片割れ月おもちゃ箱

エッセイ風お笑いブログです~

春の予感

2014年02月27日 23時21分47秒 | 日記

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昨日は晴れて気温もだいぶ上がっていた。ひさびさの太陽を拝もうと空を見上げたが、太陽が何処にも見えない。春霞にしては時期が早すぎると思っていたところ、PM2.5なる物質が上空を覆っていたそうだ。警報が出た自治体もあったとニュースでやっていたが、こちらの観測地点も結構な数値であったらしい。今日になるとようやく青空が見え、気温も昨日以上に高くなっている。

 

葬式から忌明けまでのあいだ、葬儀屋さんが忌中の木札と鳥のエサ台を立ててあった。霊前に供えた穀物を鳥たちに分け与えてやるものだそうだ。しかし、その時期は寒くて雪が積もっていたせいなのか、鳥に忌み嫌われたせいなのか、スズメさえ寄り付かなかった。ようやく今日になってヒヨドリらしき鳥が、主のいなくなった小さな庭のナンテンの木に止まってピーピー鳴いている。この暖かさで庭の積雪はゼロになり、ヒヨドリも椿の開花が待ち遠しいことだろう。

 

 

 

そうこうしているところに由紀子ちゃんからメールが来た(^_^;)

 

タイトル「会いたくて死にそう」

 

>お父様のことは落ち着きましたか?

 

>ところで33日は何の日?

 

>そうそう、由紀子のお誕生日で~す♪

 

>お祝いに来てくださいね~☆

 

>待ってま~す♪

 

 

 

誕生日プレゼントの強要のようだ。

おそらく800人くらいに同じ内容のメールを打っているのだろうが、その手は食わぬ!

こうなったら「喪中につき」を使わない手はないだろう!

 

タイトル「RE:会えなくて死にそう」

 

>まだ49日も過ぎていないのでお祝い事は禁物です。

 

>本当はすぐにでも会いに行きたいけどお天道様が許してくれません。

 

>三回忌が終わるまでお祝いは待っててちょうだいね~

>愛してるからね~♪

 

 

 

もうすぐ3月・・・とんだ罰当たりがいたものだ。(*゜.゜)ゞポリポリ

 

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大往生

2014年02月25日 22時46分13秒 | 650字コラム

 

父が亡くなって、すぐにベルコという葬儀屋に電話しました。会員になっていたからです。

 

すぐに駆けつけてくださいました。「今後のことは一切お任せください」に乗って無事に葬儀が終わり、忌明けまでお付き合いしてもらいました。

 

他の県はどうか知りませんが、秋田では火葬してからお通夜をして葬儀になります。テレビで見る芸能人のお葬式とは順序がちょっと違います。納棺の時は壇蜜のような若い女性2人が来て、顔を剃って化粧させたり、リップクリームやマニュキアを塗ったりしてました。「おくりびと」というのでしょうね。女好きだった父とはいえ、少しかゆかったに違いありません。

 

お葬式の祭壇に祭られた遺影がちと若すぎて話題を呼んでました。喪主の私より若い写真なのだから仕方ありません。ナルシストらしく生前に遺影を準備していたようです。母と一緒に作ってもらったという事でした。たぶん30年前の写真かも・・・。お坊さんが来るまでのあいだ、後ろの方で、「誰の葬式?」、「これでは詐欺だ!」、「鳥羽一郎か!」、「布施明か!」などと、いつも賑やかな母方の叔父たちの突っ込みが耳に入ってきました。そういえば、父は眉毛が濃い人でした。心無い叔父の一人は「よっ!バタやん!(田端義夫)」と遺影に声をかけておりましたが、さすがに長兄にたしなめられていたようです。

 

葬儀の時は差し障りのない話題も忌明けの法要では近親者だけとあって一歩踏み込んだ下世話な話題になります。葬儀代いくら掛かったとか、香典いくら集まったとか、お布施をいくら包んだとか・・・答えませんでしたけど。

 

去年、夫を亡くした叔母が言っておりました。「夜に寝て、朝に死ねたら、大往生」と。叔母の旦那さんは脳卒中で13年寝たきりでした。叔母は「好きな川柳も吐けずに13年は長すぎでしょ!」と言って、笑って泣いておりました。後悔や葛藤があったりで、死は遺族にとって切ないものですね。

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父の星を探して

2014年02月23日 21時51分42秒 | エッセイ

 

久々に南の空にオリオン座を見つけた。そういえば、今年は晴れた日が無かったせいなのか、それとも気持ちに余裕がなかったせいなのか、夜空を見上げることもなかった。

 

去年の暮頃から父が弱ってきて介護に専念した。夏に「ぼけかぼちゃ」の記事を書いていたときは、まだ余裕があったが、あの頃とは明らかに状況が違っていた。出来るだけ家で面倒を見るつもりの覚悟は出来ていたが、年が明けて10日過ぎからは、どうしたものかと施設への入所も考えて、あちこちに相談に行っていた矢先の16日朝、父は逝ってしまった。朝方に起きてこないので、様子を見に行ったら冷たくなっていたのだ。

 

亡くなった時、正直ほっとした。ぼけも進んでいたので、施設ではベルトに縛り付けられての生活しかなかっただろう。何より父は延命治療のようなものをはっきりと拒んでいた。去年の春先に間質性肺炎で入院したときは、ベッドの上に立ち上がり看護師さんたちをずいぶん困らせて、自宅に連れて帰った。その後は自宅療養でどうにか、だましだまし年を越すまで余生を楽しんだと思う。9月には酸素ボンベを抱えてサブちゃんのコンサートにも行ってきた。正月はみんなと一緒に好きなビールを飲み、大好きなお餅を食べていた。父には「よく頑張った」とお礼を言いたい。

 

私も最初はずいぶん落ち込んで気持ちも荒んだが、やっと落ち着いたところである。冬の大三角は、ずいぶん西に傾いていた。それもそのはず、もうすぐ三月である。供養を怠らないようにしたい。

父が好きだったサブちゃんの「風雪ながれ旅」を歌ってみました

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