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玉手箱(サントリー美術館)

2017年06月19日 | 無題
 サントリー美術館「神の宝の玉手箱」展(~7/17(月・祝))に、手箱が並んでいました。移転10周年の「玉手箱(注1)」展です。
浮線綾螺鈿蒔絵手箱(鎌倉時代、13世紀、サントリー美術館蔵)
 修復後、初公開とのことです。おそらく赤い紐がついて結わえられていたのでしょう。どのようにして結っていたかを自分で覚えておいて、もし次に開く時に感じが違ったら、誰かが開けたのだと疑ったのだといいます。北条政子のことです。頼朝の携帯のメールを見て束縛していたのでしょうから、封結びが違うなどということでもあればキリキリと怒りまくって大騒動が起こっていたのではないでしょうか。
 その紐の付け方ですが、当時のものは残っていないのでわからないようです。ネクタイに、インチキちょい付けネクタイ、つまり、結ばないで付けられるものが出ていて、そんな感じの紐が付けられていたのではないかとも考えられています。今も神社などで頒布されるお守り袋に、うまい具合に作られているものがあります。私は以前、江戸時代の地図を入れた大きな箱に、極太の紐が付けられているのを見たことがあり、環に紐を輪にして通した後でそこから組み紐をしていって仕上げていたように見ました。今回出品されている手箱には、環の大きさに小さなタイプもあり、その場合、紐は細いものか幅広で薄いものになっていたのかもしれません。紐がかかっている状態が本来の「美」なのですから、想像力を逞しくしてご覧ください。ここまできらめくと、別の色の紐もありかな? と思われます。
類聚雑要抄指図巻(永久三年 東三条殿寝殿内部の室礼、「東京国立博物館研究情報アーカイブズ」様。サントリー美術館本は会場でご覧ください。詳しくは、川本重雄・小泉和子編『類聚雑要抄指図巻』中央公論美術出版、1998年を参照のこと(注2)。)
 どんな感じに手箱が使われていたのか、有職故実の研究に則って考えていくと……、というお話です。引越業者のまるごとらくらくパックへ頼むと、棚の置物の置かれている向きまで完璧に引っ越し先で再現されるそうです。おそらくそのようなことを狙って類聚雑要抄という手控えが平安時代に作られていて、そこに載る図はモノクロの平面図だからわかりにくいと、江戸時代に勉強した結果も踏まえて図解しようよということで、絵巻物みたいに斜め上から俯瞰したカラーの図が描かれました。NHKの日曜美術館で、押入れもタンスもない時代、身のまわりの品を全部手箱に収めたのですと言っていましたし、展示室の解説に「がらんどう」に几帳などを配して暮らしていたというふうに書いてありました。櫃や厨子はどこにあったのでしょうか(注3)。さすが玉手箱、自身よりも大きなものまで封じ込めて収めてしまっていたのでしょう。
 本展の目玉は、複製品が勢揃いしていることです。百円ショップのラメ入りプラ鏡など電車の中で使わないで、沃懸地の螺鈿の品(百万円?)とか使ってみませんか。きっと東急電鉄も誰もみっともないなんて言わないと思います。使い終わったら、赤い紐で封結びして終わりたいのですが、紐が付いていないので何とも締まりのないままということになります(注4)

(注1)どうして浦島太郎のお話がこれほど流布していて、すべての手箱がそのように捉えられてしまうのか不思議です。
(注2)言葉的には、「室礼」→「しつらふ」という流れは考えにくく、「しつらふ」の連用形名詞「しつらひ」に「室礼」という字を洒落で当てたものと思われます。看聞御記に「室礼」とあっても、それ以前、「䉼理」、つまり、「料理(cooking?)」でシツラヒなのだそうです。
(注3)別の部屋(棟)です。テレビを見ながらポテチを食べたのも、やはり別の部屋(棟)です。
(注4)身も蓋もない話になりましたが、身も蓋もあって無いのは紐だけです。
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