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「族(うがら)負けじ」について 其の一

2017年08月08日 | 論文
 族(うがら)という語は、親族の内でも限られた範囲を指すとされている。同じ「族」という字を用いても、ヤカラはかなり範囲の広い一族郎党のことを指す。では、ウガラという語はどのような結び付きを表しているのであろうか。
 家族や一族があるのは、もとより婚姻によって子供ができて家族の成員が増えていくことに依る。子どものいない独身の高齢者は、親族に含まれることはあっても自ら親族を構成していくことはほとんどない。つまり、族(うがら)がその時点でなければ、族(やから)は作れない。召使を雇えばそれは族(やから)になるかもしれないが、なかなかそのようにはならない。召使を雇えるほどの資産家であれば、誰かと結婚していていたり養子をとったりするのがふつうであった。また、独身のままでいて新たに召使を雇うことは、剣豪や先生にして、慕われる性格を持っているならともかく、治安の悪い時代にはとても危険なことであった。
 大系本日本書紀の補注には、ウガラマケジという付訓について疑問が呈されている。本文を提示したのち引用する。

 一書に曰く、伊奘諾尊(いざなきのみこと)、追ひて伊奘冉尊(いざなみのみこと)の所在(ま)す処に至りまして、便ち語りて曰(のたま)はく、「汝(いまし)を悲しとおもふが故に来つ」とのたまふ。答へて曰(のたま)はく、「族(うがら)、吾をな看ましそ」とのたまふ。伊奘諾尊 、従ひたまはずして猶(なほ)看(みそなは)す。故(かれ)、伊奘冉尊、恥ぢ恨みて曰はく、「汝已に我が情(あるかたち)を見つ。我、復汝が情を見む」とのたまふ。時に、伊奘諾尊亦慙ぢたまふ。因りて、出で返りなむとす。時に、直に黙(もだ)して帰りたまはずして、盟(ちか)ひ曰く、「族(うがら)離れなむ」とのたまふ。又曰はく、「族(うがら)負けじ」とのたまふ。乃ち唾(つは)く神を号(なづ)けて速玉之男(はやたまのを)と曰(まを)す。次に掃ふ神を泉津事解之男(よもつことさかのを)と号く。凡そ二(ふたはしら)の神ます。其の妹(いろも)と泉平坂(よもつひらさか)に相闘ふに及(いた)りて、伊奘諾尊の曰はく、「始め族(うがら)の為に悲(かなし)び、思哀(しの)びけることは、是吾が怯(つたな)きなりけり」とのたまふ。時に泉守道者(よもつちもりびと)白(まを)して云う(まを)さく、「言(のたまふこと)有り。曰はく、『吾、汝と已に国を生みてき。奈何(いかに)ぞ更に生かむことを求めむ。吾は此の国に留りて、共に去(い)ぬべからず』とのたまふ」とまをす。是の時に、菊理媛神(くくりひめのかみ)、亦白す事有り。伊奘冉尊聞しめして善(ほ)めたまふ。乃ち散去(あら)けぬ。……不負於族、此には宇我邏磨穊茸(うがらまけじ)と云ふ。(神代紀第五段一書第十)

 不負於族……下に宇我邏磨穊茸(ウガラマケジ)とあるので、それに倣ってウガラマケジと付訓する。その意は、「族に負けまい」で、女神が一日に千人絞殺すると言ったに対して、男神が一日に千五百人生ましめようと言った事を指す。日本語では、主格や目的格の助詞は、本来欠けている場合が少なくないのだが、「族に負けまい」というような場合に、補格の助詞「に」を欠く例はほとんど無い。従って、ここでウガラニマケジのニが無いのは極めて問題である。おそらくニを脱したのか、あるいは、族と不負とに、別々にウガラ、マケジと付訓してあったものを機械的に続けたものであろう。なお、これの上文の族離れなむは、後世行なわれた放氏と同じように氏から追放するの意であったか。(ワイド版岩波文庫①、345頁)
 
 上のような語の捉え方をすれば、補格の脱落は奇妙である。ここで、ウガラと呼んでいるのは、伊奘諾尊、伊奘冉尊、双方が双方をそう呼んでいるものと想定している。一方、「不於族」を「族(うがら)に負けじ」であるとしても、いささか不明瞭なことが起こる。そう訓んだ場合の解釈に、女神族に負けまい、とされている。男神族と女神族とが対立するとする考えは、それはそれで成り立つが、「男族」、「女族」という言い方は使われない。「不於族」と記されてあれば、「族」に「於いて」「負けない」こと、「族」という次元では負けないという意味にもとれる。「不負於族」とないのが不審である。最初の伊奘冉尊の言葉、「族也、勿看吾矣。」の「族」は、伊奘諾尊ひとりを指して、あなたは私を見るな、という呼びかけにすぎない。他の眷属は含まれない。「汝也、勿看吾矣」とせずに、ことさらに「族」という語を持ち出している。持って回った言い方である。私とあなたの仲じゃないか、と馴染んでしまった女に責められている。「汝は吾と族なり(汝与吾族也)。」を記述上で略して、「族也、……」として、「也」を断定の助動詞から間投の助詞へと転化させているように思われる。問題は、「族」という概念にありそうである。
 金紋敬「『日本書紀』古訓「ウカラ」「ヤカラ」考」蜂矢真郷編『論集古代語の研究』(清文堂出版、2017年)に、日本書紀の古伝本に付された古訓を網羅的にあげていって、その用いられ方から古語の義を確かめようとする研究がみられる。結論的には、「「ウカラ」は主に子や兄弟・親・妻など比較的身近な関係に使用されているのに対して、「ヤカラ」は同一先祖から結ばれた縦の関係(ここでいう「一族」)の場合に用いられることが明らかとなった。」(203頁)とある。
 「族(うがら)」なる語についての記述は、課題としている神代紀第五段一書第十に集中している。その箇所は、おそらく、語の定義をその使用によって明らかにしようとする試みであろう。当時の語の意識を反映するべく記述されているということである。他の例は以下の通りである。

 悉(ふつく)に親族(うがらやから)を集(つど)へて宴(にひむろうたげ)せむとす。(景行紀二十七年十二月)
 親族(うがらやから)篤(むつ)ぶるときは、民(おほみたから)、仁(うつくしびのこころ)に興らむ。(顕宗前紀)
 是を以て、今より以後(のち)、各(おのおの)親族(うがらやから)及び篤信(あつきまこと)ある者に就きて、一(ひとつ)二(ふたつ)の舎屋(やかず)を間処(むなしきところ)に立てて、老いたる者は身を養ひ、病(やまひ)ある者は薬を服(くら)へ。(天武紀八年十月是月)
 武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)笠原直(かさはらのあたひ)使主(おみ)と同族(うがら)小杵(をき)と、国造を相争ひて、〈使主・小杵、皆名なり。〉年経るに決(さだ)め難し。(安閑紀元年閏十二月是月)
 凡そ諸の考選(しなさだめかうぶりたま)はむ者は、能く其の族姓(うがらかばね)及び景迹(こころばせ)を検(かむが)へて、方(まさ)に後に考(しなさだ)めむ。(天武紀十一年八月)
 遂に其の妃(みめ)、幷(ならび)に子弟等(みうがらたち)を率(ゐ)て、間(いとま)を得て逃げ出でて、膽駒山(いこまやま)に隠れたまふ。(皇極紀二年十一月)
 ……終に子弟(うがら)・妃妾(みめ)と一時(もろとも)に自ら経(わな)きて倶に死(みう)せましぬ。(皇極紀二年十一月)
 ……、布を白き犬に縶(か)け、鈴を著けて、己が族(うがら)、名は腰佩(こしはき)と謂ふ人に、犬の縄を取らしめて献上(たてまつ)りき。(雄略記)
 大伴坂上郎女の親族(うがら)と宴(うたげ)する日に吟(うた)へる歌一首(万401題詞)
 栲綱(たくつの)の 新羅の国ゆ 人言(ひとごと)を よしと聞かして 問ひ放(さ)くる 親族兄弟(うがらはらから) 無き国に 渡り来まして ……(万460)
…… 如己男(もころを)に 負けてはあらじと 懸け佩きの 小剣(をだち)取り佩き 冬◆(蔚の寸部分が刄)蕷葛(ところづら) 尋(と)め行きければ 親族(うがら)どち い行き集ひ 永き代に 標(しるし)にせむと 遠き代に 語り継がむと 処女墓(をとめづか) 中に造り置き ……(万1809)

 「負けじ」にあるマクについては、大野晋編『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、2011年)に、

 まく【負く】自動カ下二/他動カ下二
 解説 マクは上代・中古で「負」「敗」「纏」「蜷」の訓として使われる。マク(負く)とマク(巻く)とは共に『名義抄』によるアクセントが「上平」で語源が同じ。マク(負く)はマク(巻く、カ四)の受身形で、相手の力に巻き込まれること、圧倒され動きがとれなくなることが原義。(1103~1104頁。この項、須山名保子先生)

とある。
 「負く」と「巻く」の“語源”が同じであるかについては、筆者は明言を避けたい。ただし、「長い物には巻かれろ」という受身形の慣用句があるから、関連する語であろうと察しはつく。また、マク(枕く)はマク(巻く)と同根の語である。共寝の相手の腕を枕にするとは、数分前、その腕で自分の身体は巻かれる行為に及んでいた。腕は、回しつけられ、まといつけられ、絡まされていた。それと、座(鞍)の意のクラが結びついて、マクラ(枕)という語は成っていると考えられる(注1)
 ウガラマケジと言い放たれた句の、マケジに「負けじ」だけでなく、「巻けじ」、「枕けじ」、「任(罷)(ま)けじ」というニュアンスが含まれていたとして、さほど問題はない(注2)。それどころか、かえってそのようなさまざまな言葉の意味のまとわりつきこそ、ヤマトコトバの精神に合致する。無文字言語であった。そして、今問題にしている当該語は、マクというまとわりつきを表す語である。ある言葉がその言葉自身を自己循環的に説明することは、音声しか持たない言葉にとって、当該語について相手を得心に至らしめる唯一無比の手段であり、ヤマトコトバの正当性の根拠である。
 マクという語については、さまざまな漢字を当ててそれぞれの意味を理解する手掛かりとなっている。辞書により挙げる字は異動するが、次のようなものが見られる。「負」、「敗」、「巻」、「纏」、「蒔」、「撒」、「播」、「枕」、「娶」、「任」、「罷」、「設」である。伊奘冉尊のウガラ(族)を「汝」の意へと拡大解釈させた言い方は、言葉を無理やり撚りつけた言い方である。その撚りをほどいた元の言い方が、「雖汝与吾族也、勿看吾矣」であったとすれば、伊奘諾尊の「不於族」という漢文調表記も、「不於族」の省略形であると考えられる。「族(うがら)」という概念に於いてあなたには負けまい、ということを、ウガラマケジと省いて簡潔に言っている。話は男神族と女神族の対立ではなく、離縁のことである。現在の民法でも、離婚した後で子どもの親権や養育権をめぐって争い、子には相続権が残る。それに通じる問題を、ウガラの一語に封じ込めてしまっている。その切れるようで切れないつながりを、ウガラという語で表しているらしい。すると、ウガラマケジが、「族」+「枕けじ」の意であるとする解釈は、両語が自己撞着的に収斂する意味を表すことになって面白い。ウガラというのだから夫婦であればマク(枕)ことは当たり前であるのに、それはもはやできない相談だと言っている。離婚宣言の第一発語、「族、離れなむ。」という意思表明のみならず、実地にセックスを拒んでいる。族(うがら)だということが自動的に枕(娶)くことにはつながらないと言っている。
 伊奘諾尊の離婚宣告は一方的である。その一方的な吐き捨てるような言辞から、2つの神が成っている。その後、泉平坂(よもつひらさか)という境目に、伊奘諾尊と伊奘冉尊とは対峙する。家庭裁判所の光景である。泉守道者(よもつちもりびと)は伊奘冉尊側の代理人である。依頼人の伊奘冉尊はこう言っている。「吾与汝已生国矣。」と主張している。単にセックスを拒まれているにすぎないと勘違いしている伊奘冉尊の観点は、泉守道者(よもつちもりびと)によって表されている。国はすでに生んだからもう共寝の必要はない、別居状態でかまわないという言である。セックスレス容認とは、周回遅れの議論である。
 そしてまた、ウガラマケジに、「任(罷)(ま)く」の義として直接的に解釈され得る。大野晋編『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、2011年)に、他動詞カ行下二段動詞の意として、「①任命して赴任させる。主として「任く」と書く。……②命令で宮廷から退出させる。主として「罷く」と書く。」(1103頁)とある。それぞれの例をあげる。

 ①即ち当国(そのくに)の幹了(をさをさ)しき者(ひと)を取りて、其の国(くに)郡(こほり)の首長(ひとごのかみ)に任(ま)けよ。(成務紀四年二月)
 ②時に皇孫(すめみま)、姉は醜しと謂(おもほ)して、御(め)さずして罷(ま)けたまふ。(神代紀第九段一書第二)

 ①と②とは、上位者が下位者に対して命令して行かせることながら、内容的にアンビバレントな関係にある。任命することも罷免することも同じマクである。最終的なマクの主体は首相の指示らしい。あるいは総理官邸の最高レベルのご意向なのかもしれない。ウガラマケジはウガラなるがゆえに「任(罷)く」ことはできないだろう、という意味になる。伊奘諾尊と伊奘冉尊は婚姻関係による2神である。婚姻届も離婚届も、提出するには両者の署名と押印が必要となる。一方的に決めることはできない。伊奘冉尊よ、黄泉国へ赴任してくださいとも、私のところから退出してくださいとも言えない。相互自己呪縛の関係が、婚姻関係、チギリ(契)であることをものの見事に写し取った言い方である。
 つづいて、「是時」とあって「菊理媛神」が登場している。一方が代理人を立てて弁論しているのだから、今度は伊奘諾尊側の代理人なのであろう。そのことは特に示されておらず、さらに菊理媛神の言った言葉も示されない。大きな謎掛けが仕掛けられている。そこでは、菊理媛神の言に成らぬ言辞によって、伊奘諾尊は伊奘冉尊が発した範疇不明瞭な言葉、ウガラに対して抗している。ウガラという語はそのように使う語ではないと否定してかかっている。そのような曖昧な拡大解釈は許されない、そんな勝手な言葉遣いには負けないぞ、という決意表明である。その際、語の定義を糺す方向へまっすぐ進むのではなく、売り言葉に買い言葉的に、伊奘冉尊がそう言うのであれば、その議論の設定に乗っかって言い返そうとしている。異なるレベルの言語活動が、ウガラマケジという発語に凝縮されている。語用論で議論されるさまざまな意味を逆にからめてしまい、一つの文脈、伊奘諾尊の伊奘冉尊に対する離婚宣告の第二発語場面において、言葉の爆弾となって効果的に炸裂している。現代の人が一語句一義との固定観念から考えて、助詞ニの脱落を誤りではないかと指摘していると、上代の人から、言語能力にずいぶん劣ると侮られるかもしれない。
 ウガラマケジという発語は、ウガラ負けじでありつつ、ウガラ巻けじであり、ウガラ任(罷)けじであると感じられる。そんなウガラが形となって現れているものとして、鵜飼の際に鵜にまとわりつけられる手縄があげられる。可児弘明『鵜飼―よみがえる民俗と伝承―』(中央公論社(中公新書)、昭和41年)に次のようにある。

 手縄はヒノキの木質部を細くさいて右撚りになったものであり、長さは平均三・三メートル、径三~五ミリである。ヒノキを材料にすると三つの利点がある。第一に水に浸すとさばさばして捌きやすいため、ウが篝火の下で縦横に動いてももつれにくい。第二に引く力に強く耐えることであり、手縄をたぐってウを手もとに引きよせるのにつごうがよい。第三に川に障害物が多く、これに手縄がまきつくとウが水上に浮かびあがれず、 [ママ]溺死する危険がある。この時は間髪をいれず、気合いとともに手縄をねじきる必要がある。ヒノキの繊維は、撚りをもどすとたやすく切れる。こうした利点をかわれて、ナイロン時代にも化繊をうけつけない。(101~102頁。旧字体は改めた。)

 鵜を手元へ引き寄せるためにつけられる手縄が、上古からヒノキの繊維(注3)を撚ってできたものであったとすれば、鵜と鵜飼人との間の関係がうまくいかず、こじれていることと対比対照させられる。そのとき、鵜飼では、手縄は両者の結びつきを離すように逆に捻り返して切ってしまう。そうしないと、その1羽が溺れて死んでしまうだけでなく、絡んだ縄の先の鵜までも連鎖的、多重的に溺れ死んでしまう。1羽にこだわるとすべて失いかねない。そうなると、鵜匠(鵜使い)自身が生産手段をなくして路頭に迷うこととなる。負のスパイラルが生じる。だからすばやく捻って、縄を切る。もはや鵜縄は巻けないから、ウガラ(鵜柄)+マケジ(不巻)である。
 そして、伊奘冉尊が伊奘諾尊に対してなれなれしく、ウガラ(族)などと呼びかけたことに対して、ウガラ(族)というものは、本来、集合体のことを呼ぶ語であると捉え返している。上の仮説設定では、ウ(鵜)一族、鵜の仲間たちのことである。鵜飼いに飼われている鵜たちは、人間界の I や You、一人称(「吾」)でも二人称(「汝」)でもなく、神さまの男女、伊奘諾尊はと伊奘冉尊でもなく、三人称、他人称に当たると考えられる。ウガラマケジとは、鵜一族は負けないだろうとの謂いである。
鵜は、小さいうちに人に捕らえられ魚を捕るよう調教させられる。アユやイナ(ボラの幼魚)などを捕まえ、代わりに小魚をもらって食べ暮らしている。首結いをつけられているから大きな魚を飲み込むことができない。それはただ単に、人が鵜の丸飲みの性質を利用した魚法にすぎない(注4)。鵜自身は、解き放たれて首結いがはずれれば自活していける(注5)
 鵜は、ウと呼ばれている。人間の言語は、自然科学にDNA鑑定されて付けられるのではなく、恣意的である。あるとき、人との関係で交わりを持った動物は、それによって命名を受ける。鵜がウと名づけられたのも、鵜飼という興味深い人間の使用に耐えたことに由来するのであろう(注6)。ウカヒ(鵜飼)がウガヒ(嗽)と同根であることはよく知られる。同じようにガラガラとして、ペッと吐き出す所作をする。その吐き出す様が、ウッという吐き出し方、頷く姿勢をとるところにから、ウと名づけられている。もちろん、語源の証明ではなく、語感としてそうであったろうとする仮説である。検証はできない。ご自身でウガイ(嗽)をして口の内容物を吐き出してみればわかることである。
鵜飼船(小松茂美編『日本の絵巻20 一遍上人絵伝』中央公論社、1988年、199頁)
 その際、必ず頭を前へ下げる。お辞儀をしてウッと吐き出す。上を向いたまま吐き出したら、むせたり誤嚥性肺炎になる。このお辞儀の姿勢は、ウ(肯)である。「肯・宜(うべ)」、「宜(うべ)し」、「諾(うべ)なふ」、「諾(うべ)なむ」、「諾(うべ)な諾な」という言葉となっている(注7)

 東(ひむかし)の 市の植木の 木(こ)足るまで 逢はず久しみ 宜(うべ)恋ひにけり(万310)
 春ならば 宜(うべ)も咲きたる 梅の花 君を思ふと 夜(よ)眠(い)も寝(ね)なくに(万831)
 …… 人そ多(さは)にある 浦を良み 諾(うべ)も釣(つり)はす 浜を良み 諾も塩焼く あり通(かよ)ふ ……(万938)
 今造る 久邇(くに)の都は 山川の 清(さや)けき見れば 諾(うべ)知らすらし(万1037)
 闇夜(やみ)ならば 諾(うべ)も来まさじ 梅の花 咲ける月夜(つくよ)に 出でまさじとや(万1452)
 …… 山川を 清み清(さや)けみ 諾(うべ)し神代(かみよ)ゆ 定めけらしも(907)
 高光る 日の御子 諾(うべ)しこそ 問ひ給へ 真(ま)こそに 問ひ給へ ……(仁徳記、記72歌謡)
 …… 大刀(たち)ならば 呉の真刀(まさひ) 宜(うべ)しかも 蘇我の子らを 大君の 使はすらしき(推古紀二十年正月、紀103)
 天照大神の曰はく、「諾(うべ)なり。〈諾、此には宇毎那利(うべなり)と云ふ。〉」とのたまふ。(神武前紀戊午年六月)
 直(ただ)に逢はず 有るは諾(うべ)なり 夢(いめ)にだに 何しか人の 言(こと)の繁(しげ)けむ(万2848) 
 …… 人の子ゆゑそ 通はすも吾子(あご) 諾(うべ)な諾な 母は知らじ 諾な諾な 父は知らじ ……(万3295)
 …… 諾(うべ)な諾な 君待ち難(がた)に 我が着(け)せる 襲衣(おそひ)の裾に 月立たなむよ(景行記、記28歌謡)
 やすみしし 我が大君は 宜(うべ)な宜な 我を問はすな ……(仁徳紀五十年三月、紀63歌謡)
 〈其の服(うべな)はざるは、唯星の神、香香背男(かかせを)のみ。〉(神代紀第九段本文)

 すなわち、互いにウと言い合う間柄こそ、ウガラと呼んで言葉的に間違いない。互いにウンウン頷き合っている間柄の若いカップルを、デートスポットのベンチに見ることができる。ウンウン吐いている鵜と、ウンウンよしよしと撫でるようにしている鵜飼いの関係である。給料を運ぶだけの伊奘諾尊に対して、ちょっとだけ料理を食べさせて喜ばせる伊奘冉尊という関係へと飛躍している。
 そんなこんなで伊奘諾尊は離婚したがっている。そもそも結婚とは契約である。売買契約や賃貸契約など、契約にはいろいろあるが、結婚という契約は、比喩として、鵜と鵜飼人との関係と見、自分たちに当てはめてそれで良しとする契約と思っても大きな誤りはないであろう。契約とは古語に、チキリ(チギリ)(契)である。チキリ(榺)とは、機織りの道具で、別名、緒巻(をまき)、経巻具のことである。和名抄に、「榺 四声字苑に云はく、榺〈音勝負の勝、漢語抄に知岐利(ちきり)と云ふ〉は織機の経(たていと)を巻く木也といふ。」、新撰字鏡には、「機𦝘 知支利(ちきり)」とある。その形は、両端を太く、中央を細くしてある。武器とする棒にも、同様の形状の乳切木(ちぎりぎ)があり、天秤棒の棹秤(さおばかり)の一種も扛秤(杠秤)(ちぎり)という。男と女が両端にあって、中央は細いがしっかりとくっついている。そこへ経糸を巻きつけて引っ張りわたして機織りをする。機織りで梭(杼(ひ)、シャトル)を左右へ繰るのは、実は単純作業である。日々の暮らしのなかにある。肝心なのは、機拵えである。織り始める前段階で、経糸が布巻具から筬を通って機にかかり、榺で機種(はたくさ)を嵌ませて巻きあげテンションを整えてある。その最初の決め方が重要である。この第一段階をなおざりにしていい加減にしてしまうと、しっかりした織物は織り上がらない。織りの運命は、人生でどんな人と契るのかで決まるのと同じである。万事チキリ(チギリ)にかかっている。
ヒンギ・コンブ(肩布)(首架動物文様経絣、インドネシア・スンパ、19世紀)
榺(日本民家園実演品)
(つづく)
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