かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

「生協の歴史ー戦争と平和」を語り、考える

2017年07月14日 | 雑記ー自分のこと、世の中のこと

「生協の歴史ー戦争と平和」を語り、考える。

この間、7月2日の生協労連のシンポジュウム(写真)から始まり、5日、京都府生協連、8日、大阪よどがわ市民生協と「生協の歴史から戦争と平和を学ぶ」をテーマにした講演が続いた。生協労連の企画は伊東温泉で開かれた全国規模の「学習・教育セミナー」の最終日のシンポジュウムで150人ほどの参加者だった。京都府連の場合は京都生協と高齢者生協のそれぞれ平和のグループからの参加であり、よどがわ市民生協は労理共催で若い職員が多かった。私の話は元にしている「ブックレット」の記述と同様に、初めての生協が日本に誕生した明治初期からの話をするので、聞く方も大変だったと思う。しかし、文明開化の時代の先駆けの一つだった生協の歴史は、その担い手が自由民権運動家たちが多かったことを含め面白いし、なにより安倍首相やその取り巻きが明治時代を美化し、大日本帝国憲法や教育勅語の精神を現在に生き返らそうとしているので、そのころのことを話さざるを得ない。つい、戦後の反戦平和の取り組みなどの紹介は十分でない話となっってしまう。

 この間、安倍政権の政治思想の背景にある「日本会議」についても勉強し、なぜ私より若く、戦争体験もない彼らが明治の日清・日露からの長い侵略戦争の時代を美化し、天皇制の時代を懐かしむのか理解に努めた。分かったのは彼らが歴史の真実を学んだのではなく、偏狭な民族意識に自分の存在感(誇り・自己満足?)を求めるため歴史を歪めて理解している(思い込んでいる)ということだった。しかし、なぜそこまで歴史を修正、歪め、それを現実の政治に懸命に反映させようとするのか?理性的に考えれば、教育勅語の教育現場での復活などありえない話であるのに、ありうることとして閣議決定されるのはなぜか?日本会議とその支持者たちのことでは済まない、多くの政治家はじめ日本のリーダーたちの思想の劣化ー政治の劣化が怖いと思う。「日本会議・戦前回帰への情念」(集英社新書)を書いた山崎雅弘は「情念」という言葉を使っているが、理性や理論でなく「情念」であることが怖い。 歴史の話では「戦争をする国」では、自由や民主主義が否定される怖い社会になることを歴史から学ぼうと話しているが、それは人間らしい理性や知性が殺される社会である。

 山崎の本では、現天皇は帝国憲法下の天皇と現憲法下の天皇の在り方をくらべ「(現憲法の方が)天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」と述べていることを紹介し、天皇を崇拝しているはずの彼らを批判している。日本会議だけでなく最近、都民ファーストの代表になった野田数は都会議員時代に現憲法は認めない、帝国憲法を復活させろという請願の紹介者だったということを知って、私も驚いているが天皇も驚いたことと思う。

 この間、平和より戦争が好きな安倍政権を「1強」にしたのもアメリカでトランプが誕生したのも、今現在のそれぞれの国民の責任であり、自分を含め他人事でない。若い、明治時代の戦争はもちろん太平洋戦争も良く知らない生協の職員や組合員を対象に歴史について話す作業は、自分の能力不足とテーマの重さから考えさせられることばかりである。8月にも勉強会の企画があるので、暑さと安倍に負けないようにしたい。以上、近況報告です。

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