独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

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日中友好団体幹部の拘束で報じられていない盲点

2016-07-30 12:34:04 | 日記
7月28日、「日中友好団体幹部」が北京で拘束されたとのニュースが流れ、関係者は度肝を抜かれた。「50歳代」「社民党」「茨城県出身」など断片な個人情報が飛び交い、奇異な感じがした。公共性の高い人物が、半ば公務中に遭遇した事件ではないのか。実名が原則である。当事者の安全にも影響が考えにくい。当該分野では著名人であるはずで、いつかはわかる話だ。非常に不可解な匿名報道である。

菅義偉官房長官も同日午前の記者会見で、「7月に北京市で邦人男性1人が中国当局に拘束された旨、中国から通報があった」と事実関係だけを公表し、「日本政府はいかなる国に対してもスパイ行為はしていない」と政府の責任回避に終始した。だが、日本発の中国語ニュースサイト「日本新聞網」が男性を「日中青年交流協会理事長の鈴木英司氏」と明らかにし、世界に発信された。日本人はいつものことながら情報断絶の孤島に残された。

日本メディアは依然、かたくなに個人情報を封印している。そのくせ、中国外務省が個別取材に対し「国家安全に危害を与えた容疑で調べている」とコメントしたとの“独自情報”を、何の判断もせずに報じている。「スパイ事件」を強調する情報操作が行われている可能性に気付いていない。不偏不党、中立を原則とする「客観報道」の無責任ぶりが露呈された。これでは「日中友好団体」「拘束」「スパイ」という断片的なキーワードが独り歩きし、流言蜚語を拡散させるしかない。

この事件で注目すべきは、なぜ日中青年交流協会なのかという点だ。同協会のHPは団体名の発覚後、閉鎖された。だがそれまでHPには中国側のカウンターパートとして「中華青年連合会(全青連)」の名が記され、理事長メッセージにも「1983年、中華全国青年連合会の受け入れによりはじめて中国を訪問しました」と書き込まれていた。

全青連は建国直前、五四運動記念日の1949年5月4日に設立された中国最大の青年団体で、胡錦涛前総書記や李克強首相、さらには次期指導者として有望視される胡春華広東省党委書記らを輩出してきたエリート集団だ。胡耀邦総書記時代、日本人青年3000人の訪中団を受け入れたのが全青連(胡錦濤氏は当時、全青連主席)で、以来、日本にとっては貴重な対中交流の窓口でもある。その中核にあるのが中国共産主義青年団、いわゆる共青団である。

共青団出身者は俗に「団派」と呼ばれる。団派ですぐに連想されるのは7月4日、収賄と国家機密の不法取得、職権乱用の罪で無期判決を受けた令計劃・前人民政治協商会議副主席だ。令氏は胡錦濤総書記時代、秘書役の党中央弁公庁主任を務め、胡錦濤氏にとっては腹心中の腹心に当たる。令氏の失脚は団派の総崩れに等しい効果を生む。

実際、現指導部の団派で李克強に次ぐ李源潮国家副主席は、令氏と関係が深かったことから、海外のニュースサイトに金銭問題がしばしば報じられ、摘発間近を思わせるほどだ。習近平総書記が重要人事を決める来年の第19回党大会を前に、団派を追いつめる権力闘争が本格化していることを物語る。

だとすれば、団派とつながる日中友好団体幹部の拘束にも、激烈な政治闘争が影を落としているとみるのが妥当なのではないか。そうした角度から分析をすることは不可欠だと思う。団体名を伏せて報じている日本メディアの報道には、必然的に事件の背景が捨象される。過剰な匿名報道の落とし穴である。
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2 コメント

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青年交流協会とは (笠井孝之)
2016-08-01 22:24:17
かつて自民党代議士ー川崎秀二が 運営していた団体では?1972年に 同級生が この団体の訪中団として1ヶ月ほど中国各地を訪問していた。 
そういう独裁政府と付き合いたいなら (溝上)
2017-10-13 15:07:36
酷い目合わせられる。
ある意味では、自業自得だよ!

日中友好なんて、要りません!
するな!

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