独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

中国の大学で迎えた9・18記念日

2016-09-18 13:52:27 | 日記
9・18といっても日本人にはピンとこないが、中国人は小さいころから9・18は、1931年9月18日、日本の関東軍が瀋陽の柳条湖で南満州鉄道の爆破事件を自作自演し、中国への侵略に乗り出した「国恥日」として回顧される。歴史の授業で「柳条湖事件 1931年 満州事変の発端 関東軍の謀略」と教えられるだけの日本人には「国恥」の実感が沸かない。歴史認識を教える中国と、個別事件の暗記にとどまる日本との違いである。

歴史は人間社会の変化に対する解釈を研究するために知識を探究する。その一方、ある集団に一体化(identification)を生み、育てるための核ともなる。テッサー・モリスースズキが『過去は死なない メディア・記憶・歴史』(岩波現代文庫 田代泰子訳)の中で次のように述べているのが参考になる。

「わたしたちと過去の関係は、原因や結果についての事実の知識や知的理解だけではなく、想像力や共感によってもかたちづくられる」
「過去の人びとの経験や感情を想像し、彼らの苦しみを偲び死を悼み、彼らの勝利を祝う。過去に生きた他者とのこうした一体化は、しばしば、現在におけるわたしたちのアイデンティティの再考あるいは再確認の基盤になる」

だとすれば、過去の記憶を捨て、過去との共感を絶った人々は、情報の氾濫する現代の大海において、定まらないさすらいの旅を続けるしかない。歴史を問うことは、閉ざされた過去に逃げ込むことではなく、今を確かに生きるためのものである。この一点において認識を共有することから第一歩が始まる。

汕頭大学新聞学院で受け持っている現代メディア・テーマ研究では最初のテーマに「戦争報道の落とし穴」を選んだ。最も困難な問題をまず最初に提起すべきと考えた。



「戦争の最初の犠牲者は真実である」

これは、古代ギリシャの三大悲劇詩人の一人、アイスキュロス(Aeschylus 紀元前525-456)が残した言葉と言われるが、第一次世界大戦後の1918年、米国のハイラム・ジョンソン上院議員(Hiram Johnson)が語った「The first casualty of war is truth」としても知られる。

読んで字のごとくである。いつの時代にも争いや衝突がある場面では、目的によって手段が正当化され、デマやプロパガンダ、アジテーションがあふれる。無理が通れば道理が引っ込むのだ。

われわれが平時において目にしているいわゆる「事実」も、実は非常にもろいものであること。編集され、加工され、元の姿からはゆがんでしまっている可能性もあること。だからこそ注意深く、大切にしなければならないこと。そのためには独立した思考、相対的なアプローチ、懐疑的な精神が必要であること。われわれはそのためにこそ学ぶのだということ。

そんな問いかけを学生たちにした。自分で作った日本の主要紙発行部数のグラフを示しながら9・18にも言及した。



メディアは戦争に動員されるだけでなく、戦争を利用して利益を拡大してきた。アメリカの広告業界が戦争のプロパガンダをルーツとし、CNNが湾岸戦争で、FOXテレビがイラク戦争で、一躍名をはせたを経緯も振り返った。メディアが軍の検閲を受けながら、一方で、過剰な自己規制に陥る実態も指摘した。それがみなが共有すべき過去の記憶であり、今に生きるわれわれが歴史と対話する意義もここにある。

終業のチャイムが鳴ったが、学生たちは「先生、続けて、続けて!」と声をかけてくれた。明日の授業もまた、戦争の話を続ける。戦地で命を絶った日本のフリー・ジャーナリストについて語り合おうと思う。
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