最近集団自殺や無理心中といったニュースを目にすることがある。
心中は家族とかが対象になったりするんだけど集団自殺は他人同士。
一人で死ぬのが怖いからということなのか?
何らかの事情により何も考えられなくなり絶望した場合。
”死”という状態というのは甘い誘惑を放つ
しかし、死というのは全ての終わりであり、
自分の命とはいえ、一人終わらせる事には不安を感じるため
同じような人が集まって死という結末を迎えようとするのだろうか?
若しくは哲学的、宗教な問題がある人もいるかも知れない
集団で死ぬことによって云々といった哲学、宗教とかね。
(聞いたことないけどさ)
問題にぶつかり色々考えを巡らせても光が見えなくてあきらめたとき
それが自殺のタイミングなんだと思う。
「生きていればいつかいいことがある」という言葉は正直そういう人には効果はないだろう。
光を探している人に対して周りの人間は何が出来るのか?
本人が想定していない新しい道を示すか、その道を共に探すか?
両方とも難しい話だが、共に探すというのは
より迷惑をかけてしまうとその当人はネガティブ陥る可能性がある。
命の尊さを説いたところでそれは本人だって判っているはず。
自分の命を絶つ=殺人 ということだって言えるわけだから。
死にたいと思っても実際死ねない。
殺したいと思っても実際殺せない。
対象が違うだけで行動、結果は同じ事。
生きることに疲れた、と言う言葉は簡単に使ってはいけない言葉である
しかし、今の世の中のニュース等を考えると生きることに疲れてもおかしくないなぁとか思う。
そういうことを思える自分が病んでいるとも思うんだけどさ。
でも、俺が死んだら泣いてくれる人がいて、その人たちのことを考えるから、俺に自殺という選択肢はありません。
最近、でもそれくらい悲しくて吐きそうなくらい後悔したことがあったけどもやっぱり死ねない。
自分の命は自分だけの物じゃない。
簡単に死んじゃう人は何かしらそういうところが欠如してるんじゃないかと思う。
死んじゃいけない理由を探すってのも割と重要かもね。
中学生の頃の私がそうだったんですけどね。
そういう観点からすると、その人を必要としてあげることがひとつの救いになるのではないかと思うのです。
「してあげる」という恩着せがましい言い方はよくないのでしょうけれども。
誰かと一緒にいて楽しいとか、そうしたちょっとした喜びや幸せを感じられる人は自殺なんか考えないと思うんですよ。
泣いてくれたり、必要としたり、認めたり、許したり
そういった一人じゃないと知らせることは重要ですよね
何にでもいえる話ですが、相手を良く知ることになるんだよね
欝状態って全てがネガティブに思うからなぁ