった当時の人々に、どのように映っていたかを明らかにする。古事記を、“文学(?)作品”や、古代国家による王権制のプロパガンダとは考えない。
 お話として聞いた時、女鳥王は、いくら多妻制が当たり前で、天皇の妻になれると言っても、元からいる奥さんが嫉妬深いから嫌だと言って仲人として来た隼別王と結婚した。女好きの大雀王(仁徳天皇)が嫌なのか、皇后の石之日売命(いはのひめのみこと)が嫌なのか、さて、二股、三股でも平気な人は平気であるし、嫌な人は嫌であるし、個々の判断に委ねられよう。そういう痴話話が書いてあるかと言えば、そうではない。頓智話(咄・噺・譚)が書いてある。
 言い伝えの話(story)はそれ自体が歴史(history)ではない。面白話でなければ、話として伝わるものではない。覚えられないからである。誰が覚えられないかという点に注意して頂きたいが、暗記の得意な“お勉強屋さん”に限られるのではない。稗田阿礼はよく覚えていたが、勉強が得意で科挙に合格して出世した人ではない。言い伝えをよく諳んじていただけで、おそらく字は書けなかった。また、未だヤマトコトバを漢字で書く方便を得ていなかったから、太安万侶が工夫して書いている。それでも、広く知られていた言い伝えをよく諳んじていた。広く知られなければ、少なくともヤマト朝廷に関係のあるほとんどすべての人々の共通認識にならなければ、そもそも話を伝える意味がない。話を人々が共有してはじめて無文字社会は成り立つ。この“世界”は何か。みなが知っている言い伝えがその存立を意味づけるものである。もちろん、出入りの業者も知らなければ、話を合わさなければ、買ってくれるものも買ってはくれない。今も同じである。現代の文字社会は、法律を知らなかったでは通らないとされる。識字率がほぼ100%だから可能なのである。今日の“世界”は、文字とスマホでできている。文字とスマホ情報で検証されることが、“常識”として社会は成り立っている。
 上代文学や古代史の研究者の手にかかると、不思議な方向へ議論が統制されてしまう。女鳥王(雌鳥皇女)は速総別王(隼別皇子)を天皇にしようと謀反を企てたとか、サザキ、ハヤブサとあったら「女鳥王」は何の鳥を表わしているかとか、古事記の女鳥王の話の原文にして漢字320字ほどが、天皇家との関わりのなかでの氏族の出自の話であるとか、王権論理への抵抗や女性の個我の発露であるとか、日本書紀の「鷦鷯」という表記は漢籍から学んだのだから陰陽五行思想と関係して筋立てされているとか、際限なく議論が組み立てられている。お勉強屋さんの“科目”にされては、無文字文化の“話(咄・噺・譚)”も堪ったものではない。解説書や論文には目に余るものがある(注2)
 記紀に、女鳥王の、「雲雀は 天に翔る 高行くや 速総別 雀(さざき)取らさね」(記68)、隼別王の舎人の、「隼は 天に上り 飛び翔り 斎(いつき)が上の 鷦鷯取らさね」(紀60)という「歌」を天皇が聞いて、二人を殺そうとしている。仁徳記では軍隊を興し、仁徳紀では軍隊ではなく刺客を送っている。女鳥王(雌鳥皇女)、速総別王(隼別皇子)側に謀反の動きは記されていない。天皇がひとり怒って殺しにかかっている。そう記されているのだから、そう捉えなくてはいけない。本当に謀反をおこそうと兵士を募ったりしていたのか。女鳥王(雌鳥皇女)は機を織っているし、速総別王(隼別皇子)は媒酌人のお使いにさせられるほど天皇の“舎人”化している。二人とも、いわば部屋住みの身分である(注3)。虚心坦懐にお話を聞かないと面白いものも面白くなくなる。
 荻原千鶴『日本古代の神話と文学』(塙書房、1998年)に、「『女鳥王』の名は雌の鳥を表示するのみで、どういう鳥なのか具体性を欠く。これは説話の世界では奇妙であり、もし鳥をめぐる原話が存在したのなら、その中でメドリも何らかの鳥を表象したはずである。『日本書紀』天武五年四月条の、
 雌鶏、雄に化れり。
については、古典文学大系本をはじめ『雌鶏』に『メトリ』の訓を採用する。」(198頁)という点を踏まえられたうえで、種々の用例を検討されている。そして出た結論としては、「女鳥王の原像としてのメドリは雌雉であったと考える。鷹狩に用いる鷹・隼は、雄より雌が適するといわれるが、説話上はその精悍さが勇猛な男性を、射ること捕えることが結婚を連想させ、雌雉と隼の婚姻説話が生まれたのではないかと思われる。『雌鳥皇女』の表記は応神紀に一回、仁徳紀に五回登場するが、……『新撰字鏡』(天治本)に『鴜〈雉乃女鳥〉◆(此偏に鳥の此字の匕部分が上)〈上同〉』とあり、『◆』が雌雉を表しているのは興味深く、九世紀末葉に『雉乃女鳥(メトリ)』といった言い方が存したことも同時に注意される。」(201頁)ということに落ち着いている。
 仁徳天皇の名、大雀命(大鷦鷯天皇)(おほさざきのみこと)のサザキについては、新撰字鏡に、「鷯 聊音、鷦加也、久支(くき)、又佐々岐(さざき)」、和名抄に、「鷦鷯 文選鷦鷯賦に云はく、鷦鷯〈焦遼二音、佐々岐(さざき)〉は小鳥也、蒿莱の間に生れ、藩籬の下に長ずといふ」とある。現在いうミソサザイのこととされる。他方、速総別王(隼別皇子)(はやぶさわけのみこ)のハヤブサは、現在いうハヤブサである。和名抄には、「鶻 斐務齊切韻に云はく、鶻〈音骨、波夜布佐(はやぶさ)〉は鷹属也、隼〈音笋、和名上に同じ〉鷙鳥也、大なるは祝鳩と名づくといふ」とある。では、女鳥王の女鳥の鳥の種類は何であろうか。話は、どちらの妻になるかということである。当たり前のことだが、サザキの♂、ハヤブサの♂と番いになれるのは、それぞれサザキの♀、ハヤブサの♀である。ニワトリやキジの♀のはずがない。いくら“お話”であるといっても、自然の摂理に反した設定はされるはずがない(注4)。ラバやレオポンの話ではない。女鳥(王)が何の鳥かという設問は、およそナンセンスなのである。何の種類かわからないが鳥の♀であることを示すから、「女鳥王」となっている。それでどうしたかといえば、女鳥王は、サザキの♀にはならずに、ハヤブサの♀になることを選んだ、そういうお話であろう。とてもわかりやすいと思う。
「隼のハンティング.mpg」
「ミソサザイの鳴き声(日本でいちばん小さな野鳥の鳴き声です)」
 荻原先生は、天武紀のメトリという訓を紹介されている。ならば、「女鳥(王)」はメドリではなくメトリかもしれない。清音の可能性である。女鳥(王)の訓みが、メトリと清音で訓まれれば、なるほど「娶(めと)り」の話であると納得されよう。名義抄に、「娶 メトル」とある。「娶り」とは、妻(め)取りの意であるとされる。トリ(取)のトは甲乙両方あり、トリ(鳥)のトは乙類である。記66番歌の「売杼理」の「杼」の字は、通常ド(乙類)と濁音であるが、「明かして通(とほ)れ(阿加斯弖杼富礼)」(記86)、「言挙げせずとも(許登安氣世受杼母)」(万4124)といった用例がある。乙類のト・ドの両方に当てられたとして解釈し直した方が、適切ではないかと思うが、詳しくは音韻論者に委ねたい(注5)。世の中は澄むと濁るの違いにてという洒落もある。なお、紀59番歌の「謎廼利」はメドリ(ドは乙類)と濁音で訓まれている。いずれにせよ、娶りの話だから、メトリ、ないし、メドリという名前に仕立ててある。笑えるではないか。鳥の種類を言い立てていてはぶち壊しである。
 最初に天皇は、自分の奥さんになってくれないかと、女鳥王にお伺いを立てたとき、異母弟の速総別王を媒(なかたち)(注6)として使いを寄こしてきた。異母妹に対して、自分で求婚に来ないで、弟を媒酌人として立ててくる。叔父さんぐらいを媒酌人として使いに寄こすならともかく、年下の弟を寄こすなど、恥ずかしくないのだろうか。女鳥王は、「大后の強(おず)きに因りて、八田若郎女を治め賜はず」などと理由をつけて断ることをした。古訓の「強(おず)き」は「強(おず)し」という形容詞で、殺伐なほど気の強い様を表わす(注7)。当然、大后の気が絶対的に強いということだけでなく、力関係として、天皇の気が相対的に弱いということを物語っている。継妹の自分に、直接、告ることができない気弱な男など、こちらから願い下げということである。古語拾遺に、「天鈿女命(あめのうずめのみこと)〔古語に、天乃於須女(あめのおずめ)といふ。其の神、強(おず)く悍(あら)く猛く固し。故、以て名と為(す)。今の俗(よ)に、強き女を於須志(おずし)と謂ふは、此の縁なり〕」とある。オズシはまた、オゾシともいう。いま、オゾマシイという形にも展開した。そのオゾシは、人に対して畏怖と嫌悪の思いを持たせるような性格などをいう。とともに、オソシ(遅・鈍、ソは乙類)という形容詞の、頭の働きが鈍いこと、気づくのが遅いこと、愚かなことを表す用法にも通用した。オゾシに上代の文献的用例は見られず、ゾの甲乙を決め難いが、通用していたことから考えて、乙類であろう。つまり、女鳥王は、そもそもからして、天皇が、自分の腹違いとはいえ妹に対して、おっかなびっくり弟を介してしか話ができないような、気の強い皇后にたじたじになって縮みあがっている男に対して、嫌になっているのである。だから、後で何を言って来たってそれはもう、オソシ(遅)であり、言ってくるようなことがあったら、それはもう、オソシ(鈍)なのである。というわけで、それを一気呵成に進めてしまったのが、速総別王と一緒になることであった。だから、総別王と書いてある。わかりやすいように、太安万侶は工夫してくれている。
 時間の進むのが、天皇は遅くて、女鳥王は速い。まどろっこしいことしないでちょうだい。で、速総別王と結婚している。周回遅れで天皇は女鳥王のもとへやって来る。「天皇、直(ただ)に女鳥王の坐す所に幸して、其の殿戸の閾(しきみ)の上に坐しき。是に、女鳥王、機(はた)に坐して服(はた)織れり」という状況である。男として、本当にアンポンタンなのであろう。タダニ(直)というのは、直接来たということではあるが、だったら最初からそうすればいい。このタダニは、何の思案もせずに、阿呆面さげて、という意味にとれる。呆れてものも言えない相手だと思ったであろう。その天皇は歌いかけてくる。「女鳥の 我が大君の 織ろす服(はた) 誰(た)が料(たね)ろかも」(記66)。山路平四郎『記紀歌謡の世界』(笠間書院、1994年)には、「『女鳥の 我が王』とあるのは天皇の歌として相応しいものではない」(363頁)とある(注8)。女鳥王のことを「我が王(おほきみ)」とあげ奉るのは天皇位として相応しくないというご意見であろう。対して、身崎壽「ウタとともにカタル―女鳥王物語論―」『萬葉集研究 第二十九集』(塙書房、平成19年)には、「天皇の『妻問ひ』における低姿勢?ぶりをよみとっておく……。……ここもふくめて、このモノガタリには全体として、天皇を戯画的にえがいているふしがみえなくもない。……メドリに対する天皇のひかえめというか、したでにでて、あいての意をむかえようとする姿勢をよくうつしだす効果をになっているだろう。感覚的なものいいになることはいなめないが、ここは、天皇の、この『妻問ひ』における卑屈なまでの求愛の態度([本居宣長・古事記伝にいう]『親しみかしづきて』)と、メドリの堂々とした拒否の態度との対照がめだつ、ということになるのではないか。」(89~90頁)ともある(注9)。筆者は身崎先生のご意見のほうに近いが、はっきりさせておきたいことがある。事は、男女の仲の次元である。必ずしも身分は関係しない。“殿のお手がついた”場合も、逃げられたり、逆に刺し殺されたりする場合もある。地位や名誉や金ですべて何とかなる思ったら大間違いである。ふつうに人生経験をされたらわかることである。
 古事記では、はじめから、鈍な男を語るために、そういう歌い方に仕立てられている。見事な台詞づけである。あなた様が織っていらっしゃるハタ(服)は、どなたのためのものですか? 呆れるではないか。うすのろ間抜け。「高行くや 速総別の 御襲衣料」。この歌について、通説化している解釈として、小学館の新編古典文学全集本古事記頭注に、「速総別王の襲衣を織っているのだ答えるのは結婚したことを明らかにするもの。そこには天皇への反発と、挑発的な語気がある。」(300頁)とされている。そうなのであるが、この挑発的な語気は、馬鹿にしているのである。あんたはずいぶん鈍感ね! 天皇の問い掛けの言葉に、機織りで織られた布帛を指すハタという言葉が使われている(注10)。天皇の、「誰が料(たね)ろかも」に対して、女鳥王は、「速総別の 襲衣(おすひ)料(がね)」と畳みかけ返している(注11)。「速総別の料(たね)」という答えではない。タネ(料)はもと「種」と同じ語、ガネ(料)は、もと「兼」に由来する語である。「種」はまだ芽が出ていないが、「兼」はすでに予定されたことを示す語である。白川静『字訓 普及版』(平凡社、1995年)に、「国語の『かぬ』には合せる意と予測の意とがある。〔万葉〕『豫▲(兼の旧字体)而知者』〔九四八〕は『豫(あらかじ)め▲(か)ねて知りせば』とよみ、ことを予知する意である。」(239頁)という的の星を射た用例をあげられている。もう行き先は決まっているの。あなたのではないの。ほとんど終わりにさしかかっているでしょ。見ればわかるじゃない。ふつうとは少し違う織り上がりでしょ。スケベ根性丸出しの人の肌着じゃないのよ、ということである。本当にオソシと思うから、仕上げる衣服の名も、襲衣(おそひ、ソは乙類)なのである。襲衣は、旅や神事に使う、衣服の上から被り着る上着のことである。お坊さんの使う袈裟に頭巾までつけたような纏い方をするもののようである。
 延喜式・神宮太神宮式の太神宮装束に、「帛意須比(おすひ)八條〈長さ二丈五尺、広さ二幅〉」とある。広さが「二幅」とあるのは、織物として機織り機で織り上げた布を2つ、倍の幅につなげていることを表すのであろうか。長さが二丈五尺とあるから、それだけ縫いあわせたということか。上着だから厚地の生地で、幅も広く、機織りに相当な時間がかかった。機織りしていた数か月間、もうとっくに速総別王とラブラブにしているのに、今頃になって天皇は現われて、誰のために機織りをしているのかと宣った。ばかばかしくなる。オソシ(遅・鈍)→襲衣である。どんだけー、っていうぐらい長時間の骨の折れる機織り仕事であった(注12)。うまい道具仕立てである。日本書紀では、この衣服のことに焦点を当て、用途が旅と神事にあることから、伊勢神宮へ逃げることにしている。小道具から筋立てを決めていっている。神事用の「襲衣」を伊勢神宮に奉納して、天皇に言い訳して許してもらおうと思ったということらしい(注13)。もちろん、“話”としてのことである。
 さて、それに対して、天皇は還っていく。「故、天皇、其の情(こころ)を知りて、宮に還り入りき。」そのとき、「其の夫、速総別王の到来(きた)れる時に、其の妻、女鳥王の歌ひて曰く、雲雀は 天に翔る 高行くや 速総別 雀取らさね」。そう歌うと、天皇は、この歌を聞いて、すぐに軍隊を興して殺そうと思ったと書いてある。どうして「宮に還り入りき」と書いてあるのに「此の歌を聞きて」とあるのか。それは、天皇が、すべてにおいて、オソシ(遅)だからである。お還りになって宮に入られていたと思ったら、まだ、そこいらをうろうろとしていたということであろう。
 天皇がぐずぐずしているとも知らずに女鳥王のところへ速総別王が「到来」した。原文に、「此時、其夫速総別王到来之時、其妻女鳥王歌曰」とある。前掲の新編全集本頭注に、「『時に』が重なるのは異例の構文となる。『到来之』の『之』は文末助辞とみ」(301頁)る解釈をして落ち着かせているが、そうではなく、「時」が俎上に上がっている。オソシ(遅)というのは、時計の針は人によって進み方が違うことを言う言葉である。二つのものを比較する際には、前を基準にして後のものをいうのがオソシ(遅)であり、反対に前のものはハヤシ(速)やトシ(疾・捷)である。日本書紀では、「乃ち語りて日く、『鷦鷯と隼と孰か捷(と)き』といふ。日く、『隼は捷し』といふ。乃ち皇子の日く、『是、我が先(さきだ)てる所なり』といふ」と説明されている。つまり、女鳥王や速総別王タイムでは、あるいは、それがふつうの時間の進み方のように記されているが、天皇はもう宮入りしているはずなのに、まだ残っていたから、「時」がダブって書かれており、歌を天皇に聞かれてしまったことを教えてくれる。太安万侶の書き方はうまい。
 実際に、「時」がダブることはないのではないかとお考えの方もおられるであろう。天皇が還った「時」と速総別王が到来した「時」とが同じだったら、出入口で鉢合わせになるではないか、というご尤もな疑問である。古代の無文字文化のなかに暮らしていた人なら、具体的にあり得ない話は作らないのではないか。まさに正論である。けれども、それは、女鳥王が機織りをしている機殿(機屋)の出入口が1つであったという前提での考えである。2つであったなら、天皇の出て行った口と、速総別王が入ってきた口とが異なり、出くわすことはない。そういう建物があったことは、考古学から検証されている。
 浅川滋男『建築考古学の実証と復元研究』(同成社、2013年)に、「戸口の復元は、これまで高床倉庫で試みられてきたが、平地土間式の大型建物では高床式倉庫の戸口を採用するのが難しく、一般的には突き上げ戸や外し戸などを用いた復元が少なくない。しかし、今回[青谷上寺地遺跡]は幸運にも角柱と戸口の材に恵まれ、本格的な片開戸を復元することができた。」、「青谷上寺地遺跡の蹴放(もしくは楣)は、必ずしも完全な姿をとどめているわけではない。しかし、両端の角柱にはめ込む仕口を備え、扉板両脇の方立を納める决(しゃくり)溝や扉の軸受穴も確認できる。この蹴放(もしくは楣)が角柱と複合しているのはあきらかであり、……蹴放(もしくは楣)の正面側には、同心円状の模様が刻みこまれている。」(70頁)とある。
山陰土着型「長棟建物」の復元全景パース(71頁)
妻側立面図(71頁)
青谷上寺地遺跡・杉板葺大型建物復元 部材対応図(72頁)
 建物の妻の部分になぜかは知らないが、2つの片開きドアがついている。2世帯住宅で真ん中に仕切りとなる壁があるわけではない。内部はワンルームである。復元モデルでは、3.84m×8.12mと広いから、今考えている機殿(機屋)そのものとは俄かには思われないかもしれない。けれども、その他の製糸や織物関連の道具(紡錘車や桛)や材料(麻、苧麻、巻子)が保管されていたとも考えられる。また、棟の短いものでもあれば、十分に機能していたと思われる。なぜなら、建物の「妻」に開き戸となる扉が2つついている。開き戸は、パタパタと開け閉めする。機はハタである。パタパタ織っているからハタという。古代の音韻では、ハタは pata に近いものがあるとされている。高機は古代東アジア世界において、中国を起源として伝わったものである。中国で機(キ)と呼ばれていたものが、ヤマトコトバにハタと言っている。文字がないのだから、これは何ですかと隣村の人に聞かれた時、キですと答えてもそれでは相手には意味が分からない。パタパタして織るものだからハタというのだよ、と新語を造って答えたのではないか。むろん、言葉の語源はわからないし、他の説もある。筆者は、語源説としてよりも、この女鳥王の話において、ハタという言葉をそのように捉えていたという仮説を立てている。
(つづく)
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