片割れ月おもちゃ箱

エッセイ風お笑いブログです~

ケチをつける

2015年01月31日 21時41分37秒 | 650字コラム
大相撲初場所は白鵬の優勝で幕を下ろした。大鵬の記録を破る33回目の優勝というおまけまでついた。が、審判批判という味噌まで付いた。

32回優勝した大鵬のルーツはサハリン(旧樺太)にある。父はロシア人、母親は秋田県能代市出身の樺太開拓移民の子である。その縁か、大鵬の嫁さんは秋田市にある旅館の娘だ。夏の稽古巡業で秋田を訪れていた宿なので必然だったのだろう。

大鵬の記録に45連勝がある。双葉山の69連勝を目指していたのだが途中で途切れてのことだ。じつは46勝目の戸田関との勝負が物言いの一番であった。行司は大鵬に軍配を上げたが審判が協議した結果、大鵬が負けることになる。あとでビデオを見る限り大鵬の足が残っており、審判の大誤審。大鵬は「横綱があんな相撲を取ったのでは負け」と、審判への不満は一言も口にしなかったそうだ。その一番をきっかけにビデオ判定が導入されることになる。



さて、白鵬の一番。体を見ると確かに白鵬が勝っていたと子供でも判った。しかし、審判は見るところが違う。稀勢の里が落ちるより先に白鵬の右足の甲が返っていて土に着いている。ビデオを見る限り白鵬が負けている。審判団はややこしいことを避けて取直しにしたのだろうが、白鵬はケチをつけた。



白鵬は32連勝という目標に達してしまうと目指すものが無くなったのかもしれない。懸賞金をこれ見よがしに高々と掲げたり、審判にケチをつけたり。次なる目標は大相撲の伝統・しきたりを打ち破ろうとしているかのようにも見える。第二の朝青龍になりそうで危ない。そうなったら元横綱審議委員のヨーダ、もとい、内館牧子が黙っていないだろう。私も白鵬には謝罪を求める。
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昭和から平成へ

2015年01月31日 11時42分22秒 | 650字コラム


 弟のところに荷物を送ろうとお届け先を書くとき、住所がいきなり平仮名の「さ」から始まるので全体の格好がつかない。大宮の方が書きやすかったというだけの理由で、「武蔵国一ノ宮として2000年以上の歴史を誇る氷川神社に由来する名前をなぜ捨てた」と弟に少々大袈裟に言ったことがあった。
 氷川神社は三が日の参拝者ランキングでも8位に入る神社だ。ランキング1位の明治神宮がついこのあいだの造立とあっては当然のこと。
 弟の答えは賢明で、「与野も浦和も一緒になったから丸く収めるためには妥当な名前だ。大宮区として残っているからそう目くじらを立てないでくれ、時代も変わって他を見ればもっと難儀な名前がいくらでもある」ということであった。こっちは届け先住所が書きにくいだけで、よそ様の地名になにもクレームを付けた訳ではないのだが…

 しかして、他にどんな地名変更があったかと大宮に限って調べてみた。
 駿河国一ノ宮、富士山本宮浅間大社の門前町である静岡県大宮町は昭和の合併の際に、埼玉に大宮市があったので混乱を避けるため富士宮と命名された。
 秋田の殿様佐竹氏が秋田に移封される以前に居を構えていた茨城県大宮町は、すでに埼玉の大宮が「さいたま市」になった後の合併にもかかわらず、恐れ多いと遠慮して常陸大宮市としたそうだ。

 今度は「さいたま」と同じように市名に平仮名を使っている所を調べてみると、平成の大合併後は多くなったようだ。おそらく千葉の夷隅などは誰も読めないので「いすみ」にしたのだろう。
 次にカタカナを使っている市を見ると、南アルプス市だけだった。ハイランド1丁目やらサイドタウン2丁目などと、地区名には広く使われるようになった割には少ない。
 ちなみに、南アルプス市の正式な中国語表記は「南阿爾卑斯市」となっているそうだ。看板を見て山梨一円の暴走族が集まっては来ないにしても、お墓と間違って「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える者がいても不思議ではないだろう。


  今日のお昼頃の様子です、明日からまた吹雪くという予報が…
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昭和好き♪

2015年01月28日 18時31分48秒 | 日記


 今日は昨日から一変して日中の気温が零度と寒い一日であった。前日比マイナス6度だそうだ。1センチほど薄っすら降った雪でも気温が上がらないとなかなか解けないもので、通勤の車は難儀を強いられることになる。
 とはいっても、来週はもう節分。鬼役を演じる女房には、今年こそお手柔らかにお願いしたいものだ。



 ブログに時々貼ってある版画は、主に昭和初期から戦前にかけて秋田で活躍した勝平得之の作品である。秋田市鉄砲町に住み、家業の傍ら作り続けた版画は、数々の展覧会に入選したそうだ。 素朴だが深い味わいがあり私は大好きである。当時の景色を知らないのに郷愁を覚えるのには不思議な気がするが、体の中にある祖父さん祖母さんのDNAが覚えているのだろうか(笑)

 下に紹介するのは得之の代表作「八橋街道」である。面影橋のあたりの草生津川の景色と思われる。ああ懐かしや(*^^*)ポッ

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椿

2015年01月27日 18時04分50秒 | エッセイ


 昨年暮れに雪が少々積った日に庭で見つけた小さな椿を愛おしくなり、ぐるぐる巻きに囲っておいた。雪もないのに大袈裟すぎたかと今度は心配になる。光に当てないと冬季鬱になって萎んでしまうかも。雨に当てないと干からびてしまうかも。気になって覗いてみるとおおむね健やかにしていたが、果たして実生の椿は花が咲くまで何年掛かるものやら…
 鉢植えにするべきだったかも。

 


 JR男鹿線は男鹿駅が終着駅。その先は門前までバス路線があるが、門前の先の西海岸は断崖絶壁になっており自家用車は通れるがバス路線は無い。昔は鳥も通わなかったといい、加茂青砂には船で行くしかなかったそうだ。
 船川から門前までの南磯は女川、椿、双六、門前と漁港が続く。それを区切るように鵜ノ崎、金崎、館山崎、塩瀬崎の岬があり、奇岩が続く。私はまだ見たことが無いが、ゴジラ岩といって、ある角度から見るとゴジラそっくりの岩もあるそうだ。


   夕日をバックにしたゴジラ岩



 車だと秋田を出て一時間ほどで椿漁港に着く。漁港脇の能登山という小さな丘には国の天然記念物に指定されている椿の群生地があり、こんな言い伝えが残っている。

≪その昔、能登の国から働きに来ていた若い漁師が、村の女と恋に落ちたそうな。やがて、能登に帰らなければならなくなった若者は、2年後にきっとまた来る、そのときには必ず故郷の美しいツバキの実を持ってきて見せてあげようと約束して旅立ったそうな。若者に再開できる日を楽しみに待ち続けた女じゃったが、約束の2年が経っても若者は戻って来なかったそうな。女は、あれだけ固く誓ったのに若者が来ないのは、難波して死んでしまったからに違いないと思いつめるようになり、待ち焦がれて3年目のある日、悲しみのあまり海に身を投げたそうな。その後、村に戻ってきた若者は、女の死を聞くと悲しみにくれ、土産に持ってきた約束の椿の実を小さな岩山に植えたそうな。それ以来、春になると丘一面が椿の花で覆われるようになり、小さな岩山はやがて能登山と呼ばれるようになったとな。≫



 「津軽では、梅、桃、桜、林檎、梨、すもも、一度にこの頃、花が咲くのである」。太宰治の「津軽」の一説だが、秋田では、椿もこの頃、花が咲くのである。


片割れ月が歌う「ひばりの佐渡情話」、音声を消してお楽しみくださいヽ(´o`; オイオイ
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ぶら片割れ月

2015年01月25日 15時19分05秒 | 日記
 今日も朝から快晴。休日でもあり、9時過ぎにふらっと出かけることにした。少し行けば山も海もある土地に住んでいるが、どちらかといえば私は海のそばにたたずむのが好きである。



 自宅から横金線を金足方向に車で向かい、新城川を渡った先の信号を左折。国道を横切って海に出ることにした。この道は砂防林を切り開いて造ったもので、去年の夏に開通したばかりである。除雪車で寄せられたり吹き溜まりになったりした雪が所どころ残っているが、おおむね春先のように乾いていた。



 途中、青空を背にした柏の木が道沿いに並んでいる。秋田では海岸線の砂防林に多く見かけられる木だが、角館の岩橋家の庭の大木がよく知られている。葉は雪が積もっても落ちることなく、新芽が出て来るまで粘り強く木の枝にしがみついている。受験シーズンの今なら受験生のお守りとして売りに行く商売を始めると一儲けできるかもしれない。



 まもなくして海岸道路の県道56号に出た。右に曲がればその先は男鹿まで一本道。左に曲がれば秋田港へと続く。青空に誘われるまま男鹿までドライブし寒風山にでも足を延ばそうかと思ったが、まだ寒中である。夏でも冷たい風が強く吹く場所なので糸の切れた凧のように飛ばされる。思い留まって左に曲がることにした。



 今度は南方向に向かって走るので陽光が眩しすぎる。すぐさま近眼・老眼・乱視の三重苦メガネから極道ご用達の偏光サンブラスにかけ替える。いささかヤバい人に見えるので、対向車の運転手は見た瞬間に目をそらしていく。人は見た目が大切であるが背に腹は代えられない。



 男鹿の景色でも写真に収めようかとマリーナの公園に寄ってみることにし、駐車場に車を止めて小山になっている頂上まで歩いた。写真で見る限りでは暖かそうだが、午前の早い時間ということもあり、やっぱりまだ寒い。鼻水が凧になって飛んでいく。さすがに釣り人が一人もいないわけだ。おそらく寒風山に行っていたなら冗談では済まされなかっただろう。(*^^*)ポッ
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平穏無事

2015年01月23日 20時47分32秒 | 日記
 こんなことを言って冬将軍の耳に入ったなら、一度に大量の降雪に見舞われるので小声で言うことにする。今年はやっぱり暖冬かもしれない。



 冬のあいだは雪に閉ざされて冬眠しようかと思っていたが、雪が無いとなればそうもいかない。今年になって頼まれていた仕事を一つ引き受けることになり、申請書を上げる役所関係に事前相談のため打ち合わせに行った。
 市内の積雪がゼロになり、途中の道は寄せられた雪が残っているものの路面は春のように乾いている。車から降りると、ここが雪国であることをすっかり忘れさせてくれるような青空が広がっていた。

 国の出先機関のお役所に行くと40代後半くらいの女性職員が対応してくれた。私は男性よりも女性の方が話が合うし、書類もすいすい通る。どちらかといえば女性職員は得意とする相手なのだ。さらに言えば、女性職員も私を求めているに違いない。
 年恰好から顔立ちまで、どこかで見たことのある顔だ。たしか、ブロ友さんに似たような女性がいたはずである。よく行く役所なので初めて見る顔でもないが、名刺を渡そうとしたところ、「片割れ月さんですよね」と言うではないか。こちらが相手のことを知らないのに相手には私が誰だか判っているようだ。もう川反や土崎あたりの路地裏で悪いことはできないことを悟った。

 午後は母を2時までに整形外科に連れて行く予定になっていた。女房がマザコンだの家来だのと揶揄するものだから、以前はずいぶん肩身が狭かった。が、弱っているふりをする母の言葉を真に受け、弟や娘が法事に来たときに家族の前で「母を粗末にするな」という念仏を何度も唱えて行ったばかりである。
 この度は正々堂々と病院に向かう。

 しかし、奴らがたまに来て母に甘い言葉を投げかけてやるおかげで私に付けが回ってくる。元々我儘なうえ、口うるさい母を相手にしていると難儀する。今日も後出しで眼科と内科を回らされ、車の中では「整形外科の医者の昼休みがずいぶん長すぎて待たされた」と小言を聞かされる。あろうことか、「あんな商売では、そのうちつぶれるべ」と呪文まで唱える始末である。

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初詣

2015年01月21日 20時55分55秒 | 下ネタ


 弟とスナックに飲みに行くことなど、そうそうあるものではない。
 嫁と一緒に帰ればいいものを彼は法事が終わった翌日に帰らず、もう二泊していった。「母と一緒にいる時間も限られてきたので少しでも傍にいてあげたい」と詭弁を弄していたが、私は知っている。

 彼は11月初旬に飲み仲間を連れて秋田に遊びに来て、土崎で飲んだことがあった。スワンとかいうスナックにおっぱいが巨大な女がいたと私に話していた。一周忌の法事が終わった後で叔父たちを誘って再び訪れたそうだ。想定外だったのは嫁もいっしょに付いて行ったことだ。おそらく手も足も出なかったのだろう、彼は家族を早く返して三度そのお店に行く計画を企てたのだ。

 家族を帰した日の晩飯を食べた後、同級生のS君とやらに電話をかけて誘っていた。てっきりそいつと飲みに行くものとばかり思っていたのだが、飲食店を経営するその友人に、確定申告の相談に税理士を呼んでいるとかで忙しいと断られたらしい。
 「たまには兄貴と一緒に飲みたい」と今度は私を誘う。「家で静かに飲んでいたら」と私が答えると、「兄貴の歌う演歌を生で聞きたい」とくすぐってくる。そう言われると悪い気はしないもので、「そこまでいうなら付き合っても良い」と私はようやく重い腰を上げ、山道通りにあるその店にタクシーで向かった。

 お店のドアを開けると、松が明けたというのに立派な鏡餅が二つ近づいてきた。なるほど・・・弟が拝みたくなるわけだ。
 無法松の一生から始まって風雪ながれ旅で終わるベスト8曲を終えた頃には肩の力もだいぶ抜けてきたので、私も抜け目なく鏡餅を拝ませてもらった。一周忌が終わったばかりだというのに、なんと罰当たりな兄弟だろうか…(_ _;)…パタリ


 無法松の一生は失恋した男の寂しい歌です~今宵冷たい片割れ月に見せた涙は嘘じゃない~♪
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作戦大成功

2015年01月19日 18時29分09秒 | 日記


 当日は積雪もゼロになり良く晴れた一日であった。私たちが1時半に寺に着くと、埼玉から車二台でやって来た叔父一行はすでに着替えも済み本堂で所在無げに待っていた。道路に雪がなく予定よりも一時間ほど早く着いたそうだ。

 一周忌の法要が終わり、別室で御膳に座り飲み食いした後に写真を撮ることになった。参列者全員の集合写真を撮った後で、母方の兄妹9人が並んだ写真も撮った。兄妹9人は全て健在で、全員揃うのは葬式以来である。葬式では記念撮影というわけにもいかず、この機会を逃したら一人や二人欠けてしまうので最後のチャンスということらしい。そういえば、どれもこれも立派な死相を漂わせた年寄になってきており、これが最後の写真になることは疑いようもない。父方は哀しいかな父を最後に全員が鬼籍に記載されてしまった。父が末っ子で母が長子ではそんなものだろう。



 翌日は11時から予定どおりダマコ鍋をやったが、準備を手伝ってもらう筈だった弟の嫁が二日酔いになり、遅れてやってきたので使えない。弟夫婦と叔父3人に叔父の嫁1人の計6人は前日カラオケスナックで大変盛り上がったそうだ。叔父の一人が「法事に来て二日酔いとはふしだらな輩だ」と小言を言っていたが、当の叔父が飲ませた張本人らしい。

 心配したダマコ鍋の味も上々で、叔父たちはあっという間に平らげて、1時前には帰路に就いた。県境あたりで猛吹雪に見舞われたそうだが、包みもたんまり頂いた後だし、帰ってしまえばこちらの関知するところではない。
 その後、弟の嫁と娘が帰り、翌日になると私の娘が帰って行き、今日は弟が帰って行った。これでようやく落ち着いたところである。
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だまこ大作戦

2015年01月10日 08時27分25秒 | 日記
 今朝の新聞を見たら、ピース又吉直樹の書いた小説「火花」が掲載されている「文学界」なる文芸誌が異例の増刷を繰り返し、4万部が発行されたとあった。どんな小説か読んでみないと分からないが、いずれは芥川賞もと業界が大絶賛したという触れ込みだけに、ちょっと興味を示しているところである。



 来週に父の一周忌の法要を予定している。今のところ大寒波が来る予報は出ていないが、母の兄弟たち一行は首都圏から車に分乗して来るので当日のお天気がいささか気になる。
 当日は仕出し屋に頼んで寺に御膳を運んでもらうことにした。一行は法事のあとホテルに泊まる予定で、翌日は家に呼んで何か御馳走することになっている。何が好いものかと考えるよりも先に大政所は「ダマコ鍋」と決めていた。

 近くに住む叔父や我が家を加え15人ほどでダマコ鍋を囲むとなると、ダマコを何個まるめたらいいものやらさっぱり分からない。キリタンポなら一人3本もあれば間に合うので、キリタンポ1本をダマコに換算することにした。家中のありとあらゆるコンピューターを使って算出したところ、キリタンポ1本=ダマコ5個とはじき出された。

 一人でキリタンポ3本食べるものとすれば、ダマコだと一人当たり15個になる。15個×15人でダマコを225個丸めなければならない。ところがダマコの大きさによっても数が違ってくることに気付く。何合の飯を炊けばいいものやらとんと分からなくなり振出しに戻ることに。

 要は一人何合の飯を食べるかに係ってくる。ほとんどが年寄になってしまい平均年齢は70代となれば、そんなに食べるはずもない。慌ててデータを修正してコンピューターにかけ直した結果、一升五合のご飯を炊けばよいと答えがはじき出された。大きくても小さくても、ひたすら一升五合の飯を丸めれば何個になろうと関係ない。さすがコンピューターである。てか、意外に簡単な話だ。

 ところが世の中はコンピュータで計算できるほど甘いものではない。我が家の7合炊きの釡だと2回炊いたのでは間に合わない。3回も炊くとなれば時間が掛かり丸める時間が足りなくなる。熟練工なら1分間に10個も丸めてあっという間に終わる計算だが、いったい誰が丸めるのだろうか。
 客がやってきたときに人数分が足りなかったと、ダマコ一つで我が家の鼎の軽重を問われても情けない話である。

 そこへ女房がやってきて「パック入りのキリタンポを買えば…」と口を出す。そんなことは最初から分かっている。大政所がダマコと言い出すから困っているのだ。(_ _;)…パタリ


     丸いのがご飯をつぶして丸めたダマコです~☆
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アッシー君

2015年01月07日 18時38分33秒 | 日記


 昨日の雨から一転し、今朝になると吹雪いていた。
 雨なら一度地面に落ちたらそこに落ち着くが、雪は地面に落ちても風で舞い上がり窪みでもないかぎり地吹雪となってどこまでも飛ばされていく。

 東西に延びる幅8m道路の北側に位置する我が家だが、北西方向から吹いてくる風に乗った粉雪が道路向いの家のブロック塀やら壁にぶつかった後、わが家の方に飛ばされてきて玄関先が吹き溜まりになるのは毎年のことである。

 そこへきて去年から西隣に引っ越してきた家の路上駐車の車のおかげでエアスポットができるらしく、いつの年にも増して我が家の前だけが豪雪地帯になり私はずいぶん憤慨している。雪が相手だけに去年までは気象予報士を恨めば事が足りたが、今年はどうしたものかと呆れるしかない。

 吹き溜まりの雪をほうきで掃こうとしたが、今度はほうきが見つからない。家の中に戻って、「誰かほうきを知らないか」と声をかけると母が出て来て、玄関先にほうきを置くことは福の神を追い払うのでよくないから囲いの外に移したという。外に出て見ると囲いの外に雪まみれになったほうきが佇んでいた。「玄関先にほうきを置いたら貧乏神が一掃できるのでは」と口ごたえしたくなるが年寄には勝てるはずもない。

 出掛ける用事が無かったので家でゆっくりしていたが、11時少し前に可南子さんが突然私を訪ねてきた。福の神ならぬ弁天様の登場に、とうとう押しかけて来たかと動揺した。幸いにも対戦相手の家の山の神は丁度良くお出かけしていたので、「まず上がれ(やすんでいけ)」と言うと、ゆっくりできないという。

 母親が入院している総合病院に向かう途中に会いたくてちょっと寄ったそうだが、病院までは2キロもある。秋田駅からバスに乗り実家の様子を見てから、吹雪の中を1キロほどの我が家まで歩いてたどり着いただけでも幸いである。この先病院まで行く途中に間違いなく遭難してしまう。バスもあるが本数が少ないので車で送ることにした。

 ご近所に見られたら新しいかあちゃんを貰ったかと噂されるので後部座席に乗ってもらい家を出る。途中、前が見えないくらいの猛吹雪でヘッドライトを点けてのノロノロ運転。
 正月に帰省するといっていたのに連絡が無いことを心配していたと話すと、家の事情で帰れなくなり、今日になったそうだ。しかも日帰りだという。

 病院に着いて再会を約束した別れ際、やっぱり家を手放すことに悩んでいると本音を漏らしていた。高く売れるまでは待った方が良いと、ぽんと背中を押して別れたが、お母様の病状のことといい、思いのほか悩みは深いようだ。
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