独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

【日本取材ツアー⑫】毎日、「寿」を彫り続ける篆刻家

2017-04-17 23:09:34 | 日記
今回の九州環境保護取材ツアーでは、取材テーマ以外の人物とも、実に有意義な交流ができた。その代表は間違いなく、北九州在住の篆刻家、師村妙石氏だ。2010年の上海万博で、日本館のサテライト事業として上海の花園飯店で個展を開いたことは覚えていた。だがまさかこんな形でお会いできるとは思っていいなかった。九州ツアーに際し、北京時代から懇意にしている友人の三上正裕・元日本大使館文化公使(現外務省国際法局審議官)から紹介を受けた。人の縁である。

3月29日夕、リサイクル工場の視察後、ちょうど近くにある師宅を訪れる手はずになっていた。ところが、その工場取材に行くと、すでに師村氏の姿があった。工場取材に1時間以上もお付き合いいただいた後、師村氏は友人のマイクロバスまで用意し、私たちをある場所へ案内してくれた。若松区の頓田貯水池。緑地の小島には姉妹都市の大連にある東屋をまねて建てた大北亭のほか、清末を代表する書家、呉昌碩の銅像があった。学生たちみなが知っている著名人だ。



呉昌碩は師村氏が尊敬する人物であると同時に、師村氏は呉昌碩の曾孫と昵懇の中だ。それが銅像の縁となっている。呉昌碩と同じ浙江省の学生は踊りださんばかりに興奮した。水に囲まれた周囲の光景は、杭州の西湖を思わせるたたずまいで、なおさら郷愁を誘ったようだ。

それから師村氏の自宅へ。道場のような板の間の2階リビングに上がると、作品が壁を埋め、資料が山のように積み上げられていた。甲骨文字の「心」をデザインした、鮮やかな作品が目に入る。日中国交正常化直後の1972年10月に訪中して以来、地道に日中の交流を重ね、すでに訪中回数は190回を超えた。全国各地を巡り、個展を開き、多くの知己を得た。





リビングの正面には、若い男性の遺影と線香立てが置いてある。24歳で他界した師村氏の長男、師村八(ひらく)君だ。不覚にも知らなかった。師村氏が線香をあげ、私もそれに続いた。青年の写真を見ながら、私は、師村氏がなぜ中国の若者を快く迎えてくれたのか、合点がいったような気がした。師村氏は私に、長男が亡くなる前日までつけていた日記と写真をまとめた本『駆け抜けたヒラク 人生の旅』を贈ってくれた。小さな、薄い本だが、実に重い。



ヒラク青年は父親の影響を受け、高校を卒業後、上海中医大学に進んだ。ニューヨークや上海で開かれる父親の個展では通訳も務めた。2004年6月22日から7月26日まで、35日間をかけて上海から江蘇、陝西、河南、山東省を経て上海に戻るサイクリングをした。古いタイプのおんぼろ自転車で、でこぼこの農地を走った。2006年1月26日、今度は国内をサイクリングで旅したが、岡山の公園で野宿をした際、テントで使ったガスランタンの事故で中毒死した。

学生たちは、師村氏にわれわれ取材チームの名である「新緑」を書いてほしいとせがんだ。通訳をする私も冷や汗をかいたが、師村氏は二つ返事で応じてくれた。書斎に移動して墨をすりはじめ、静寂の時間が流れる。みなが息をひそめ、筆先を追う。落款を押し終えたところで、師村氏は別の刻印を取り出した。

「これには『寿』が彫ってあります。息子が亡くなってから毎日、『寿』の文字を一つずつ彫り続け、もう3000を超えました。88歳には1万個になる予定です」

「寿」には、長男を早く失った親として、生命の尊さを願う気持ちが込められている。「88歳」と言われて最初はピンと来なかったが、長男の名前は「八」である。深い思いがあるに違いなかった。いただいた本の背表紙には「師村宏」の印が押してある。「黄泉でヒラクが使うように棺に収めた」のだという。



日記を読んでみた。道なき道を探し、野宿をしながら、自分を探そうとする若者の姿が目に浮かぶ。2004年7月14日、河南省。こんなことが書いてある。

「旅館のとなりが中岳崋山廟という寺で、道教に属する場所らしく、近くのおみやげ屋だけに立ち寄った。そこでばったり会ったおばさんがすごく親切にしてくれて、道教について色々と話をしてくれた。これから道教について勉強しようと思った」

7月22日はもう山東省に入った。印象的な出来事があった。

「車にバイクが後ろから突っ込み怪我をしたのを目にしたが、俺は何もしてやれなかった。なぜ何もできなかったのか?何を考える必要がったのか?こんな自分がいやらしい。みにくい」

そして日本での日記。2006年1月24日、広島の原爆ドームを見て「人間の愚かさを痛感し」、翌25日、岡山で野宿をしながら最後となる日記をしたためる。最後はこう締めくくられている。

「自然は本当に厳しいものだ。それも全部自分で冬を選んだ結果であって、その和解策を見つけなければならないのも自分だ。頑張って身に付けたい。今の人間にかけている何かが何なのか、分かりそうな感じがする」

淡々と語る師村氏の胸中はいかばかりか。押された「寿」の重さについて、学生たちと語り合っているところだ。


ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 屋台を引いて本を売り、詩を... | トップ | 【日本取材ツアー⑬】反日デモ... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL