独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

中止された日本の資生堂CMと、議論を呼んだ中国のSK-II広告(その2)

2016-11-05 17:36:37 | 日記
中国では、適齢期に達しながら結婚していない女性を「剰女(余った女性))と言い、まだ言葉狩りに遭わない。その剰女の自立心をたたえようとSK-Ⅱは4分20秒の広告動画を流した。賛否があったことはすでに述べたが、北京で働く知り合いの20代独身女性から直々に「あのCMは気に入らない」と指摘を受けた。

CMに登場する3人の女性は上海人の設定で、両親とともに暮らしている。恵まれた環境で育ち、生活に苦労することもない。ただ結婚だけは親の期待に応えられていないため、親不孝者だと自責の念に駆られる。そこが気に入らないのだという。

「本当に自立している女性ならば、親とも離れて暮らし、親の意見に左右されず、自分で自分の生き方を決めている。両親の顔色を窺う必要もない」

地方出身の彼女は、北京の高い家賃を払い自活している。都会に自宅のある者よりは当然、独立心が強い。身の回りも同じ境遇の友人が多く、「仲間はみなあのCMに出てくる上海女性に共感していない。自立しているとは言えないからだ」という。

彼女によると、SK-Ⅱの商品は年収1万元(日本円でほぼ16万円)以上の中・高クラスを消費者として想定している。都会で爪に火をともすように暮らしている地方出身者は眼中にないのだろう。そう言われてみれば、上海人女性しか共鳴できないような内容に思えてくる。化粧品メーカーもそこにターゲットを絞ったということであれば、消費者になり得ない人々の声まで気にしていられない。最初から、万人に受け入れられることなど考えていない。

一方、資生堂のCM中止劇は、多くの人を煙に巻いたままだ。メディアの報道も、横並び意識からただ「中止した」というニュースを伝えるだけで、納得できるような理由を説明していない。みんなが何もわかっていないのに、落ち着くべきところに落ち着いたというように決着する。表現の自由にかかわる問題でありながら、メディアは他人事のように沈黙したままだ。そろばん勘定で損得を考慮し、割に合わないと思ったら触らない。メディアにはそんな打算しかない。結局、つかみどころのない空気に支配され、何事も起きなかったかのように忘れ去られるのである。

今回の化粧品広告に限らない。日中の文化にはしばしば大きな落差を感じる。静かに消し去る文化と、好き放題言い合ったのちに放置する文化。あたかもチリ一つない清掃の行き届いた公道と、露店が入り乱れ、ごみが散乱した夜市のような違いと言うべきか。それぞれに独自の文化があるので、どちらがいいという問題ではない。だが少なくとも、議論のないまま沈黙によって作り上げられていく世論は、真実よりも仮想、虚構により近づき、人の目を曇らせるということだけは言える。

どうしてダメなのか?なぜいけないのか?重要な問題に明確な答えを求めず、根本を探求しなければ、目に見えない空気はさらに層を厚くして我々を覆い、より思考を狭めていくことになる。無菌状態は生物の住む環境ではない。感情も思考も奪われてしまう。そこには自由も独立も存在しない。のっぺらぼうの生き物が奴隷のようにさまよっているだけだ。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 中止された日本の資生堂CMと... | トップ | 中国でメディアを学ぶ学生た... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL