古事記・日本書紀・万葉集を読む

コピペで学位は自己責任で。広告収入を得ていません。「上代語ニュース」もどうぞ。

海幸・山幸のさち易 其の二

2017年11月08日 | 論文
(承前)
 表面的に考えれば、昔ながらの言い方によって、猟具の「さ(箭)」と漁具の「ち(鉤)」との交換ということにもなる。サチカへは、サ(箭)+チ(鉤)+カヘ(易)である。これが無文字文化の言語感覚の鋭いところであり、言葉自体を以てする頓智である。徴(責)(はた)るほどに返せ返せといったのは、返しがついていなかったから「正本(故)(もと)の鉤(ち)」を求めたということである。一般に、餌のついた釣針をいったん魚が飲み込んだら引っ掛かって抜けないよう、針先の根もとの部分に逆向きにつけたとがったかぎがある。これは鐖(あぐ)と呼ばれ、別名に返し(返り)という(注10)。また、針素(はりす、リーダー)を結びつけてとれないようにするために、針の軸の頭の部分にも引っ掛かりとなる折れ曲がり部分がある。この部分は鉤元(ちもと)といい、また、返しともいう。人と魚の綱引きだから、釣針を中心にしてみれば、いずれにも返しと称されるものがある。
鉤(釣針)部分名称
 剣から作った鉤では駄目で、「正本(もと)の鉤(ち)」でなくてはいけないと言い張っている。500個あっても、1000個あっても、細部に想定と違うところがあるということであろう。“返し”のない釣針であると想像できる。“返し”が付いていなければ、返してくれていることにはならない。この“返し”は、上に見た鐖のことか、鉤元のことか、熟慮が必要である。「もとの鉤」ではなく、「すゑの鉤」ないし、「うらの鉤」であると定められよう。そして、ツルギ(剣)からはツルチ(「釣」+「鉤」)はできないと洒落ている。刀剣を水中でいくら振り回しても、傷つく魚はいない。つるんとしているのでは役に立たないと言っている。
 村上恭通「釣針」村上恭通編『モノと技術の古代史 金属編』(吉川弘文館、2017年)に、「釣針が鉄製品として登場するのは弥生時代後期後半である。釣針は、細く短い角棒を研いで丸棒にし、その一端をわずかに鍛え、研いでアグを付け、腰部を曲げて完成する。こうみると鉄製釣針は弥生時代の鉄製品のなかでも最も繊細な技術を要する器種の一つであることがわかる。鉄製釣針は九州で多く出土し、太平洋側の高知にかけて一定の分布域を形成する以外は、各地で単発的な出土状況しか見せない。」(52頁)とある。これが考古学に一般論として語られる金属製釣針の特徴である(注11)
 古代の釣針は、基本的に骨角製のものから、その形を真似た鉄製のものへと共存しつつ進化していっている。銅製のものも見られるが、鋳造品か鍛造品か、筆者は勉強不足でわからない。鉄製のものは、鍛造品である。そして、古代の鉄製釣針では、釣糸との接点部分の頭の返し(鉤元)がついていないものが多数確認されている。内田律雄『古代日本海の漁撈民 ものが語る歴史17』(同成社、2009年)に、同様の形状の針は、民俗資料のブリバリにあると指摘されている。大型のブリなどを獲るとき、頭部の返しがあると力が一点に集中して針素が切れる恐れがある。そこで、素人にはとても難しそうに見える結び方で、針の軸部へ針素をつなぎ、結び目も見えずに別の糸を使ってきつく結びつけているとされる。また、餌を縛りつける糸もあったとされている。「[釣針の]軸部へのハリスの結合方法には……工夫がなされていたと考えられる。ハリスをそのまま軸部へ縛りつけるのではなく、軸部にかかる長さのハリスの糸をほぐす。そうしてちょうど茶筅のようになったハリスを軸部を包むようにかぶせ、その上から別の糸できつく縛りつけるのである。今日でも大物をねらう場合には「根つけ」と呼ばれるこの方法が用いられている。縛りつける糸は「寝[ママ]巻き糸」という。」(14頁)とある。鏃と箆との接合に、ジョイントとなる骨角器のほか、糸で巻きつける方法が行われている。根巻糸と呼ばれるものなのかもしれず、その方法が釣針に応用されたのかもしれない。
ブリバリ例(民俗資料)(同書、15頁)
釣針(左:金蔵山古墳出土、古墳時代、4世紀後半~5世紀初め、中:上から、スズキ用、マダイ用、チヌ用、メバル用、右:タチウオ用(餌を巻きつける)(現代の瀬戸内海で使用)、「倉敷考古館(http://www.kurashikikoukokan.com/yomoyama/2014/166.html)」様)
もとから作りあげる鉤(鹿角製釣針・未完成品、福島県いわき市大畑貝塚出土、縄文時代後期、前2000~前1000年、いわき市教育委員会蔵、東博展示品)
もとから作りあげる鏃(銅鏃未完成品、滋賀県出土、弥生時代後期、1~3世紀、東博展示品)
 陸上で、獲物を捕らえるために使う飛び道具は弓矢である。弓が弓の機能を示すためには、弦(つる)が張っていなければならない。下を本弭(もとはず)、上を末弭(うらはず)という。弭は筈であり、あるのが当たり前だから“有る筈”で、ないとなると当てが外れる。弦は、蔓、釣る、吊るなどと同系の言葉である。釣りは、蔓を垂らして水中の獲物を吊った状態にして捕らえる。線分を言っていて、こちらとあちら、本末、上下の両方に端がある。連(列)(つれ)も、男女や前後、左右の組である。面(つら)は横顔のことで、左右二つ対称にある。つるむというと、雌雄の交わりである。釣りの場合、蔓の一方に手、他方に鉤がついている。別物が一体化すること、それをつないで助けるのがツルである。「己がAB(A=B)」を成り立たせるべく、ツルが働いている。
 十拳剣からリサイクルされた鉤を受け取らなかった理由について、「正本(もと)の鉤(ち)」との関係を探っている。言葉本来の義からすれば、上述のとおり、チ(鉤)という語に接頭語サを冠してサチという語ができている。素敵な鉤(ち)、そのサチを失くした。失くしたものは仕方がないから、代わりのもので償おうとしている。500個、1000個用意しても、火照命のほうは、本のものがいい、本のものでないと駄目だといって聞き入れない。なにしろ、「正本の鉤」である。モトノチという言い方は、モト(本)+ノチ(後)と聞こえる。ノは乙類である。モト、ノチとも、場所、時間のいずれにも用いる。ノチ(後)を線条的につづくものの末(すえ)の方のこととして空間的な意味で使うのは、上代においてもわずかばかり化石的に残っているとされている。

 鴨川の 後瀬(のちせ)静けく 後も逢はむ 妹には我は 今ならずとも(万2431)
 髦 音毛、後毛、エラフ、太髪髦、タチガミ、ノチ、メサシ(名義抄)

 髦とは、おくれ髪、おくれ毛のことである。上代には髪は結って束ねることが常であった。結い上げるに上がらないのが、生え際のおくれ髪である。遅れて生えているから、もう少しのところまで伸びてはいるものの、結うところまでは達していない。
 つまり、モトノチ(正本鉤、故鉤)とわめきたてているのは、もともとのもとにノチ(おくれ毛)の付いた鉤、すなわち、針素(はりす)の付いている鉤を返してくれと言っているとわかる(注12)。関東に主に針素と呼び、関西に鉤素(ちもと)と呼ばれている。鉤元につけるからチモトと言っている。いま、モトノチの話をしている。付いていない“返し”とは、鉤元のことと推測される。そして今日、釣り道具屋さんでは、釣針は針素が付いた形で売られている。丈夫だが細くて魚に気づかれにくいものが求められる。それを重りや浮子などとつなげて仕掛けとする。その先の釣竿に至る部分は道糸である。兄の火照命が返してくれと言って聞かなかったのは、代償として十拳剣を鋳潰して作った釣針は裸の釣針で、ノチと呼ぶにふさわしい短い針素が付いていなかったか、付けにくかったからであろう。
 釣糸に何が用いられていたのか、証拠となる遺物はほとんど見つからない。有機物は分解してしまう。民俗から推測されるのは、麻糸などに柿渋を塗って強化したものである。繊細な釣りにおいては、魚との知恵比べ的な要素がある。魚の目に見つからないように、餌をつけた針の近くの針素は、特別に見えにくいものにあつらえて、他はとにかく切れずに引きあげるための丈夫な糸にしようと努めたと考えられる。ただ、古く、針素と道糸の別はなく、1本であったとする説もある。そうであった可能性として、無知であったからではなく、釣果として考えたとき、獲物に見つけられて食いつかれないよりも、食いつかれた後、引きちぎられないことが望まれたからであろう。大形の魚を釣りあげようとすれば、合理的な判断であったに違いない。むしろ、釣針に鉄製のものがお目見えし丈夫になってから、針素と道糸の区別をあえて行わない使い方が見出されたのかもしれない。
 近世中期には、中国から釣糸にテグス糸(天蚕糸)がもたらされたが、それ以前、針素には、馬の尻毛、人の頭髪も用いられたと推測されている。おくれ毛が使われたのかもしれない。釣り人から見て道糸よりも先の、末端にある針素は、化石的古語のノチに相当する。火照命は、針素がとても付けられそうにない“返し”のない鉤元のブリバリ様釣針では困ると言っている。500個あっても、1000個あっても代償にならないとむくれている。針素が付けられないから、1つも役に立たないと思った。ノチ(髦)というおくれ毛が付けられないと思って、受け取らなかった。毛(け、ケは乙類)+鉤(ち)=ケチの話である。
 ケチ(吝)という言葉の語源は不明である。一説に「怪事」の転とするが、ジとヂの混同を不明にしたものでいただけない。意味としては、①縁起の悪いこと、不吉な前兆、②不備、手抜かり、欠点、瑕疵、③金回りが悪い、損得にみみっちい、金銭や物品を出し惜しみする、④物事が貧弱な、粗末な、取るに足らない、⑤ばからしいこと、つまらないこと、⑥料簡が狭い、狭量である、といった場合の言い回しに使われる。日葡辞書に、「Qechi. ケチ(けち) 物事の不吉な前兆.¶Qechigaaru,l,deqita.(けちがある,また,出来た)何事か不吉な前兆がある,または,そのような事が起こっている.」(土井忠生・森田武・長南実編・訳『邦訳日葡辞書』(岩波書店、1995年、480頁)とある。およそ文献例に上代、中古に見られる言葉ではない。けれども、口語的にそれを思わせるニュアンスがある。四段動詞「消(け、ケは乙類)つ」である(注13)

 …… 燃ゆる火を 雪もち滅(け)ち 降る雪も 火もち消(け)ちつつ ……(万319)
 松蔭の 浅茅が上の 白雪を 消たずて置かむ ことばかもなき(万1654)
 𤏖熸燼 上二同、字廉反、下、似進・如去二反、謂火滅為𤏖燼火餘木治火、介知宇佐无(けちうさむ)、𤒯◆(⾀の下に灬の下に火) 上屢作-(新撰字鏡)
 𤏖熸燼藎𤒯◆ 六形同、子廉反、燼者似進・如云二反、去、謂火滅為𤏖燼火餘木也、火介知乎佐无(けちをさむ)、又保太久比(ほたくひ)
 鑪の中にして銷(ケ)チ錬(ネヤ)シて清浄の金を得つ、(西大寺本金光明最勝王経古点)
 人の火に頭を焼(か)レ、衣を焼(か)ルゝことを被レルトキに救(スクテ反)(ひ)て速(スミヤ)カに滅(ケ)タ令(シ)ム。(同)
 富士の嶺(ね)の ならぬ思ひに 燃えば燃え 神だに消たぬ 空(むな)し煙(けぶり)を(古今集・雑体・1028)
 伊勢の海の ふかき心を たどらずて ふりにし跡と 波や消つべき(源氏物語・絵合)
 「……こよなく思ひ消ちたりし人も、嘆き負ふやうにて亡くなりにき」と、そのほどはのたまひ消ちて、……(源氏物語・藤裏葉)
 大后(おほきさき)、御なやみ重くおはしますうちにも、ついにこの人をえ消たずなりなむことと心病み思しけれど、……(源氏物語・澪標)
 ……この母君のかくてさぶらひたまふを、瑕(きず)に言ひなしなどすれど、それに消たるべくもあらず。(源氏物語・藤裏葉)
 この女房ども、「あはやあやしき者かな」と、きも魂を消ちて思ひける程に、……(平家物語・巻第十一・副被将斬)
 除 ノゾク、ツク、ケツ、サル、ヒラク、ハシ、ヲサム、オク、ハラフ、シリソク、音儲、和地ヨ(名義抄)

 ケツ(消・銷・滅・除)は、火・雪・霜・罪など、さまざまなものの発する、盛んな勢いを消し去ってしまうことが原義のようである。そこから、火の燃焼をとめたり、明かりを消したり、雪や霜などを氷解させたりすること、すなわち、力を加えて物事を消滅させて存在そのものをなくすこと、覆ったり削ったりして物の形跡すら消失させること、事柄を完全に除き去ってないものにして否定してしまうこと、人や物事を軽視し、おしのけ、圧倒して、無価値なものにおとしめたり、ないがしろにしたり、無視したりすること、そして、心を平静でなくならせ、はげしい驚きや悲しみに陥らせることにいう。そのものが本来持っている価値を不当になくさせ、生彩を失わせ、けなして悪口を言うことに当たる。勢いを削ぐのである。ケチを付けるという言い方は、まさにその用法であろう。筆者は、ケチという言い方は、動詞「消す」の古い形、「消つ」の連用形名詞ケチが、大風呂敷に繰り広げられたものではないかと考えている。「消つ」の形は忘れられ、「消す」に乗っ取られて、ケチにのみ命脈を保ったということである。けなされ、くさされ、おとしめられて、勢いがまったく失われるに至れば、興醒めしてやる気がなくなり、つまらなくてばからしくなってしまう。みんなで盛り上がろうとしていた矢先に、お金をちょびっと出し惜しみされた日には、ハッピーな気分は台無しになる。ケチによって、サチ(幸)が得られなくなる。景気とは気分の問題である。不完全燃焼のケチが不況への悪循環に導く。とても縁起の悪いことへとつながる。
 そのケチなものの代表格が、勢い盛んに燃えていた木に水をかけて消ちてしまって出来た消し炭である。新撰字鏡に、「保太久比(ほたくひ)」とあるのは、榾杭のことである。燃え尽きないで残った木をいう。「母、吾田鹿葦津姫、火燼(ほたくひ)の中より出で来りて、……」(神代紀第九段一書第五)とある。焼きさしの榾杭とは、炭窯で作った炭ではなく、ケチな品の消し炭である。軽いために浮炭(うきずみ)、また、消熾(けしおき)とも言う。ヤマトコトバには、和炭(にこずみ)と呼ばれた。和名抄・鍛冶具に、「和炭 楊氏漢語抄に云はく、和炭〈迩古須美(にこすみ)、今案ずるに一に賀知須美(かちすみ)と云ふ〉といふ。」とある(注14)。和炭の木炭は、野焼きして途中で水をかけて消す。どこまで炭になっているかムラがあり、榾杭の状態もあった。火付きが良いので着火する際に好まれるが、火持ちは悪い。また、時にはえぶり、爆跳したり、立ち消えすることもある。松や栗の木から取られた和炭(消し炭)は、火力としては弱いが、炎の立つ炭で、鍛冶作業に用いられた。別名を鍛冶屋炭ともいう。
炭焼きの様子(左:大炭カマ、右:小炭焼キ、先大津阿川村山砂鉄洗取之図、葉賀七三男解説『佐渡州金銀採掘全図 先大津阿川村山砂鉄洗取之図 鼓銅図録』恒和出版、昭和51年、208~210頁)「東京大学工学・情報理工学図書館所蔵 鉱山絵図絵巻コレクション(http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kozan/emaki/10/index.html)」参照。)
 江戸末期の先大津阿川村山砂鉄洗取之図には、砂鉄の採取や運搬、鍛冶、製鉄に加え、木炭の製造、運搬の図が描かれている。そこには、「木炭ガマ(カマ)」によるアラ炭の製造ばかりでなく、「小炭焼キ」とある和炭の製造方法が描かれている。図にあるとおり、木の幹にあたる太くて真っ直ぐな部分は窯に入れやすいが、捻くれた枝部分は積み上げると隙間だらけで、嵩ばかりあって細いものしか得られない。“本格的な”木炭(荒炭)製作には当たらないとして別途処理されたものと考えられる。製錬用ばかりでなく、焚き付け用や鍛冶屋用の炭も必要なのだから、合理的な生産体制であるといえる。
 この枝部分の積み上げた状態は、称するに「藪」であろう。乱雑に生い茂って踏み入るに入れない印象がある。この語の展開されたものかどうかは不明ながら、ヤフサシ(ヤブサシ)という語がある。

 藪 素口反、上、潤也、沢也、櫢同、也夫(やぶ)、又於止呂(おどろ)(新撰字鏡)
 惜悋 上乎之牟(をしむ)、下夜比左之(やひさし)(新訳華厳音義私記)
 ■(女偏に羽の下に𠆢の下に氺、「嫪」の異体字カ) 力刀盧報二反、去、婟也、妬也、也不佐志(やふさし)(新撰字鏡)
 心慳(ヤブサ)(ケイ)ク鄙(トヒト)(非)なること無(く)して、常に恵施を行セむ。(西大寺本金光明最勝王経)
 枿 音▲(薩と木の合字カ)、我チ、ケチ、アマリ、木無頭枿 キノキリグヒ、ヒコハエ、伐木▼(土冠に尸)(名義抄)

 内田賢徳「「𠫤」字はヤサシと訓めるか」国語語彙史研究会編『国語語彙史の研究二十九』(和泉書院、平成22年)に、「……ヤフサシとは、料簡が狭く適切な判断を下せない性格を形容している……。この語の古形ヤヒサシ(ヒはヒ乙か)は、おそらく九世紀半ばまでにはヤフサシに変化し、また一方に動詞形ヤフサガルが派生してヤフサシもまた劣勢となり、やがて清濁が移って、中世の語形ヤブサカが生まれる。」(127頁)とある。物惜しみする性質、すなわち、ケチ(吝)のことをいう。どうしてそのようにヤマトコトバは循環して説明されているのか不明ながら、新撰字鏡の「藪」にオドロという訓がついている。オドロとは、いばらなどの乱れ茂っていることを言っていて、「棘」や「荊」といった字を当てる。そして、おどろの髪といえば、乱れ髪のことをいう。束ねきれていない髪のことだから、おくれ髪、おくれ毛、髦(のち)のことを指す。
 一方、炭を焼くことは、スミヤキの訛ったような言葉に、スムヤケシ、スミヤカ、スミヤクといった語がある。

 偬倊 二同、作弄反、去、倥倥也、須牟也介志(すむやけし)、又伊止奈志(いとなし)(新撰字鏡)
 悇憚 上丁姑反、惶遽也、於地加志古美須弥也久(おちかしこみすみやく)(新撰字鏡)
 故、天上(あめ)に住むべからず、亦、葦原中国にも居るべからず。急(すみやか)に底根(そこつね)の国に適(い)ね。。(神代紀第七段一書第三)
 因りて復(また)兵(いくさ)を縦(はな)ちて忽(すみやか)に攻めたまふ。(神武前紀戊午年十二月)
 何ぞ遽(すみやか)に兵(いくさ)を興して、翻(かへ)りて失滅(け)たまはむ。(敏達紀十二年是歳)(注15)
 他国(ひとくに)は 住み悪しとそいふ すむやけく 早帰りませ 恋ひ死なむとに(万3748)
 君をわが 思ふ心は 大原や いつしかとのみ すみやかれつつ(詞花和歌集・恋下・233)

 スミヤク(速)は、心がはやる、気が急く、いら立つの意である。万葉集の例は「住み」と、詞花集の例は、大原の縁語で「炭焼く」と掛けている。確かに野焼き(小炭焼キ)で作る消し炭の作業は、全体に燃えあがらせておいてすぐに消して作るものだから、炭窯で作るのと違って早々にできる。使用時も、すぐに発火して炎も立てるが、消えるのも速い。急遽的な炭である。「偬倊」の訓にイトナシとあるのは、暇無しの意であるが、糸無しの鉤のこと、針素のついていない「五百鉤」、「一千鉤」のことに当たっているようである。なぜなら、佩帯の十拳剣を鍛冶屋さんに渡して焼き切ったり叩いたりして加工して作ったものだから、製造に木炭、それも和炭が必需なのである。砂鉄から製錬して鋳造したのではない。「正本の鉤」でないのは、銅鏃とは異なって、鋳型どおりのものではないとの謂いかもしれない。
 火照命はとても機微なところにケチを付けている。本邦における鋳鉄技術としては、銅の鋳造ははやく弥生時代から行われているが、鉄の鋳造は平安時代まで下る。鉄器の長所は、とても硬いところである。鋭利な刃物や農工具の先端、甲冑の札板などに用いられた。硬く作りたいから、鍛造技術が求められる。鋳造でにゅるっと作られたものに、硬いものはできない。基本的に炭素含有量の問題が大きい。今日でも、鍛造で作られるものと鋳造で作られるものには用途に大きさ差がある。和炭という消し炭で作ったリサイクル品をケチなものだと言っている。同じくニコと形容されるケ(毛)のことは、ニコゲ(毳)である。和名抄・鳥体に、「毳 考声切韻に云はく、毳〈川苪反、爾古介(にこげ)〉は細く弱き毛也といふ。」とあり、鳥の毛の細くて柔らかくて短い毛のことをいう。人の髪の毛のうちでは、柔らかくて短いものはおくれ髪、おくれ毛、髦(のち)である。
後れ毛(髦(ノチ、メサシ)、「海外輸入子供通販ショップ チェリッシュ(http://www.cherish-kids.jp/SHOP/SBR015.html)」様)
 名義抄の「髦」字の訓に、メサシとあった。おかっぱ頭の前髪を目のところまで伸ばして切り揃えた髪である。目を刺すような次第だから呼ばれている。もう少し伸びたら結い上げることができるようになる。メサシで思い浮かぶのは、鰯の目刺しである。鰯の目刺しは季節の風物詩に見られる。節分の夜、魔除けの意味で、戸口に柊の葉の棘々したものとともに鰯の頭を焼いたものを刺して立てている。焼くと臭いから魔物の侵入を防ぐことができると信じられたのであろう。その起源は知られないが、さほど古いものとは思われない。焼嗅と書かれ、ヤイカガシ、ヤッカガシ、ヤキカガシ、ヤキサシなどという。カカシ(案山子)の古形、カガシが嗅がしに由来することとの意味の合致から、同源のように思われている。カガシは、臭気あるものによる害獣除けで、焼いて作った。魚を焼くのだから、調理用の消し炭(和炭)で焼かれたのであろう。案山子としては、後に今日よく見られるような人形仕立てのものが登場している。鳴子やししおどしのような音による威嚇も古くから用いられていた。節分のヤイカガシなどの語は、後から作られたものであろう。ヤキサシ(焼刺)という名がふさわしいように思われる。ヤキサシのイ音便化はヤイサシで、それは、イ音便化はしなかったヤヒサシ(吝)によく似ている。乱れて藪のように棘々していて立ち入れず、しかも火をつけて焼いて臭気をたてて消し炭は作られている。「小炭焼キ」は、柊鰯と同じ効果である。焼きさして中途で消され、消ちた炭が作られる。案山子は鳥おどしである。オドロ(藪)という語は、大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典』(岩波書店、1974年)に「▷アクセントの点から考えてオドロ(驚)とは別。」(227頁)とあるが、語として別仕立てでも洒落として立派に成立している。
柊鰯(天草本百鬼夜行絵巻、江戸時代後期、19世紀、「天草テレビ(http://www.amakusa.tv/news_hyaki.html)」様)
 古事記や日本書紀の海幸・山幸の「さち易」の話は、モト+ノチの話だから、だいぶ後になってその兆候は表に顕れる。記に、火遠理命は海宮で呪法を教えてもらって帰ってきて、「おぼ鉤」、「すす鉤」、「まぢ鉤」、「うる鉤」と言って火照命を呪っている。紀では、「貧鉤(まぢち)」(神代紀第十段本文)、「貧鉤、滅鉤(ほろびち)、落薄鉤(おとろへち)」(同一書第二)、「大鉤(おほぢ)、踉䠙鉤(すすのみぢ)、貧鉤、癡騃鉤(うるけぢ)」(同一書第三)、「貧鉤、狭狭貧鉤(ささまぢち)」(同一書第四)などとある。記の意をとれば、鬱悒(おぼ)、踉䠙(すす)、貧(まぢ)、癡騃(うる)の意であろう。詛い言とともに本物を返されて、ずっと以前にちょっとケチを付けた火照命は、呪詛の言葉が本物の真実となって不幸に陥るという話に終わっている。時間的な意味で、ノチに悪い結果となって発現する。日葡辞書に、「Qechi」に「物事の不吉な前兆」とあげられていた理由が、説話のなかに循環的に語られているのである。
(つづく)
『コラム』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 海幸・山幸のさち易 其の一 | トップ | 海幸・山幸のさち易 其の三 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

論文」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。