独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

ようやく届いた東京の荷物・・・1か月半は短い

2016-10-15 20:55:04 | 日記
8月末に船便で送り出した東京からの荷物が昨日、深圳経由で届いた。2、3か月は覚悟していたが、1か月半の特急だった。南方の効率の良さを改めて認識した。書籍が10箱ほどあったが、まったく開封もされていなかった。

来週、北京の学術会議に出席の予定があったので、スーツやセーターが間に合ったのは大いに助かった。何よりもうれしかったのは、中国でずっとそばにおいていた二幅の絵が届いたことだ。



上海に赴任して間もなく、江蘇省蘇州の寒山寺の門前で買い求めた一幅の水墨画。老人が一人で岸壁に腰掛け、釣り糸を垂らしている。岸壁は力強い一筆で描かれ「独釣」と題がある。

柳宗元の詩「江雪」に以下の詩がある。

千山鳥飛絶 千山 鳥の飛ぶこと絶え
萬徑人蹤滅 万径 人の蹤(あと)滅(き)ゆ
孤舟蓑笠翁 孤舟(こしゅう) 蓑笠(さりゅう)の翁(おきな)
独釣寒江雪 独り釣る 寒江の雪

蓑と笠を身に着けただけの老人が一人、雪の降る中、舟て釣り糸を垂れている。山々には鳥の姿も見えず、道という道にも人影が消えた。老人の「独釣」が周囲の静寂をさらに際立たせる。老人は釣りに託し、黙考しているのだ。長い来し方を振り返り、人生の滋味に浸っている。人生そのものが孤独なのだ。だからこそ自分と向き合うしかない。孤独と向き合うことによって、それを我が物とすることができる。そうすることによってしか、孤独から逃れることはできない。私にはそう思える。

「独釣」は中国でしばしば取り入れられる画題だ。上海から北京へと、赴任地が変わっても持ち歩き、部屋の目立つ場所に置いて毎日眺めてきた。異国の地で記者の孤独を感じながら、その絵に思いを重ね合わせた。竿から垂れる糸は、白い余白の中で先が消えている。釣れる望みのない釣りをしながら、老人は何を自問しているのだろう。そんなことを問いかけ続けたが、少し答えが見えてきたような気がしている。私の欠くべからざる同行者なのだ。



もう一幅は北京に移ってから、骨董市場「潘家園」で見つけた真っ赤な背景の絵だ。袈裟のような着物を着た坊主頭の男が、背を向け、傘を差して歩いている。素足のようでもある。影は小さく、やわらかい動きは女性的だ。ここにも孤独がある。彼がこの世にいる唯一の証が影のように見える。人の微小さ、それでも確かさを持った息遣いがある。雨を避ける意思を持ち、確かに歩んでいるのだ。

この絵は事務所に置いていた。困難な仕事に出会うたび、自らの後姿を追うような気持で見続けてきた。彼もまた私の同行者なのだ。ようやく仲間がそろった。祝杯でも挙げたい気分だ。
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1 コメント

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江雪の詩 (笠井孝之)
2016-10-16 23:09:04
柳宗元のこの詩。私の篆刻師の祖父は、大阪の漢学塾「泊薗書院」に学び、「江雪」から「寒江」を採り 雅号としていました。中国で、大学生に聞くと、「小学生の時に習った」と言っていました

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