独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

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【日本取材ツアー⑲】日本酒の危機から生まれたパッチワーク

2017-04-20 23:37:45 | 日記
私を含め後発組5人が北九州での取材を終え、山口怜子氏の営む地蔵原ビレッジ(大分県玖珠郡九重町)に到着したのは、3月31日午後8時を過ぎていた。熊本と大分の県境である。周囲の山は冬には積雪する。スキー場の案内も見えた。同ビレッジに看板はない。あくまで山口氏を囲む仲間の集いだけに使われている。学生たちは、雑魚寝をすれば10人が余裕で寝られるほどの広い畳の間に案内され、大はしゃぎで飛び跳ねた。取材の全スケジュールを終え、ホッとした気持ちもあったのだろう。

昼からろくなものを食べていない。早速、夕食が用意された。われわれ計8人分の夕食は、山口氏とパッチワーク教室の生徒2人が用意してくれた。山の幸が多く使われ、地熱で作られたちまきも並んだ。夢中で食べる彼女たちの姿を見ていて、「よく頑張った。お疲れさま」と言ってあげたかった。



食後は、山口氏への取材、というよりも彼女の人生談義に耳を傾ける集いになった。彼女の周りにはいろいろな人が集まる。この日も日中、中国の学生が来るというので、彼女の知り合いで福岡に住んでいる中国人の友人がやってきた。家業に失敗し、家も売り払った夫婦は、ビレッジ管理人として迎えられている。だが彼女には、特別なことをしているという感覚はない。

人を助けていると、いつの間にか人の縁によって自分が助けられることがある。目的があってのことではない。彼女にとっては、ごく当たり前のことなのだ。学生たちがどんな質問をしても、最後は決まって、「自然な気持ちだから」と落ちが付く。最初は首をかしげていた学生たちも、だんだん彼女の話に引き込まれていくのがわかる。





彼女の笑顔の底には、苦難の経験がある。大分県で大成功を収めた一村一品運動を主導した町で、その町長の娘として育った。裕福な家庭で、当時すでに父親と一緒にしばしば飛行機に乗って東京へ行った。だが、21歳のとき、老舗の造り酒屋に嫁いでから、人生のどん底を経験する。

今でこそ、日本酒は洗練され、女性にも人気の酒になった。だが高度成長期は、ビールやウイスキー、ワインの激しい市場参入にさらされ、日本酒造りは存亡の危機に瀕する。売るためには販売業者とのコネクションが重要だ。若女将として試練の矢面に立たされた彼女が考えたのは、お中元やお歳暮に手作りのパッチワークを贈るという案だった。いらない布の切れ端や着古した衣服を使って、素朴な風合いを出す工芸品だが、人々からの受けはよくなかった。当時、贈答品としてもてはやされたのは、一流デパートの包装紙にくるまれた高級ブランド品だ。

高度成長期は大量生産、大量消費、そして大量のごみを出すのが豊かさの象徴だった。人々がリサイクルや節約の大切さに気付くのは、ずっと後になってからだ。それでも山口氏はあきらめなかった。デザインの教科書は世界の名画集。一人一人の話に耳を傾け、そのイメージでパッチワークをデザインする営みも、一歩一歩続けてきた。故人の家族から依頼され、故人の着物を使った作品も多い。まさかやがて北京の人民大会堂や抗日戦争記念館で個展を開くとは夢にも思わなかった。

気が付くと教え子は47回生にまでおよび、一緒に作った作品は3000点を超えた。

学生は尋ねる。「あなたにとって人助けとは何ですか?」。思わぬ質問に、山口氏はじっと考え込んでから答える。

「人助けなんてとんでもない。相手は助けられたと思うかもしれないけれど、自分にとっては、どうも説明できない、自然に、普通にやったことなのです」

気が付くと時計は翌日の午前2時に差し掛かろうとしていた。まったく嫌な顔一つせず、疲れを見せず、拙い、未熟な学生の質問に一つ一つ丁寧に応じてくれた。翌朝は7時半に8人分の朝食を用意し、交通が不便だからと、知人と一緒に2台の車を出して、自ら運転して私たちを福岡まで届けてくれた。すべてが当たり前のように進んでいった。これが山口氏のいう自然なのだろう。

ある学生の手記は、山口氏についてこんなふうに締めくくられていた。

「山口怜子さんは今年74歳。この社会に自ら多くの貢献をしてきた。彼女と環境、そして仲間たちとの”共生”の旅はなお続いている」

(続)
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2 コメント

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最高のおもてなし (中井)
2017-04-21 07:55:30
 山口怜子様の全身全霊のおもてなしは、さぞや学生たちの心に染み入ったことでしょう。
こころ (細石)
2017-04-23 06:03:56
>人を助けていると、いつの間にか人の縁によって自分が助けられることがある。
ーーーーーーー
日本の諺では、、、
「情けは人の為ならず」と言いますね。

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