古事記・日本書紀・万葉集を読む

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天寿国繍帳銘を読む 其の十(→「上代語ニュース」にPDF化した。)

2016年09月15日 | 論文
(承前)
(注2)論考において、結論から先に示すことは、筆者の好むところではない。結論から先に話すという業務連絡は、仕事の効率を一見高めるように錯覚されるが、それは、一時代前の言葉で言えば、仕事が物象化されることである。仕事が人間の手からすり抜け、独り歩きし、自己目的化する。仕事がクラインの壺と化し、人はその底に沈んでいる。人間のために仕事があるのではなく、仕事のために人間が控えている状態になる。記紀の説話には、事の次第の後先を転倒させて話を進める例がしばしば見られる。その場合、結論を先に言っているのではなく、出来事の結末とは別の“事の次第”、すなわち、落語のオチ(サゲ)に当たる部分を話の最後に持って行って盛り上げるための仕掛けゆえである。これを史実、近代の見方による歴史として捉えることは不可能である。説話のほうがそれを拒否している。拒否された今日の歴史家は、記紀の説話を、それは説話であって史実ではないが、何らかの傾向を表しているのであろう、などといった隔靴掻痒の解説に終始している。ある思想的な背景があって、政策的になり何なり試行錯誤の結果、最終的にそうなったといった時間的な流れに合わせた理屈っぽい話ばかりされたのでは、古代人はうんざりであろう。記紀の説話の躍動性は、“話(噺・咄・譚)”が中心に据えられている点にある。話が面白いか否か、それが核心である。面白くあれば、記憶に残り、人から人へと伝えられる。なにしろ、文字がなく、記録されることがなかったのである。稗田阿礼の丸暗記のように、覚えられて次に話されてまた覚えられて伝えられていくしかない。その際に、時間的な経過に従って時系列的に確かにこうであったと語られて、覚えられるであろうか。眠くならないであろうか。他の人に話したくなるであろうか。稗田阿礼は、受験勉強の才能があったのではなく、落語家の才能があったに違いあるまい。歴史家や法律家の優等生がどんどん勉強して、さて、円生や志ん朝の芸がわかって越えられるのか。話を聞いていて面白くなって、それでそれで、と聞いて行って、最後に爆笑をもって終わることこそ、人々の記憶に強く深く刻まれて、上代の“歴史”として生きていったであろう。その話のネタをいかに作ったか、記紀万葉研究の本願である。聖徳太子はじめいろいろな知恵が加わって、なるほどと腑に落ちる話が仕上がっている。今日の漫才のネタとは違い、笑わせる自体が目的ではない。伝えるべき事柄の意味合いが隠されている。神話のように聞こえる不思議な話、それは諸外国に聞く神話と比較して、時代的にずいぶん新しく、内容的に滑稽で、大掛かりで持って回った話になっている。なぜ手がこんでいるのか。賢すぎるライターが同時代の事柄を説話化したからであろう。5・6・7世紀当時の最大の関心事は、それまでになかった新技術にあったろう。渡来人のもたらした“特許技術”目白押しによって、日々の生活ぶりが変わっていくのだから、その新事実について伝えようとしたのではないか。政治、政策によることもさることながら、渡来人が教えてくれた新しい暮らし方に、人々の関心は向いていた。それを伝えるために多くの説話が創作された。稀有壮大で荒唐無稽な説話がパッチワーク状に構成されていて、聞いた人々は共通認識として持つことができた。ヤマトコトバを熟成させて話を作っていった。言葉がなければ、話が始まらない。意思の疎通ができない。
 Horse が来たが、それをウマと一語で周知させられなければ、諺にいう群盲象を撫でる状態に陥り、いちいち面倒くさいトリセツを重要事項としてくどくどと言って聞かせる義務を果たさなくてはならず、それをしてもなかなか意味が伝わらない。人を乗せて速く走るうまい乗り物で、草のような苦いものも途方もなく大量に食べるのはうまいと思っているかららしく、漢語ではマというのを訛らせて洒落てみたなど、そういった複合的な要素を絡めながら1つの言葉として立体的に造形してあるとわかりやすい。和訓と呼ばれる訓読語や枕詞など、今日、なぜそういう言葉が拵えられたのか俄かにはわからない。その作業は、上代の人の知恵のなせる業である。言葉を作ることほど人間にとって大切な仕事はない。仏を作って魂を入れていって、ホトケと言うようになった。瓫(ほとき)のように丸く膨らんだ形で中は空洞、それが置かれる寺も実は誰も住んでいない伽藍堂で中身は空っぽであることを表わす際、ホトケなる語はわかりやすい。今日の和製英語などの安易な造語とは訳が違う。筆者は、慎重に言い回しているが、言葉の語源はわからない。造語過程も不明である。実証できるものではない。しかし、無文字文化に生きた人たちが語感をもって言葉を使っていたことは確かであろうから、言葉の連想ゲームとして枕詞を含めてヤマトコトバは存立したと考えている。記紀万葉に記されている言葉であれば、その言葉には当時の人の語感が反映されていると言えるであろう。コフン(古墳)と言って5~6世紀のヤマトの人には通じない。同時代のものだからゲンプン(現墳)と言えば通じたかと言えば、もちろんそのようなことはない。文字を知らない人は、音読みされては困る。ツカ(塚)、つまり、ツキ(築・搗・撞)固めた土盛である。田舎の人が前方後円墳をはじめて見て、これは何ですかと尋ねたとき、築き固めたからツカというのだよと教えれば、容易に長期記憶庫に格納されたであろう。そういうからくりが言葉に仕掛けられて、文字を持たなくとも言葉は発展していったと考えられる。新語を造っても伝わって行かない可能性があるなか、まさにぴったりで誰しもが納得するなら、新たな言葉が定着していく。その納得の過程こそ、“話”である。そして、そのとき、人間のために話があるのであって、話のために人間があるのではない。
(注3)「世間虚仮 唯仏是真」を音読みしたに違いないことを窺わせる語が記されている。「玩味」である。橘大女郎が口のなかで言葉を弄んでいる。何と言っているのかわからないけれど、響きを頼りに味を確かめている。「世間虚仮 唯仏是真」なるガムを噛んでいると思えばよい。ここを訓読みすると、「玩味」という語が生きて来ない。訓読みとは、ヤマトコトバそのままである。ヤマトコトバは分かり切っているから、口のなかで玩具にして味わうことはできない。即座に腑に落ちてしまうからである。胃袋へ直行である。
(注4)ヤマトタケルノミコ→ヤマトタケルノミコトという言葉遊びに思えることは、多くの研究者の方々には、くだらなく議論するに値しないと考えられるらしい。現在出版されている古事記の諸本の校注に、きちんと解説されている例もほとんど見られない。話にならない深刻な事態である。不思議なことに、外国語においてそのような例を知ったとき、当該外国語の研究者は、熱心に勉強され、さまざまなレトリックの一例として著作物に掲載して論述される。
(注5)大橋一章『天寿国繍帳の研究』(吉川弘文館、平成7年)に、「蓮華の中でもっとも注目すべきは、光焔を発する蓮華図であろう。前者は天寿国への往生人が生を受けようとしている直前の姿の蓮華で、後者は往生人が今まさに蓮華の中から天寿国へ生れようとしている場面である。経典によると化生とは四生(化生・胎生・卵生・湿生)の一つで、浄土における生命現象であって、無から忽然と生れる超自然的な出生と考えられていた。……私はこの蓮華化生図こそ、天寿国が無量寿国であることを強く示唆するもっとも重要の図像であると考えている」(136頁)とある。無量寿国であるなら、なぜ「天寿国」と言い換えたのか、筆者には理解できないし、その点を考察された論考も管見にして見られない。むしろ、蓮華化生の考えを方便として、橘大女郎の言う「生於天寿国之中」の「中」を示そうとしただけなのではないか。行政単位としてのクニ(国)の国府、国衙は、クニの境界ではなく、中ほどにある。ヨリユク(従遊)とは連なって逝ったこと、ハス(蓮)の音のレンと同じで、ハスの様子が、周辺の葉、花などが根(レンコン)を通じて続いていることをもって似つかわしいと感じたからデザイン化したのではないか。
(注6)上宮王家で数カ月中に亡くなっているのは、「母王」こと穴穂部間人皇女、膳夫人(干食王后、膳菩岐々美郎女)、「大王」こと太子の3人である。膳夫人は、病の床についた太子の看病にあたったものの、看病疲れから太子の亡くなる前日に亡くなっている。続けざまに亡くなっているという橘大女郎の言い分からすると、むしろ膳夫人を当てる方がふさわしい。そのため、橘大女郎が膳夫人に嫉妬していたための言動であろうという臆説も生じている。石井、前掲書でも、亀の上の銘の名前の配置を検討された三田覚之先生の釈迦三尊像的な塩梅を考慮に入れ、「干食王后に対する、皇女としての強烈な自己主張と見るべきでしょう」(221頁)とされている。太子の本妻は自分であると主張したのだという週刊誌ネタのようなゲスの勘繰りである。なぜなら、繍帳を作らせたのは橘大女郎ではなくて推古天皇だからである。推古天皇が膳夫人をいなかったことにする理由が解かれていない。正妻であったことを太子が亡くなってから推古天皇に訴える理由としては、相続財産の問題がある。しかし、銘文に記されている内容、橘大女郎の主張の主旨は、母王と太子の住む天寿国を見たいということである。嫉妬や財産目当てから、天寿国なる訳の分からぬテーマを持ち出し、事もあろうに天皇にぶつけるのであろうか。園遊会に招かれて、突拍子もない意見を開陳したのではない。自分から小墾田宮を訪れ、恐る恐る庭の手前から、奥の宮殿の御簾の向こうの天皇に申し上げているのである。万に一つあり得ないことではないが、その場合、橘大女郎は、やはり精神を病んでいるとして扱うしかない。財産は後見人が管理することにし、お大事にしていただこう。
 天寿国繍帳は物証である。推古天皇が橘大女郎の言い分をまともに聞いて、その言葉を捉え返して天寿国繍帳を作らせている。天皇は社会秩序を安定させる方へ舵を切る。ゴシップ騒ぎに後追い的に加担したりはしない。憔悴しきった橘大女郎が、錯乱し、太子の亡くなる前日に枕を並べていた膳夫人の亡骸を、殯中で葬らずにいた母王、穴穂部間人皇女だと思いこんでしまったに過ぎない。統合失調症状態である。上宮王家の家来も、橘大女郎の狂気を悟り、近づけないようにしていて、詳細を伝えなかったのかもしれない。推古天皇もさぞかし心配したことであろう。
(注7)鷹の調教の仕方において、宮内省式部職編、上掲書(204/398)、昭和58年再刊)に、「渡り」と「振替」の説明として次のように記されている。

渡(ワタ)り 渡りとは、餌を適当の大きさに切り、地上に落し、其の処に鷹を放ち、餌合子又は、丸鳩にて手元に呼び寄するなり。最初は、丸鳩にて呼び、鷹の様子に依り、餌合子にて呼ぶ。初め鷹には大緒を附し、馴るゝに従ひ、距離を延ばし、水縄又は忍縄を鷹に附して行ふ。之れを、呼渡(オキワタ)りと云ふ。尚馴るゝに従ひ、木の枝に肉を置き、其場所に鷹を止まらせ、丸鳩又は餌合子にて手元に呼ぶ。之れを、渡(ワタ)りと云ふ。
振替(フリカヘ) 丸鳩に、忍縄を附し、五六間離れたる処にて他の者に之れを投げしめ、鷹を放ちて之れを掴ます。又離れたる処より餌合子にて呼ばせ、鷹先方に到らば更に当方より餌合子にて呼び戻す。終に鷹に、水縄・忍縄等を附せずして行ふ事を得るに至る。之れを振替仕込と云ふ。(356頁。漢字旧字体は改めた。)

(注8)ワタル(渡る)という語について、大野晋編『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、2011年)に、「風・雲・霧などがひと所に起こって徐々に広がり、やがては一面を埋め尽くす動きをいうのが原義。他の動詞と複合した『咲き渡る』『荒れ渡る』などの形で使われることが多い」(須山名保子、1337頁)とあるが、複合動詞の意が原義であるとは考えにくい。白川静『字訓』(平凡社、1995年)に、「水面などを直線的に横切って、向う側に着くことをいう。此方から向うまでの間を含めていい、時間のときにも連続した関係をいう。『わた』はおそらく海(わた)。『わたす』『わたる』は、海を渡ることが原義であろう。それよりして広く他に及ぶすことをいい、『かけわたす』『みわたす』のように補助動詞として用いる」(805頁)とあるのが穏当であろう。須山先生のご指摘に、他動詞ワタス(渡す)には、「時間的範囲を示す用法はない」(1334頁)と鋭い。タイムトラベルの発想がなかったらしいことが窺える。五十六億七千万年後へと「渡す」という考えはなかったということである。
 渡り鳥という響きには、①季節によって日本へ集団で訪れる鳥(カモやツル、ハクチョウなど)、②外国から珍しいものとしては舶来した鳥(クジャクやオウム、インコなど)の2つのイメージが浮かぶ。百済のクチ、こと、日本にもいるタカが、鷹狩用に飼われた状態で舶来したことをも、「候鳥」=渡り鳥という概念は示している。訓練も“渡り”、その技術も“渡り”職人が伝えた。ひょっとすると、古墳時代後期から飛鳥時代にかけては、新技術を伝える渡来人のことを、“渡り”人などと通称していたのではなかろうか。
(注9)ハナシ(話・咄・噺・譚)という言葉は、自動詞ハナル(放・離)―他動詞ハナス(放・離)の関係のうち、他動詞ハナスの連用形から起こった言葉である点は、趣き深いものがある。ハナシとは、音声自らが離れていっているのではなく、放たれて飛んで行っているものである。話をするのは、人間である。口をついて出てきただけでも言葉となっていれば意味があるものと考えられる。それは当人が意識している、いないに関わらないとされる。「言(ものもい)はず。唯(ただ)歌ひつらくのみ」(神武紀十年九月条)という「少女(をとめ)」、「童女(わらはめ)」の「歌」にしても、武埴安彦(たけはにやすびこ)とその妻吾田媛(あたひめ)の謀反の兆候であったことになっている。人間が人間であるからには、口から発せられる言葉には意味がある、ないしは、あるものと考えるのが人間の思考である。「誣妄(たはごと)・妖偽(およづれごと)を禁(いさ)ひ断(や)む」(天智紀九年正月条)などとあるのは、騙って詐欺や洗脳するのはいけませんよ、ということであろう。不良の意味で非行という言葉を使うが、精神鑑定によって判断能力を欠いている場合は「非行」という言葉は正しかろうが、夜中の暴走族などは「不良」であろう。言葉として聞こえるものは、良かれ悪しかれ人間の行為である。言い換えれば、狂人はもはや人間ではないものとされる。言語がコードとなってコミュニケーションが成り立ち、人間社会は存立する。
(注10)木村尚志「鷹百首」鈴木健一編『鳥獣虫魚の文学史―日本古典の自然観2 鳥の巻―』(三弥生書房、平成23年)に、「『手放(たはな)す』という鷹詞は、獲物のゆく方へ鷹を手放す、という意味である。その早い用例は、南北朝時代の宗良(むねよし)親王の『宗良千首』の中の1首、
 あふことも又やなからむかり人のたはなす鷹の心しらねば
である。これは『万葉集』巻十七の大伴家持の長歌、……[万4011番歌]の中の「手放(たばな)れ」を踏まえての歌であろう」(171~172頁)とある。せっかく問題の本質に気づかれておりながら、万葉集の訓の方を疑うことはされていない。同書では、鷹の飼育・調養において、鷹を架(ほこ)につなぐこともした(新修鷹経・中・「繫(つな)グ鷹ヲ法」)ことが、「契ても心ゆるさじ箸鷹のほこのきづなの絶人と思へば(『後京極殿鷹三百首』・恋部)という歌では架に鷹を結びつける『絆(きづな)』に、恋人同士の絆の意を掛けている」(175頁)と解説されている。同じ鷹三百首・恋部には、「契のみ朽せぬためしあればこそとしとしかけて鷹わたるらめ」ともある。鷹が野生へと帰ってしまわずに人から人へと“渡る”ことを詠っている。“渡り鳥”と観念されていたことの傍証である。ただ、他の作者の鷹百首和歌の類に、「渡る」の用例の乏しいことは気がかりではある。
(注11)日本三代実録、光孝天皇の仁和元年十二月条に、「七日丁巳。天皇幸神泉苑。放鷹隼。拂水禽。」とある。ミヅノトトリを「水の鳥取」ではないかという当て推量から探索した。けれども、天皇の遊獵記事の場所は、ほとんど「野」である。野行幸ばかりである。江戸時代も将軍家の「御鷹野」が定められている。やはり、鷹狩が素晴らしいことをもって、「瑞の鳥取」と捉えたものとするのがぴったりである。
(注12)トヨミケカシキヤヒメという名について、研究者によってよく分からない議論が行われている。亡くなった後の諡か、生前からの尊号か、に二分している。トヨミケカシキヤヒメという名を現代語訳すると、キッチンガール、台所姉ちゃん、お勝手女、などであろう。トヨ(豊)+ミケ(御食)+カシキヤ(炊屋)+ヒメ(姫)である。最初のトヨは尊称かもしれないが、全体が「尊号」であるというには当たりにくく思われる。「諡」というにはやけに身近でフレンドリーな名前である。すなわち、名とは何か。呼ばれるものに過ぎない。
 東野、前掲書、2004年に、「内題の称号が諡であることは、『気長足姫尊』(神功皇后)について、この称が追尊の号であることを書紀自身が明記していることから明らかである」(151頁)とある。神功皇后の諡の記事は次のとおりである。

是の日に、皇太后(おほきさき)を追ひ尊(たふと)びて、気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)と曰(まを)す。(神功紀六十九年十月条)

 この記事を読み、紀の巻や章立てのタイトルにあたる「内題」と同じだから、紀の内題はすべて諡なのだとすることはできまい。あるクレタ島の人は嘘つきである、よって、すべてのクレタ島の人は嘘つきである、という論理は成立しない。何年何月何日に、○○と言った、という記事は、その日の出来事を記している。歴史書だからである。法令集、判例集ではない。日本書紀の書き方について、日本書紀自身がすべてに及ぶように記す仕方は、次のようにある。

 至りて貴(たふと)きをば尊(そん)と曰ふ。自(これより)余(あまり)をば命(めい)と曰ふ。並(ならび)に美挙等(みこと)と訓(い)ふ。下(しも)皆(みな)此れに效(なら)へ。(神代紀第一段本文)

 「尊」という称号について、日本書紀全巻で最初の字に注されている。念が入っていて、「下皆效此」と定めている。神功皇后の巻は、日本書紀巻第九である。「追ひ尊」ぶことについても、もし、それぞれの天皇で行われていったとしたら、それぞれの天皇について、「是の日に」という記述が行われないと、つまり、儀式が行われたと記さないと歴史書としては芳しくない。神功紀にしか見られない一例から、紀のすべてに敷衍できるものではない。東野先生もご指摘の、推古天皇の「幼」名記事は、次のとおりである。

 幼くましまししときに額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)と曰す。(推古紀即位前紀)

 幼い時、ヌカタベノヒメミコと呼ばれていた。この記事を全面的に信用すると、長じてからはヌカタベノヒメミコとは別の呼び名があったかもしれない気になる。しかし、ヌカタベノヒメミコと呼ばれなくなったとは記されていないから、そう呼ばれなくなったかどうかはわからない。しかし、残念ながら、他にそれらしい名は記されていない。そして、生前、トヨミケカシキヤヒメと呼ばれることはなかった、あるいは、禁止されていた、という文章はどこにもない。生前からの尊号を諡にしてはならないとする規定もない。不吉だからやめるようにとの慣わしも知られない。では、トヨミケカシキヤヒメ(The キッチンガール)という名とはなにか。それは、名前である。呼ばれるものである。The キッチンガールをもって、尊号とする考え方について、筆者には研究者の議論の前提するところの意味がわからない。訳がわからない。紀の内題に何が書いてあるか。名前が書いてある。それだけではないか。「天皇」“号”が特別視されたり、諡“号”が格式付けられたりするためには、文字表記が前提となる。漢字に囚われることがなければ、成立しない概念である。
(注13)「読む」ということは、「訓読する」、「訳す」ということと同じことではない。訳したら終わりというのは、例えば外国語を学習する際、単語の意味を調べ、構文を考え、和訳文を完成させて解答用紙やレポート用紙に記入して提出するということと同じである。それによって外国語ができるようになるかといえば、なかなか難しい。留学が必要である。飛鳥時代へ行く必要がある。もうひとつ例を挙げれば、文学が好きな人が小説を年に300冊読んだとして、さてそれは何をしているのであろうか。それは趣味をしている。享受している。素晴らしいことである。では、その人が小説家になれるかというと、それは別問題である。記紀について言うなら、古事記の真似をして落とし噺をひとつ書いてみると良い。漢語を使わずにヤマトコトバだけで文章を作ることは至難の業であるし、和習万葉仮名混交文など書いていたらばかばかしくなって投げ出したくなること請け合いである。ただし、姿勢としては必要なことであろう。
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