独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

中国の政治を理解するための視点①

2017-10-04 22:54:32 | 日記
5年に1回開かれる中国共産党の第19回全国代表大会が10月18日から開かれる。1日から建国記念の国慶節が始まったことと重なり、中国社会全体が濃厚な政治色に包まれている。大学にまで党大会を迎える宣伝ポスターが張り出されている。先月の入学式では、インタビューを受けた男子新入生の発言が話題になった。

「汕頭大学の印象は?」と問われた彼は、

「美麗、温馨、和諧」

と答えた。最初の二つは理解できる。自然豊かな美しい風景があり(美麗)、温かく迎えてくれる教師や先輩がいる(温馨)といった意味だ。だが「和諧」となると、かなり深い。調和のとれた状態を指す言葉だが、入学したての学生がそれを感得するのは難しく、わざとらしさが残る。もともと若者が一般的に使う言葉ではなく、胡錦濤・温家宝時代に流行った政治スローガン「和諧社会」から来ているからだ。



現在、小学校から高校まで、授業では胡錦濤時代から唱えられ始めた「社会主義核心価値観」が教えられ、計12の二字熟語を暗唱しなければならない。そこに「富強」「民主」「文明」の次に出てくるのが「和諧」だ。新入生の口をついて出てきた「和諧」は、無意識のうちに暗唱した言葉を発した模範解答なのだろう。もっとも専門学科の分厚い教科書を前にすればすぐに忘れてしまうだろうが。

大学3、4年生の多くは夏休みの数か月間、課題の企業インターンシップを終えてきた。報道機関を選んだ学生は決まってある感想を持ち帰ってくる。19回党大会前の政治的に敏感な時期なので、提案したいろいろな取材テーマが禁じられた。一方、党大会のスローガンに沿った取材が課題として与えられた。「どうしてこんなにも自由が制限されるのだ」。授業で聞いていた報道の理想も、実際に現場を経験するととたんになえてしまう。だが、それもまたキャンパスでは味わえない現実の経験である。

日本の新聞社でも、あれを書け、これは書くな、といったことは日常茶飯事にある。だが日本では、社内の不都合は一切隠ぺいする体質が強く、すべてこそこそ話で処理されるので、インターンの学生がそれを実感できるチャンスはほとんどない。日本の中国報道も自分たちのことを棚に上げて、相手の弱点をあげつらうような類のものが多い。ステレオタイプの先入観に支配されれば、真相を取り逃すことになる。

私は、落胆してインターンから戻ってくる学生に伝える。表面的な事象だけを見てはならない。政治の世界は奥が深い。我々のうかがい知れないことが山のようにある。だがメディアを志す以上、無関心であってはならない。静かに観察することが肝要だ。どんな小さなことでも見逃さず、長い歴史の流れの中におき、そのうえで、しっかりとしたロジックをもってながめる。これを繰り返しているうちに、少しずつ見えてくるものがある。慌てず、小事に一喜一憂することなく、一歩一歩進めばいい。

「汝自らを知れ」とは、古代から人類が続けてきた問いである。世界に対する認識はまず自己を知ることから始まる。無知の知を含めた知である。自己を知れば、相手を知ることにつながる。わからないことがあるのだ、という謙虚さが生まれ、相手の立場に寄り添おうとする共感が生じる。何よりも自分の視点が大事なのだ。それを育てることが大学での勉学だと言ってもよい。



中秋節の今夜は十五夜の月だ。あいにく学内から見る月は雲に隠れている。「月に叢雲花に風」というが、雲があるから満月が惜しい、風に散るから花が愛おしいという美学もある。中国語には「守得雲開見月明」との言葉がある。雲が晴れるのをじっと待っていれば、いつかはきっと明るい月が顔を出す。何事にも辛抱強く取り組めば必ず道が開けるとの教えだ。軽率な即断は禁物だ。

習近平政権はわずか5年でなぜ圧倒的な権力を掌握できたのか。その背景にはどんな力があるのか。権力の集中は悪いことなのか。選挙と選抜の違いは何なのか。中国に「××派」は存在するのか。反腐敗キャンペーンの功罪はなにか。胡錦濤時代と何が違うのか。習近平は毛沢東になるのか。そして、中国はどこへ進もうとしているのか。メディアが当たり前のように語る一つ一つの事柄を、ぐっと深く掘り下げて考えてみよう。学生たちが、目を輝かせて耳を傾けてくれる。

(続)

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