古事記・日本書紀・万葉集を読む

コピペで学位は自己責任で。(つまり、そちらの問題なのだ。「上代語ニュース」もどうぞ。)

十七条憲法の「和」について 其の二

2017年04月19日 | 論文
(承前)
 憲法十七条には、「和」の字が4字使われている。それを文意に応じて読み分けることをしたのか。例えば、「與」という字も4字使われている。「與公」(第十二条)、「與衆」(第十七条)とある個所は、助詞のトと訓み、「與聞」(第十三条)は、動詞でアヅカリと訓んでいる。同じ字でも前後を見渡して読み分けられている。この例からすれば、同じ「和」とあっても、違うヤマトコトバで訓んでかまわない。太子がプレゼンで何と喋ったかわからない。本稿は、そのわからないところに迫ろうとしている。4字のそれぞれの箇所をあげる。

 以和為貴(第一条の1)
 上和下睦(第一条の2)
 然得知之日和如曽識(第十三条)
 故初章云上下和諧其亦是情歟(第十五条)
「和如曽識」(前掲書、18頁)
「上下和諧其」(前掲書、18頁)
 いちばん古いとされる岩崎本の平安中期の朱書では、第一条の1の右側にヤハラクとしかない。墨書では、院政期11世紀のものとして第一条の2の右側に、「ヤ」とある。室町時代に至って、第一条の1、第十三条、第十五条にアマナヒと振られている。ここで問題の核心は、第十五条の文章である。

 故(かれ)、初めの章(くだり)に云へらく、「上下和諧」、其れ亦、是の情(こころ)ならむ歟(か)。

とある。第一章の2の、「上和下睦」を思い出して、ああ、まったくその通りのことをここでまた言っているのだよ、と感動している。太子自身がお話しされているのに、ご自身で仰ったことを振り返って喜んでおられる。そんなことがなぜか記されている。これは「憲法」ではなかったのか。憲法のなかに、前の条文を思い出して、それと同じ趣旨であると言って喜んでいる文章が紛れ込んでいる。
 同じことを言うケースは、「憲法」草案以外でなら、それほどまで不思議なことではない。難しげな論文表記でも、「先に述べたとおり」などとあるのは、だいぶ前に論述された事柄を振り返るときに示される。とはいえ、論文で先述したことについて、感慨深いなぁと自分まで聞く側に回って語られることはない。小説の場合、いくらでもそういった表現は登場する。心象風景を綴ることが小説の大義である。ここで第十五条に、そのような立場の転換に至っている。なぜそんな珍事が出来しているのか。その理由は、第一条の「上和下睦」という文言が、千字文の一句とまったく同じである点に尽きる。
「上和下睦」(『関中本千字文 隋 智栄 中国法書選28』二玄社、1988年、多少加工。)
 千字文は、よく知られるように、文字の練習用に利用された4字ずつの句のつながりである(注10)。とりとめがない千字文が、全体にどのような構想があったのか不明である。ここで千字文の思想的背景は問題ではない。字の練習用として手習いに使われたのだから、官吏のなかには見て知っている人がいたのであろう、そのことが大事である。なあ、君たちも知っているだろう、千字文に出てくる「上和下睦」というのは、そういう意味だったのだよ、と、語りかけるに自らまで納得するかに振る舞っている。句として見れば、何となく意味が通じている。
 千字文のこの部分は、「上和下睦 夫唱婦随」とある個所である。陽明文庫蔵の千字文音決による音訓両訓のいわゆる文選読みでは、「シヤウクワとかみやはらいで カボクとしもむつまじ フシヤウとをつとよんで フスイとめはしたがふべし」(小川環樹・木田章義『注釈千字文』岩波書店、1984年、125頁、文語仮名遣いのみ記した。)とある。上野本の注千字文には、「睦親也人君有寛和仁恕之徳者則諸侯来親也夫唱善道則女随其命也」と注されている(黒田彰・後藤昭雄・東野治之・三木雅博『上野本注千字文注解』和泉書院、1989年、18頁)。山田準・安本健吉註解『詳釈 千字文』(岩波書店(岩波文庫)、昭和12年)に、「【字義】上は尊き人をさし、下は卑き人を指せるなり。和はやはらぎて程合(ほどあひ)のよろしきをいふ。古文に咊又は龢に作れり。睦は親愛の心、面目にあらはれて、和らぎたるをいふ。」(73頁)、「【解】凡て人倫の中に尊卑あり、その上(かみ)たる尊きものは、温和にして下(しも)たる卑きものに接し、卑きものは、尊き人に対するに、親しみ睦しくして、敬和の心深く、互いに深切にすべきなり。」(74頁)とある。
 第一条2の「上和下睦」と第十五条の「上下和諧」とは、字に転倒や異同があるとはいえ、句ごと、あるいは、字ごとに、同じように訓んでいないと、相手に意味が通じないことになる。ここにこうあるのは、初めの章にあのようにあったのと同じことですね、と黒板に書いてある字を指し棒で示して言っているとして、ほら、あれだよあれ、と指しているのに、異なる訓み方をしていてはわかってはもらえない。一緒にわかることが、第十五条の最後に記される「歟」字に表わされている(注11)。「初章」の千字文の文句へ振り返っており、さあ、皆さん、思い出してください、思い出せるでしょう、皆さんもご存知の千字文の言葉ですよ、と語りかけている。だからこそ、でしょうかねぇ、などといった言い回しになっている。ほかに千字文を引用していると考えられているのは、第七条の「尅念作聖」である。どうしてこういう句をぶち込むのか。聞いている役人たちの気を引くためである(注12)
 すなわち、以下のような講釈が教壇上から行われたとは考えられない。

 第一条:「上和下睦」……上(かみ)和(やはら)ぎて下(しも)睦(むつ)ぶ。
 第十五条:「上下和諧」……上(かみ)下(しも)和(あまな)ひ諧(ととのほ)る。

 このように訓み分けると、「初章云……歟」という詠嘆的な感慨が、ひとりよがりになってしまう。上に立つ者がやわらかい態度で接すれば、下の者は親しみをおぼえて仲良しになれるということと、上の者と下の者が和合していて万事整うというのとは、少し違った意味である。上の文の前半を条件節のようにとると、下の文と文意が異なってくる。「上(かみ)和(やはら)ぎ下(しも)睦(むつ)ぶ」とつづけて訓んで、上の者はやわらかく下の者も仲よしになる、の意と捉えれば、かろうじて下の文と同じ雰囲気になりはする。けれども、言葉(音)として合わないものは合わない。言霊として符合しない。
 岩崎本には第一条の2の傍訓に、「ヤ」とあるばかりである。「ア」字に見えないこともないが、11世紀の墨書のようであり、前出の「以和為貴」(第一条の1)の朱書のヤハラクを踏襲してヤと付されていると考えられる。一条兼良による加筆はない。他の伝本でも、図書寮本、北野本に「ヤ」とある。この「上和下睦」部分の「和」は、ヤハラグとしか訓まれて来ていない。けれども、第十五条の付言、付帯事項と第一条が同じであるという考えを貫くなら、もう少し見比べなくてはならない。「諧」字への連なりである。

 第一条:然上和下睦諧於論事則事理自通何事不成
 第十五条:故初章云上下和諧其亦是情歟

 「諧」字は、第一条でカナフ、第十五条でトトノホルと訓まれている。これほどまで似ている句に、同じ字で違う訓みをしなければ、文章として体を成さないのだろうか。そして、やはり、口上して説明するのに、理解されにくくなっていないかと心配してしまう。
 第一条では、「事」という字が3字登場している。「論事」は問題事の意である。「事理」は「事理(ことわり)灼然(いやちこ)なり」(允恭紀元年十二月条)、「言理(ことわり)灼然(いやちこ)なり」(崇神紀十年九月条)とあり、常套句であった。物事の理由の意で、事を割るが原義である。岩や木を割る時、楔(くさび)を使うと、ある決まった筋目(木目)から割れる。別の方向へは割れずに必ず筋目に沿って割れる。イヤチコなるところで割れる。物事の道理というのも、それと同じであると考えられている。道理を枉げることはできないし、筋目があるところなら少し楔を打っただけで簡単に割れる。それを「事理」と言っている。「何事」はどんな事でもの意である。
 今日まで通訓である「事を論(あげつら)ふに諧(かな)ふときは、事理(こと)自(おのづ)から通(かよ)ふ。何事か成らざらむ」という訓は、少々まどろっこしく感じられる。なぜなら、「上和下睦」の場合、必ず「諧於論事」になり、かなわないことなどあり得ないからである。いやに理屈っぽい話をしているように思われるかもしれないが、「憲法」の命法の講釈として書いてある。人はみな党派に偏り道理を弁えた者は少なく、父に順わないで近隣紛争ばかりしている。「然れども」とつづくのが「上和下睦……」の文章である。第一条で「憲法」として掲げたい主眼は、「以和為貴無忤為宗」という命法である。「以和為貴無忤為宗」は良いことだよ、という趣旨が「然」以下に説明されている。
 「則」の字について、その時には、の意の接続詞に解されている。しかし、そうとばかり限らない。「則」には、副詞として、とりもなおさず、つまり、もうそれだけですなわち、の意がある(注13)

 弟子入則孝、出則弟、……弟子(ていし)入りては則ち孝(かう)、出でては則ち弟(てい)、(論語・学而)
 父母之年、不知也。一則以喜、一以則懼。……父母の年は、知らざる可からざるなり。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る。(論語・里仁)
 由是観之、則君子之所養可知己矣。……是に由りて之を観れば、則ち君子の養ふ所知るべきのみ。(孟子・滕文公)
 旱既太甚、則不推。……旱既に太甚(はなはだ)し、則ち推(しりぞ)くるべからず。(詩経・大雅・蕩之什・雲漢)
 乱之所生也、則言語以為階。……乱の生ずる所には、則ち言語もって階(きざはし)を為す。(易経・繫辞上)
 其長兵則弓矢、短兵則刀鋋。……長兵は則ち弓矢、短兵は則ち刀鋋(たうせん)なり。(史記・匈奴伝)
 吾則是国王也。……吾は是の国の王(きみ)なり。(垂仁紀二年是歳条)
 君則天之、臣則地之。……君をば天(あめ)とし、臣(やつこらま)をば地(つち)とす。(推古紀十二年四月条、第三条)
 是以貧民、則不所由。……是を以て貧しき民(おほみたから)は、所由(せむすべ)を知らず。(同、第五条)
 
 諸橋徹次『漢和大辞典 第二巻』(大修館書店、昭和31年)の説明では、「『は』の意。対待の関係を表はす。」(267頁、漢字の旧字体は改めた)、藤堂明保『学研漢和大字典』(学習研究社、昭和53年)の説明では、「A(主語)=B(述語)という説明を強調することば。」(148頁)とある。上の例では、命題A=命題Bということに当たる。条件節ではない。太子は今、憲法(いつくしきのり)の話をし始めたところである。ノリの話においてノリトル(則)なのだから、これすなわち、の意である。語っている言葉を枠組として外側から規定してかかる同語反復的な言い回しである。自己言及的な言い方こそ、上代の無文字文化のなかでの言葉遣いに適合している。相手にわからないと言われたとき、だって言葉自身がそう語っているではないか、と説明することができる。そういう仕掛けを保っている。言葉が言葉を自ら説明できるように予めこしらえておき、誤謬をなくすように努めている。したがって、「諧於論事」=「事理自通」→「何事不成」の構成と考えられる。
 文章の構造をそのように規定すると、「則」字には、スナハチ、または、…ハ、…テ、と訓めば良いであろう。試訓すれば、「事を論(あげつら)ふに諧(ととのほ)りて、事理(ことわり)自(おのづ)からに通(かよ)ふ。何事か成らざらむ。」となる。「諧」字はカナヒと訓んでも悪くはないけれど、「以和為貴無忤為宗」という大命題を果たせば適わないときはないのだから、トトノホリと訓んだほうが適切であろう。トトノホリは、他動詞トトノフ(斉・調・整)の自動詞形で、すっかり備わる、整ってしまう、という意味である。「整頓(ととのほ)り」(神代紀第十段本文)とある。トトノホリと訓めば、第一条を承けている第十五条の「諧」字の訓と同じになる。言葉が整ってくる。すると、第一条の「上和下睦」も、第十五条にある訓法を採用するのがふさわしそうである。「上(かみ)和(あまな)ひ下(しも)睦(むつ)ぶ」である。それは、社会の上位層が勝手に「和」の精神を発揮するのではなく、「下」との間で「和」の関係になるようにすることである。かつまた、社会の下位層が勝手に「睦」まじい状態になるのではなくて、「上」との間で「睦」む関係になるようにするということである。「上」と「下」とが単独に「和」や「睦」という行いをするのではなく、互いの関係性のなかでの行為を示すと捉えれば、「上和下睦」と「上下和諧」とが同じ意味となり、第十五条に「故初章云上下和諧其亦是情」と記す意味が深く了解される。
 ムツブ(睦)という語は、形容詞化してムツマシとなる。大野晋編『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、2011年)に、「ムツブは、血縁者や親族として、また、そうした関係にあると同じように、身近で親しくする意。ムツマシは、血縁や夫婦の関係にある者どうしのうちとけた親密な気持ちを表す。また、身内同然ととらえられる主従のあいだで使われることも多い。」(1179頁、この項、依田瑞穂先生)とある。「上和下睦」とあるのは、下位層どうしでむつみあうことではない。下位層どうしで狎れ合うことをすると、徒党を組んで一揆を起こすような悪巧みに発展しかねない。秘密結社や闘争活動、組織犯罪を奨励する文章ではない。下位者が上位者と親睦することを勧めている。雑駁にいえば、にこにこと挨拶するようなことと考えればいいのであろう。そのためにも、上位者は偉ぶったり威張ったり怒っていては駄目である。「和」が必要である。では、上位者の「和」とは何か。物腰やわらかく接するということであろうか。無礼講で何でも話していいよ、ということであろうか。和辻哲郎『日本思想倫理史 上 和辻哲郎全集第十二巻』(岩波書店、昭和37年)に、次のようにある。

 君臣上下の和、民衆の和、相互関係における和などは、さまざまの異なった形でくり返して説かれている。が、特にここに注意すべきことは、ここに説かれているのが「和」であって、単なる従順ではないということである。事を論ぜずにただついて来いというのではなく、事を論じて事理を通ぜしめるためには、議論そのものが諧和の気分のなかで行われなくてはならない、というのである。従って盛んに事を論じて事理を通ぜしめることこそ、最も望ましいことなのである。(116頁)

 この考え方は、本末の転倒した、誤った読み方である。憲法の“条項”は、命法とその説明の形で示されている。いわば、法華経とその義疏との関係である。義疏から法華経を作り物にしてはならない。盛んに事を論じて手がおろそかになることや、事を論ずるためだけに百条委員会を設置しようとするものではない。理屈ばかり捏ね回すソクラテスが出てきては困る。そうではなく、「上和下睦」にするとどういうことになるかというと、「諧於論事」状態になり、それは「事理自通」と同じことであり、「何事不成」こととなる、と言っている。前から順に読んで行く。なにしろ、訓示で「曰」われた言葉である。空中を飛び交っている。プレイバックする読み返しはできない。
 問題は、「和」の内容である。ヤハラグと仮定すると、上位者と下位者の間の関係として、上位者が下位者にやわらかくすることは、上位者が上位者にやわらかくすることや、下位者どうしやわらかくすること、また、下位者が上位者に対してやわらかくすることを排除するものではない。「和」が、すべての関係性に通用されてしまう誤謬が生ずる。上代の言霊信仰のなかにある人は、言葉をとても大切にして、適語を選んで使っているように思われる。他の候補、アマナフ、ニキブを考えてみる。
 ニキブという訓は、岩崎本にあるわけではない。欽明紀の古訓に次のようにある。

 昔我が先祖(とほつおや)速古王・貴首王と、故(もと)の旱岐等と、始めて和親(にきびむつぶること)を約(むす)びて、式(も)て兄(このかみ)弟(おとと)と為(な)る。是に、我は汝を以て子とも弟(いろど)ともし、汝は我を以て父(かぞ)とも兄(いろね)ともす。(欽明紀二年七月条)
昔我が先祖(とほつおや)速古王・貴首王の世(よよ)に、安羅・加羅・卓淳の旱岐等、初めて使(つかひ)を遣(つかは)して相通(かよは)して、厚く親好(したしきむつび)を結び、以て子弟(やから)と為りて、恒に隆(さか)ゆべきことを冀(ねが)ふ。(欽明紀二年四月条)

 ニキブはニキ(柔)の動詞化したもので、馴れ親しむ、うちとける、の意である。対義語はアラブ(荒)である。第一条に「上和下睦」とは、欽明紀の第一例の「和親」に似た関係ととることができる。安羅・加羅・卓淳の旱岐等が子弟、百済の速古王・貴首王が父兄の間柄である。ペリーが来た時の日米和親条約の「和親」は、不平等条約であった。米国が父兄、日本が子弟である。欽明紀の「和親」は、ヤマトコトバのニキブという印象に感じにくいものである。万葉集には、

 天皇(おほきみ)の 御命(みこと)畏(かしこ)み 柔(にき)びにし 家をおき ……(万79)
 …… 白妙の 手本(たもと)を別れ 柔びにし 家ゆも出でて ……(万481)
 …… 居(を)らくの 奥処(おくか)も知らず 親(にきび)にし わが家すらを ……(万3272)

といった例がある。「家(いへ)」という語と一緒に使われており、アットホーム感を伴う雰囲気を感じさせているから、ニキビニシは枕詞なのかもしれない。そして、「家」を守る比重は、女性、母親の方に分がある。
 欽明紀は、国の関係をムツビとして考えている。「親好」はシタシキムツビ、「和親」はニキビムツブルコトと言い換えている。筆者は、ニキブという語に、子弟と父兄との間の上下関係を認めることができない。和稲(にきしね)、和魂(にきたま)、和幣(にきて)、柔膚(にきはだ)、和海藻(にきめ)など、他のニキ(和)の用例に、何ら関係の上下にまつわる言葉が現れない。アラ(荒・粗)の対としてニキ(柔・和)がある。欽明紀の「和親」をニキビムツブルコトと訓むのは正しいのであろうか(注14)
 他方、アマナフという語は、「甘」字をもっても記される。仲良くすることであるが、甘受するの義を含んでいる。その「甘」字は、カフ(飼・養)という箇所にも使われる。記紀に、鷹甘、鳥甘、馬甘、牛甘、猪甘などとある(注15)。つまり、アマナフことは、カフことの本質を表わしている。本来、野生動物は、自分の力で食べ物を見つけ出して獲得しなければならない。それを甘やかして餌を与え、なつかせて馴れさせる。そのうえで、人のいうことをきかせて、鷹狩や乗馬や耕牛などに利用する。使役させているのであるが、そのかわりに食べ物には不自由させず、健康面でも気を使って厩舎や鳥小屋をわざわざ建てて大切にする。なぜなら、彼らが働くとき、人間が行う以上のことをしてくれるからである。鷹狩用に調教された鷹は、万能叉手網である。鵜飼用の鵜は、釣針や筌(うけ)何個に相当するのであろうか。馬の牽引する力、馬力とは、何人力か知れない。牛は泥田へ入り、代掻きという嫌な仕事をしてくれる。皆すごいのである。有り難いのである。そこで、互いに甘い関係になろうとした。人が家畜をアマナフことをした。
 第一条に「上和下睦」とあるのは、上位者が下位者をアマナフことである。下位者である百姓に対して、それぞれの持ち分で農耕やその他の生業、職能を生かすように励んでもらうように手なずけることである。税を搾り取るばかりにはならずに、ふつうか今以上にハッピーに暮らしていけるようにして、仕事から逃げないでやり続けてもらうように仕向けることである。自立支援のプログラムや産業育成の助成、待機児童ゼロ化推進、長時間労働への規制が施される。近ごろ政策として訴えられているのは、ほとんどアマナフ関連の予算であるように思われる。国民は国家の大切な家畜となったらしい。
 そのように解釈すると、「上和下睦」という千字文の句は、「上和下」+「下睦上」を“圧縮”した言い方であることがわかる。だから、第十五条に、「上下和諧」という形へと言い換えても、まったく同じことを言っていると理解できる。耳で聞いていてわかるという意味である。
 冒頭の「和」には、岩崎本の一条兼良の傍訓に、アマナヒとあった。犬を飼うとき、“待て”、“お座り”ができたら、よしよしと撫でてあげてご飯を与える。すると、犬はなついて忠犬となる。古代の場合は主に猟犬として育成されたであろう。この飼う間柄に、聖徳太子は何かを見ていたのではないか。「和(あまな)ふを以て貴しと為(せ)よ」、よしよしとする甘えの関係ができていれば、人々の間もうまくいく。現代社会では、家族の間でさえ、甘えの関係が希薄になっている。すべて、「個人」の関係である。「和(あまな)ふ」という甘い関係がなぜか省みられなくなっている。筆者はもったいないと思うが、自立こそが大事であると考えられている。社会的自立と家庭内の甘えに、共立できない斥力の働きがあるらしい。ムツブルコトと訓むはずの「親」の介護の問題がそうさせているのだろうか。家族の構成員の心は、同じ方向を向いていない。そんなことで幸福感は高まるのであろうか。「上和(あまな)ひて下睦べば、事を論(あげつら)ふに諧(ととのほ)りて、事理(ことわり)自づからに通(かよ)ふ。何事か成らざらむ」。上の者がきちんと世話をするようにし、下の者は親しみをもって振る舞えば、問題が生じて論ずる際にもすでに心が同じ方向を向いているから、事理が自然と通ずるものである、もはや不可能ということはない、という意味にとることができる。

 一に曰く、和(あまな)ふを以て貴(たふと)しと為(し)、忤(さか)ふこと無(な)きを宗(むね)と為(せ)よ。人皆党(たむろ)有り。亦(また)達(さと)る者少(すくな)し。是を以て、或いは君(きみ)父(かぞ)に順(したが)はず。乍(また)隣里(さととなり)に違(たが)ふ。然(しか)れども上(かみ)和(あまな)ひ下(しも)睦(むつ)べば、事を論(あげつら)ふに諧(ととのほ)りて、事理(ことわり)自(おのづ)からに通(かよ)ふ。何事(なにごと)か成(な)らざらむ。
 十三に曰く、諸(もろもろ)の官(つかさ)に任(よ)さす者、同じく職掌(つかさこと)を知れ。或いは病(やまひ)し或いは使(つかひ)として、事を闕(おこた)ること有り。然れども知ること得る日には、和(あまな)ふこと曽(いむかし)より識(し)れる如くにせよ。其れ与(あづか)り聞かずといふを以て、公(おほやけ)の務(まつりごと)をな防(さまた)げそ。
 十五に曰く、私(わたくし)を背きて公(おほやけ)に向(ゆ)くは、是(これ)臣(やつこらま)が道なり。凡(すべ)て人に私有るときは、必ず恨(うらみ)有り。憾(うらみ)有りて、必ず同(ととのほ)らず。同らざりて、私を以て公を妨(さまた)ぐ。憾起りて制(ことわり)に違(たが)ひ法(のり)を害(やぶ)る。故(かれ)、初(はじめ)の章(くだり)に云へらく、上(かみ)下(しも)和(あまな)ひ諧(ととのほ)れ、といへるは、其れ亦是の情(こころ)なる歟(か)。

 以上の考察で、聖徳太子の憲法十七条の「和」の訓みは、すべて「あまなふ」と訓むことが正しいとわかった。憲法は、官吏の心構えを説いた訓示である。訓示の道徳性は、官吏の立場にある人においてのみ適用される。それは、役人のことを今でもオカミ(「上」)といい、自分たち庶民のことをシモジモ(「下」)の者と卑称することへ根づいている。太子の言っていることは、オカミたる役人の、シモジモの者との間の関係構築において、「和(あまな)ふ」のがもっとも良い方策であると述べている。この「和(あまな)ふ」の精神をもって進めて行けば、多くの事柄はすでに解決しているも同然である、と言っている。シモジモの者は、「和(あまな)」われてこそ世の中で実力を発揮することができ、リア充な人生を送ることができる。昔ながらの日本の会社には、そういう家族主義的なところがあった。そのような精神史の領域において、聖徳太子の憲法十七条は本邦の人々にいきづいている。けっして大それた思想大系などではない。仏教的な慈悲心や儒教的な道徳心では語れない事柄を、太子は官吏に述べて徹底させようとしている(注16)。それが今日に至るまで、日本的な特徴として言われ続けている。土居健郎『甘えの構造 増補普及版』(弘文堂、2007年)に解かれている独特の人間関係の基盤は、聖徳太子によって官僚制の確立と表裏一体に奨励され、普及していったものなのかもしれない。
(つづく)
『コラム』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 十七条憲法の「和」について... | トップ | 十七条憲法の「和」について... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。