独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

異なる文化を知るための第一歩・・・それは自分の文化を知ること(結び)

2016-10-28 21:06:00 | 日記
肝心の点に触れるのを忘れてしまった。インド出身のK.Sシタラムが、『異文化間コミュニケーション(FOUNDATIONS OF INTERCULTURAL COMMUNICATION)』(1985東京創元社、御堂岡潔訳)で訴えたのは、異文化コミュニケーションにおいてはまず、自分の文化を知らなければならないということだ。

彼はこう言っている。

「我々のうち大部分は、なぜ自分たちが行っているようなやり方でコミュニケーションを行っているのか、知ってはいない。また、自分たちのコミュニケーション行動に影響する諸要因を、見出そうとしたこともない。他人と効果的にコミュニケートしようとするならば、我々はまず第一に、自分自身のコミュニケーション技能について知らなければならない。他の人々を理解しようとする前に、我々自身について知らなくてはならないのである」

だが自分を知ることほど難しいことはない。シタラムは哲学者や聖者、ヨーガの行者が瞑想によって答えを出そうとした例を取り上げる。自我としての声、外見、知力、良心、知識、理解、判断、そうしたことを含めた自己概念を知ろうとすることで、人は自分の行為を文化的価値と結び付けて考えることができる。

確かにその通りだろう。自分のことを知りもしない人間は、人に媚びたり、逆に傲慢に振る舞うことはできても、他人のことを本当に知ることはできない。自己の文化的価値をわからなければ、人の文化的価値を評価のしようがない。厳しく、真剣に自己を見つめる目が、他者に等しく注がれたとき、異なる文化をそのまま受け入れることができるのだろう。

メディアは自分の外にあるものではなく、実は自己に内在しているものではないのか。メディアを仮想社会に手放さないためにも、自分の心にとどめ、確かな感覚によって知覚する必要があるのではないか。それができればきっと、鏡をのぞくように異文化を見ることができるだろう。

漢字を共有し、長い文化交流の歴史を有する日本と中国はまさに鏡の関係にふさわしいと思える。学生たちがこのことだけでも感じ取ることができれば、靖国神社プロジェクトも成功だと言える。

実は何人かの方に、首相の靖国神社参拝に関する学生からのアンケートをお願いした。すぐに返事をいただいた方もいる。学生たちが飛び上がらんばかりに喜んでいる姿を見ただけでも、峠の半分は越したような気がしている。
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